ドン・ドライスデール
1936年7月23日~1993年7月3日
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身
投手、右投右打
ドン・ドライスデールは豪快な投球スタイルと勝負強さでファンを魅了し、
サンディ・コーファックスとの「二本柱」として
ドジャース球団史にその名を刻んだレジェンドだ。
ブルックリンからロサンゼルスへ、輝かしいキャリアの幕開け
カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれたドライスデールは、
1954年にブルックリン・ドジャースと契約。
1956年にメジャーデビューを果たすと、チームのリーグ優勝に貢献した。
ドジャースがロサンゼルスに移転した1958年は苦戦するも、
1959年には自身初のオールスターに選出され、最多奪三振のタイトルを獲得。
チームはプレーオフを制して移転後初のリーグ優勝を飾り、
ワールドシリーズではシカゴ・ホワイトソックスを破ってチャンピオンに輝いた。
サイ・ヤング賞、そして「二本柱」の完成
1962年にはキャリアハイの25勝を挙げ、
最多勝と最多奪三振の二冠を獲得し、
自身初のサイ・ヤング賞に輝いた。
この頃から、技巧派左腕のサンディ・コーファックスと共に
ドジャースの強力な「左右の二本柱」を形成。
1963年にはヤンキースを4連勝で破りワールドチャンピオン、
1965年にはミネソタ・ツインズとの激闘を制し、再び世界の頂点に立った。
ドライスデールの打撃センスも際立っており、
1958年にはナショナルリーグタイ記録の7本塁打を放ち、
1965年には打率.300、7本塁打を記録するなど、
投打にわたってチームを牽引した。
不滅の「58.2イニング連続無失点」
ドライスデールのキャリアを語る上で欠かせないのが、
1968年に達成した58.2イニング連続無失点という金字塔だ。
これは1913年にウォルター・ジョンソンが記録した
55.2イニングを更新するもので、
当時の大リーグ記録として長く語り継がれた
(後にオーレル・ハーシュハイザーによって更新)。
この記録達成時、
ドライスデールは「記録は嬉しいが、正直なところ途切れてホッとした面はある。
記録が続いている間は精神的な重圧がかなりあった」と語り、
その重圧をうかがわせた。
早すぎる引退と殿堂入り
右肩痛に苦しんだドライスデールは、1969年シーズン途中で引退を表明。
ブルックリンでプレーした経験を持つ最後のドジャース選手となった。
通算209勝、2486奪三振はいずれも球団歴代2位の記録として輝いている。
引退後はABCなどでキャスターを務め、
その明瞭な語り口で野球ファンを楽しませた。
1984年には野球殿堂入りを果たし、
同年7月1日には、彼の背番号「53」がドジャースの永久欠番に指定された。
女子バスケットボール選手のアン・マイヤーズと結婚。
史上初の殿堂入り選手同士の結婚として大きな話題となった。
しかし、1993年7月3日、ドジャースの試合放送のため滞在していた
モントリオールのホテルで、56歳という若さで心臓発作のため急逝。
その突然の訃報は、多くの野球ファンに衝撃を与えた。
ドン・ドライスデールは、豪快なピッチングと個性的なキャラクターで、
永遠にドジャースの歴史の一部、いやMLBの歴史でも
長く語られるレジェンド投手の一人だろう。
通算成績1956-1969年(14年)
518登板、465先発、197完投、49完封
209勝166敗 勝率.557 3432.0回
2486奪三振 1124自責点 防御率2.95
ドン・ドライスデール・スタッツ↓
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