★ 「ふつうの子」として育ち、実はADHDだった!?
☆発達凸凹一家は個性濃いめで大変だけど面白い
★我慢して、頑張り続けてメンタル病んだわたしが、パニック・うつ・カサンドラから抜けられた!
☆【自分発掘】で自分を知ったことで生きやすくなった
▼そんな
こう見えて(どう見えて?
)
ニャオこは元保育士でして
当時は
入れ替わりが激しい私立の保育士業界
としては、園を変わりながらも
気づけば
トータル10年以上保育士してました
*(当時は組合のない私立の保育園が多く
保育士と家庭を両立するのが難しい様な
頃でした)
▽▲▽▲▽▲
子どもたちからは
毎日、笑いや驚きがあり
日々の変化や成長にエネルギーをもらい、
そういった活動的で刺激に溢れた仕事が
性質に合っていたのだと思います
大変なことも多々あったけれど
好きだから
頑張れたのです
しかも
若かったから
半端ない情熱でもって![]()
運動会や生活発表会(劇やオペレッタ、歌や合奏)といった行事までの準備にも
全力投球!!
(↑熱があっても休むことは考えられないぐらい)
退職する際には、やり切った感が
大きかったですね
それぐらい保育士に全力を注ぎ
悔いがないニャオこなのですが
ただですね、
保育士って、こうして精一杯
子どもと関わっていればいいというわけ
だけではなく
当たり前だけど
裏方業務があるのです
日々の保育の準備、保育計画、
保育日誌、記録、事務作業等々、、
これらの仕事は、まあまあ苦手で
とてつもなく
仕事が遅くって苦労してました💧💧
↓↓↓↓↓
最初の園は、学年リーダーを中心に
教わりながら
チームワークでしていたので
作業効率も良くて
職場の団結にも繋がっていたと思います
わからないことは直ぐに聞けるので
独断的保育にもならず
準備などできていず取り残されることも
なかったんですよね
それらを後輩先生にも継承していけて
お互いに学び合えたのです
ところが、、、、
2つ目の園では
1人担任していると
クラスのことは全て
1人でやり遂げなければ
いけなくなり
居残ってばかりで大変でした![]()
▼△▼△▼△
発達障がいの影響で
能力検査で動作性(処理速度)に難があるとわかった今
そりゃ必死だったよね
って
思います![]()
年間のクラス全員の記録といった
提出物も毎回遅れていたにも関わらず
当時は発達障がいの認知すらも
無かったのに
めちゃくちゃ指摘され怒られた記憶はなく
今振り返ると有り難かったんですよね
(OLだったらアウトだよね
)
いい職場に恵まれていたんだと思います(職場によってはいじめで壊れていく
先生もいるみたいなので)
当時の保護者からも温かい言葉を
かけて頂いたりしながら
子育て経験もない
若造のわたしを見守ってくださり
感謝しかありません
何十年たった今も
当時の先生方や教え子たちとも
繋がれているから時々振り返り
なつかしく思います
当時はまだ女性ばかりの職場だったので
それなりに人間関係の悩みはありましたが
ADHDのわたしでも
職場の雰囲気や対応、システムに
よっては
出来ないことで自己肯定感が下がって
仕事に支障を及ぼすまではいかず
救われていました
子どものことに集中
保育士という仕事にまい進
できたことで
最後まで
誇りを持たせてもらえ幸せだったと
思っています✨


