学童保育士として生きようと決めた時、でも触れたのですが、学生時代にお世話になった学童の思い出は今も時々フラッシュバックする時があります。
それだけ年を重ねた、といえばそれまでですが…
こどもたちとの思い出は10年も学童にいると本当にたくさん増えてきました。
その中の一つをみなさんにもぜひ読んでもらいたいと思います。
ちょっと前に書いたものなので…いろいろ読みにくかったらすみません。
…
野球が好きな男の子がいた。
そいつはぼくが草野球をやっているのを知っていて、そいつが学童にいる日にぼくがおやつをみんなで食べていると、どこからともなくやってきて毎日決まって尋ねてくる。
「ねーねー、くわは野球選手で一番すきなの誰?」
「ん?もちろんイチロー(当時はシアトルマリナーズ所属)」
「ふ~ん、おれナカジ(当時西武ライオンズ所属の中島裕之のこと)」
「そっか、じゃあお前はナカジみたいな野球選手になりたいんだな」
とか言いながら、ずっと野球の話をする。
そいつは相当な野球好きなようで、西武ライオンズの春季キャンプも見にいっていたし、春先のWBCのアメリカラウンドにも観戦にいった、ちょっとやそっとでは真似できないくらいの野球好き。
当然のことながら、外あそびのときも
「くわは野球やるよね??」
なんて言いながらこども用のバットと柔らかいボールを確保して待っている。
ぼくは他のこどもたちを見ていなければならなかったけど、いつもしょうがなさ半分かわいさ半分でそいつと野球をはじめるハメになる。
そいつが学童に来てからしばらくは、下投げのやまなりの球しか打てなかった。
ようするに誰でも投げられる球だから、ぼくが投げなくてもよかったわけで、ぼくは別の指導員が投げる後ろで、時々転がってくる球をその指導員に返しながら
他のこどもたちと鬼ごっこをしたり、ドッジボールに参加したりしていた。
でも、秋が過ぎ、冬になるころから、そいつや他のこどもたちは、やまなりの球ならガンガン打つようになって、ボールは狭い狭い園庭を飛び出して学童の屋根に乗ったり、道路に飛び出すことも多くなった。
そうなると、ぼくはこどもたちと「対戦」することになる。
話はそれるけど、学童には「くわ専用グローブ」がある。
勝手にぼくが決めただけだけれど、こどもたちはそれを知ってて、ぼくがいる日はその黄色いグローブを使わないでいてくれた。
ぼくはその専用グローブをつけ、野球選手よろしく上投げで、コースは甘いけれど、小学校低学年に投げる球とは到底思えないストレートを投げ込む。
「くわ、それ速いよ~」
最初は少しだけ文句を言っていたけれど、でも、こどもたちはそれを目の色を変えて真剣に打ち返そうとする。
当然のことながらはじめは誰も打てないんだけど、そのうち誰かがバットに当ててくる。
そうすると、「自分もできる!」ってみんなが思うらしく、だんだんと当てられるようになる。
まぁでも当然のことながら、打てるヤツと打てないヤツとの差がでてくるわけで
打てるヤツには上投げ、打てないヤツには下投げという風にこどものレベルにあわせることになるのだが…
そいつは、というと左打席に立つという以外は特に目立たなかった。
主に下投げで打っていて、ときどきやる気を出した時は上投げを打とうとしてた。
つまりは…あんまり上手ではなかった、ということだ。
そんな日が冬から春にかけて続いていた。
2月になり、ぼくが「学童をやめる」という感傷を隠しながら、WBC決勝ラウンドの興奮をこどもたちとケータイのテレビで楽しんでいるころ、そいつのおかあさんがぼくにいった。
「あのこ、うちで桑本先生と野球をして、先生の球を打った!って話してくれるんですよ」
っていう話をしてくれた。
そいつのおかあさんは、こういうことも言ってくれた。
「あのこ、先生のことを本当に尊敬してるみたいなんです、野球教えてもらってる、うまくなってるって」
そういえば、最近あいつ、正直あんまり打てないのにムキになって上投げを打とうとしてたっけ、おぉ、そう言えば2年生になったら野球を始めるとかっていってたよな…
「そうなんですか!いやぁ、そんなこと言われたら、また内定を蹴る口実が増えちゃうじゃないですか~」
って、そのときは冗談まじりでそんなことを言っていたけれど。
そんなことがあってしばらくして、小学校も大学も春休みになった。
そして、ぼくが学童を離れる一日前(金曜日)が、そいつとぼくとが学童で会える、最後の日になるはずだった。
いつものように、そいつや他のこどもたちとぼくは野球をやっていたのだけれど
ぼくはいつもより丁寧に、真ん中にストレートを投げ込んで、みんなはいつもより、思い切ったスイングをしていたように思う。
部屋に入る前にそいつと対したとき、そいつがいつも以上に真剣にバットを握ってるのがわかった。
ぼくは案外落ち着いた気持ちで、そいつにも上投げのストレートを投げていた。
そうすると、今まではそこまでいい当たりがなかったのに、最後の一球だけイチローみたいな強烈なピッチャー返しで、ぼくのストレートを打ち返してきた。
ぼくのほうがびっくりして、避ける間もなく顔面に打球を食らった。
いつもなら、死球を食らって乱闘を仕掛ける外国人選手みたいな感じで、打ったヤツと追いかけっこになるんだけど…
そのときはそんなことより、うれしさの方がよっぽど大きかったのを覚えてる。
そのあと、そいつのおかあさんがお迎えに来たときに
「実は、今日が先生と会える最後の日だったんですけど、月曜日に少しだけ先生にご挨拶がしたいからって」
と、言ってくれた。
そいつはその日から親戚の家に行く予定で、月曜日も学童には来ないはずだったんだけど、どうやら予定をずらして顔を出しに来てくれるようだった。
そして、そいつと会える本当に最後の日、その日の外遊びが終わってからが、そいつとぼくの最終打席になった。
そいつは、みんなが部屋の中に入ったのを見計らって、ベースとバットとボールをいつもの場所に置いて待っていた。
ぼくは一度片付けたくわ専用グローブをつけて、そいつと対した。
ぼくはいつも通りに、ストレートを真ん中に投げ込むはずだったんだけど・・・
いろんな思い出が頭の中を駆け巡ってきて、それまでとは別人のようなコントロールの悪さで一球一球が大きくストライクゾーンを外れていった。
結局、そいつもバットを持ったまま、左打席でバットを振ることなく終わった。
そいつにとって、不完全燃焼に終わったに違いない対決のあと、帰り際、そいつが言ったんだ。
「ねぇくわ、くわの球が打てるようになったら、野球選手になれるかな?」
今まで野球の話はしても、野球選手になりたい、とは決して言わなかったそいつが言ったんだから、ぼくはそいつの言葉と、そのときの声を、絶対にわすれたくない、って思ったんだ。
いつかそいつが、野球選手になること以外の夢を見つけたとしても。
…
今は彼ももう高校生になっているはずです。
どんないい男になっているか、会ってみたいものです。
改めて読み返すと、本当に温かい気持ちになりました。