ここのところ少しの間、休職していました。

 

更年期のような症状と、多すぎる仕事量が重なり、ある日仕事に行けなくなったことがきっかけでした。

 

胸が苦しくて、起き上がれないと医師に言ったところ、休職させてもらえて、本当に救われました。

 

そろそろ休職が終わります。休みの間、家にいて、自分は本当に一人で過ごしたかったんだな、と感じました。

 

反面、すごく寂しいと感じるときもありました。どちらも本当の気持ちなのだと思います。

 

実家の家族には、休みのことは言いませんでした。いい年して、初めての秘密のような気がします。

 

休んで初めて、気が乗らない誘いを断れるようになりました。「相手の顔を立てないといけない」、とずっと気を使っていました。これからは、気が乗らない誘いは、もう断ろうと思います。

 

髪を洗うのがおっくうになったので、髪を短くしました。これからはずっと、短い髪で生きていこうと思っています。

 

仕事の苦しさを何度訴えても対応してくれなかった職場には、不信感と失望感がまだあるので、これからはもう犠牲的には働かず、それなりの働きで応えようと思っています。これが一番の課題かな。これで働きやすい職場とか世間にはPRしてるのが信じられません。上司が謝ってくれたのが救いでした。

 

仕事で出会う利用者の人が、私は好きです。だからこの仕事を続けられるのだと思います。離婚してこれからも一人で生きていく私には、仕事をするしか、生きていく方法がありません。

 

(ツイッターやインスタではなく、ブログが心地いいなと感じるようになったので、久しぶりに投稿しました。読んでくださりありがとうございます)




連休前に、仕事でへこむ失敗をしてしまい、心が晴れません。

失敗は、自分だけのダメージならいいんだけど、人に迷惑をかける。人に与えたダメージを、自分が埋められないことにすごい罪悪感がある。

仕方がナイチンゲール、という広島のおばあちゃんユーチューバーの言葉の素晴らしさよ…。

家でウツウツしててもさらに沈むだけだから、コーヒーを飲みにきました。揚げゴマ団子美味しい☺️

今読んでるこの本。イギリスのシェトランド諸島が舞台。

アルコール依存症から回復した女性が、断酒会に参加するシーンが出てくる。息子が2人いて、農場主の妻、ジェーン。アルコール依存症から回復し、今は断酒会で、回復途上にある仲間たちのサポートを続けている。聡明で優しい、強い女性だけど、夫は、妻が断酒会に参加することにいい顔をしない。「もう飲んでないのになんで参加する必要があるんだ」とか、「(回復前の酒を飲んでいるときの方が)君は楽しかった、俺たちの間には笑いがあった。」と言われ、再び飲みたくなる…という場面がある。

しらふで生きる苦しさ、というか、周りの人たちとの不和は、依存症に限らず、生きる上で生まれてくるどうしようもない苦しさなんだと思う。

私の過食は、大したことはないと言われるレベルだと思う。日常にさして影響はないし、吐くこともない。でも無くなることはない。

10代、20代、摂食障害の回復のモデルは、良いパートナーを見つけることのように見えて絶望した。残念ながら未だに見つかっていない私は、まだ、他のモデルを探しているのだと思う。





金曜日に近所のケーキ屋でケーキを買って帰宅した。

すごく美味しかった。いちごもクリームも、前によく買っていたチェーン店のケーキ屋とは違った。

過食にずっと悩んできたけど、今も悩んでいるけど、過食のレベルというか、程度は、そこまで深刻視されるようなものではない。とにかく自分の体型が嫌で、ダイエットカウンセリングとか、整体、鍼、漢方いろいろやったけど、「最後は意思」と言われて失望することばかり。

最近は、「肥満は意志の弱さで克服できるものではない」ということが、少しずつ浸透してきたような気がする。

今の私は、肥満ではない。体重的には、標準にギリ収まる。でも体型はやっぱり受け入れがたくて、まだ、体重を落とす以外の、見た目への努力をしたくない。

いいトシして、まだ見た目のことを言っている。仕方ないと思う。たぶん、恋愛をまだ諦めきれないこととつながっている。

過食も男の人も、それで満足できないのに、まだ求めて、さらに求めてしまうところが似ている。