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はやと 32歳 電機メーカー営業
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朝はフレックス出勤に限る。すし詰めというよりは漬け物のような満員電車によって大量のエネルギーを消費するのは、一日の始まりとしてだけでなく人生において非効率的だ。
10時頃に事務所に着き、メールを確認する。やはり。昨日、顧客からの理不尽な要求に対して、交換条件を出しておいた。ギブアンドテイクで折り合いをつけるしかない。
私の想定通りのストーリーだ。
入社二年目の部下は長電話をしている。社内の技術部門と揉めている。そんなに詳しく話す必要はないと思う。そもそもの依頼内容が不明確だから相手が納得していないのだろう。
後でフォローが必要だ。
とりあえず、煙草を吸おう。一階下の喫煙所には部下の中では話が通じる奈々がいるはず。奈々は30才目前にも関わらず、結婚する気もなく、しかしキャリアウーマンほど仕事に情熱を注いでいるタイプではない。毎晩浴びるように晩酌することと年に2回会社員としては非常識な長期休暇を取り海外の僻地を単身で旅行を生きがいにしている。バックパッカーというらしい。
奈々は窓際の指定席で高層ビルのわずかな隙間にある空を見ながらタバコを吸っていた。
「おはよう。」
恐らく、私が入ってきたことに気がついていたのだろう。私が声を掛けると同時に顔をこちらに向けた。
「おはようございます。また寝不足ですか?」
人懐っこい笑顔で一見癒し系の犬顔だが、実はドSで人をコントロールするタイプだ。人は外見で判断してはならない。
「昨日からモナコグランプリがはじまったからね。」
「ライコネンと知り合いになったら紹介して下さいね。」
F1は企業が最先端技術と莫大な金を注ぐ商業スポーツであり広告イベントだ。そんな巨大な資本主義の欲望の中で人間の手ではどうにもできないことが起こることがおもしろい。
休日は出不精でめんどくさがりの私が鈴鹿グランプリであれば心踊る思いで観戦ツアーを仕切る。(といっても彼女と二人の観戦ツアーだが。)
昨年はF1に興味のない彼女の気分を盛り上げるためにスーパーアグリのTシャツと日焼け対策を兼ねた帽子を彼女にプレゼントし、決勝までの3日間毎日ホテルのある名古屋から鈴鹿に通った。
今年は誰と行くのだろうか。
昨年一緒に行った彼女とは10月に結婚する予定だった。
何もかもが上手く行ってると思っていた。
1年半同棲し、平日帰りの遅い私のために料理や掃除を喜んでしてくれていた。
休日は昼まで寝かせてくれ、時々温泉に出かけることがデートだった。
プロポーズに涙を流して感動してくれ、彼女の両親も喜んでくれた。
なのに、どうして?
はじめはよくあるマリッジブルーだと思った。
仕事でトラブルがあり終電ですら帰れない日が続いた金曜の夜、家の玄関を開けるといつもは既に寝ているはずの彼女が起きているようだった。
「ただいま。」
背広を脱いでハンガーに掛けようとクローゼットの取っ手をかけようとした時だった。
泣いてる?
