連休前に、仕事でへこむ失敗をしてしまい、心が晴れません。

失敗は、自分だけのダメージならいいんだけど、人に迷惑をかける。人に与えたダメージを、自分が埋められないことにすごい罪悪感がある。

仕方がナイチンゲール、という広島のおばあちゃんユーチューバーの言葉の素晴らしさよ…。

家でウツウツしててもさらに沈むだけだから、コーヒーを飲みにきました。揚げゴマ団子美味しい☺️

今読んでるこの本。イギリスのシェトランド諸島が舞台。

アルコール依存症から回復した女性が、断酒会に参加するシーンが出てくる。息子が2人いて、農場主の妻、ジェーン。アルコール依存症から回復し、今は断酒会で、回復途上にある仲間たちのサポートを続けている。聡明で優しい、強い女性だけど、夫は、妻が断酒会に参加することにいい顔をしない。「もう飲んでないのになんで参加する必要があるんだ」とか、「(回復前の酒を飲んでいるときの方が)君は楽しかった、俺たちの間には笑いがあった。」と言われ、再び飲みたくなる…という場面がある。

しらふで生きる苦しさ、というか、周りの人たちとの不和は、依存症に限らず、生きる上で生まれてくるどうしようもない苦しさなんだと思う。

私の過食は、大したことはないと言われるレベルだと思う。日常にさして影響はないし、吐くこともない。でも無くなることはない。

10代、20代、摂食障害の回復のモデルは、良いパートナーを見つけることのように見えて絶望した。残念ながら未だに見つかっていない私は、まだ、他のモデルを探しているのだと思う。





金曜日に近所のケーキ屋でケーキを買って帰宅した。

すごく美味しかった。いちごもクリームも、前によく買っていたチェーン店のケーキ屋とは違った。

過食にずっと悩んできたけど、今も悩んでいるけど、過食のレベルというか、程度は、そこまで深刻視されるようなものではない。とにかく自分の体型が嫌で、ダイエットカウンセリングとか、整体、鍼、漢方いろいろやったけど、「最後は意思」と言われて失望することばかり。

最近は、「肥満は意志の弱さで克服できるものではない」ということが、少しずつ浸透してきたような気がする。

今の私は、肥満ではない。体重的には、標準にギリ収まる。でも体型はやっぱり受け入れがたくて、まだ、体重を落とす以外の、見た目への努力をしたくない。

いいトシして、まだ見た目のことを言っている。仕方ないと思う。たぶん、恋愛をまだ諦めきれないこととつながっている。

過食も男の人も、それで満足できないのに、まだ求めて、さらに求めてしまうところが似ている。



私が大学を出るときは就職氷河期だった。公務員はそれなりに狭き門で、勉強が苦手な私は、採用試験に何度も落ちて、二十代の終わりからちゃんと働き始めて十五年たった。

昇任試験にも何度も落ちて、ようやく昇任したのは4年前。収入が上がり、デロンギのオーブンを買って、お菓子を焼けるようになったのが、最近あった嬉しいことだ。

四十代になったが。

結婚してない。
子どもいない。
パートナーいない。

ときどき、人並みになれなかったなとか、私の人間性に問題があるのかなとか考える。

でも、私が、働いて自立していること、そして収入があることは、結婚して素敵なパートナーがいることと、同じくらい価値があることだと思うときもある。

これからも、2つの気持ちをグラグラ抱えながら生きていくのだと思う。

自分の生き方を否定されたくないし、私も誰かの生き方を否定したくない。