「私1人が我慢して全てうまく行くならそれで良い。」
何についての話なのか全くわからなかった。
それから1ヶ月は仕事をなるべく早く切り上げて、真っ直ぐ帰宅する毎日。
ある日は花束を片手に帰り、ある日は過去に記憶がない会社帰りに待ち合わせをしてのデートをした。
とにかく彼女の話を聞いた。
「みんなが幸せなら、私が不幸でも良い。結婚はするからあなたは他に彼女でもなんでも作れば良いのよ」
何が問題で、何が原因で、何をしたら良いのか全くわからない。
仕事は忙しくて浮気をする時間なんてない。(付き合いでコンパやキャバクラぐらいは行くが。。。)
いつもと違うことが気分を逆撫でしているのだろうか?ならば、これまで通りの方が良いか?いや、これまでの何かが原因でこのような状況になっているのだから、これまで通りで良い訳がない。
結婚式1ヶ月前の10月の日曜日に彼女と彼女の両親が、結婚式の延期を正式に依頼された。
彼女は一旦実家に戻り時間と距離を置くことになった。
そして、私は煙草を止めた。彼女が私の元に戻ってくるまでという期限付きの禁煙だ。
禁煙は半年間続いた。
自分の郵便物を取りに来た時にタバコの匂いが薄らいで行くことに気がついただろうか。
あんなにタバコの匂いが嫌いな彼女が気づかないはずはないだろう。
リビングのテーブルに吸い殻の積もった灰皿はない。
彼女は実家を出て一人暮らしを始めたらしい。
私が仕事でよく行く町だ。
駅でコンビニで、道端でばったり会うかもしれない。連絡を取ってごはんにも誘いやすい。
彼女は新しい彼氏との間に子供ができ、結婚をした。そして、私は禁煙を止めた。
「どうしたら幸せになれるんだろう?」
時々、私は奈々と会社を抜け出して近くの公園へ逃亡する。
社内では大きな声で話せないことがあるとき(大抵はお互いが握った次の人事情報について)、共通の社内の敵に対しての対策会議(主にゆとり世代の部下と頑固な管理職について)、ヒマなとき。
「相手を信頼してれば幸せになれますよ~。」
奈々は最近彼氏ができ、男女関係について何か答えをだしたらしい。
「相手を信頼したいよ。メールの返信が遅くても友達とごはんを食べているんだろうって。でも、○○ちゃんと飲んでたと言われると安心できるけど、友達と飲んでたと言われると男?女?コンパ?って不安になるんだよ。でも、そんなこといちいち聞きたくない」
彼女はいつ他の男(正しくは旦那)に出会ったのか?結婚式の準備をしながらコンパに行っていたのだろうか。それとも離れてから誰かに紹介してもらったのか。紹介した人は誰だ?共通の友達でなければ、以前に家に来た三人の友達の誰か?
こんなバカな妄想をしないでいい信頼できる誰かがそばにいてくれるだけでいい。
もともと詮索されることはあっても詮索することはなかった。彼女の行動は気にならなかった。
彼女とうまくいってた以前の自分はもういない。
そもそも、自分がどこまで赤の他人を信頼できるか信じられない。
ここまで来ると自分との戦いだ。
「高橋さん、もうすぐ15時になりますよ。」
事務所に戻って、部下が軌道をずらした仕事の方向修正をしよう。
先延ばしにして良い仕事はあるが、小さなほころびを見逃してはいけないことのほうが多い。取り返しがつかなくなる。
はやと 32歳 電機メーカー営業
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朝はフレックス出勤に限る。すし詰めというよりは漬け物のような満員電車によって大量のエネルギーを消費するのは、一日の始まりとしてだけでなく人生において非効率的だ。
10時頃に事務所に着き、メールを確認する。やはり。昨日、顧客からの理不尽な要求に対して、交換条件を出しておいた。ギブアンドテイクで折り合いをつけるしかない。
私の想定通りのストーリーだ。
入社二年目の部下は長電話をしている。社内の技術部門と揉めている。そんなに詳しく話す必要はないと思う。そもそもの依頼内容が不明確だから相手が納得していないのだろう。
後でフォローが必要だ。
とりあえず、煙草を吸おう。一階下の喫煙所には部下の中では話が通じる奈々がいるはず。奈々は30才目前にも関わらず、結婚する気もなく、しかしキャリアウーマンほど仕事に情熱を注いでいるタイプではない。毎晩浴びるように晩酌することと年に2回会社員としては非常識な長期休暇を取り海外の僻地を単身で旅行を生きがいにしている。バックパッカーというらしい。
奈々は窓際の指定席で高層ビルのわずかな隙間にある空を見ながらタバコを吸っていた。
「おはよう。」
恐らく、私が入ってきたことに気がついていたのだろう。私が声を掛けると同時に顔をこちらに向けた。
「おはようございます。また寝不足ですか?」
人懐っこい笑顔で一見癒し系の犬顔だが、実はドSで人をコントロールするタイプだ。人は外見で判断してはならない。
「昨日からモナコグランプリがはじまったからね。」
「ライコネンと知り合いになったら紹介して下さいね。」
F1は企業が最先端技術と莫大な金を注ぐ商業スポーツであり広告イベントだ。そんな巨大な資本主義の欲望の中で人間の手ではどうにもできないことが起こることがおもしろい。
休日は出不精でめんどくさがりの私が鈴鹿グランプリであれば心踊る思いで観戦ツアーを仕切る。(といっても彼女と二人の観戦ツアーだが。)
昨年はF1に興味のない彼女の気分を盛り上げるためにスーパーアグリのTシャツと日焼け対策を兼ねた帽子を彼女にプレゼントし、決勝までの3日間毎日ホテルのある名古屋から鈴鹿に通った。
今年は誰と行くのだろうか。
昨年一緒に行った彼女とは10月に結婚する予定だった。
何もかもが上手く行ってると思っていた。
1年半同棲し、平日帰りの遅い私のために料理や掃除を喜んでしてくれていた。
休日は昼まで寝かせてくれ、時々温泉に出かけることがデートだった。
プロポーズに涙を流して感動してくれ、彼女の両親も喜んでくれた。
なのに、どうして?
はじめはよくあるマリッジブルーだと思った。
仕事でトラブルがあり終電ですら帰れない日が続いた金曜の夜、家の玄関を開けるといつもは既に寝ているはずの彼女が起きているようだった。
「ただいま。」
背広を脱いでハンガーに掛けようとクローゼットの取っ手をかけようとした時だった。
泣いてる?
「私1人が我慢して全てうまく行くならそれで良い。」
何についての話なのか全くわからなかった。
それから1ヶ月は仕事をなるべく早く切り上げて、真っ直ぐ帰宅する毎日。
ある日は花束を片手に帰り、ある日は過去に記憶がない会社帰りに待ち合わせをしてのデートをした。
とにかく彼女の話を聞いた。
「みんなが幸せなら、私が不幸でも良い。結婚はするからあなたは他に彼女でもなんでも作れば良いのよ」
何が問題で、何が原因で、何をしたら良いのか全くわからない。
仕事は忙しくて浮気をする時間なんてない。(付き合いでコンパやキャバクラぐらいは行くが。。。)
いつもと違うことが気分を逆撫でしているのだろうか?ならば、これまで通りの方が良いか?いや、これまでの何かが原因でこのような状況になっているのだから、これまで通りで良い訳がない。
結婚式1ヶ月前の10月の日曜日に彼女と彼女の両親が、結婚式の延期を正式に依頼された。
彼女は一旦実家に戻り時間と距離を置くことになった。
そして、私は煙草を止めた。彼女が私の元に戻ってくるまでという期限付きの禁煙だ。
禁煙は半年間続いた。
自分の郵便物を取りに来た時にタバコの匂いが薄らいで行くことに気がついただろうか。
あんなにタバコの匂いが嫌いな彼女が気づかないはずはないだろう。
リビングのテーブルに吸い殻の積もった灰皿はない。
彼女は実家を出て一人暮らしを始めたらしい。
私が仕事でよく行く町だ。
駅でコンビニで、道端でばったり会うかもしれない。連絡を取ってごはんにも誘いやすい。
彼女は新しい彼氏との間に子供ができ、結婚をした。そして、私は禁煙を止めた。
「どうしたら幸せになれるんだろう?」
時々、私は奈々と会社を抜け出して近くの公園へ逃亡する。
社内では大きな声で話せないことがあるとき(大抵はお互いが握った次の人事情報について)、共通の社内の敵に対しての対策会議(主にゆとり世代の部下と頑固な管理職について)、ヒマなとき。
「相手を信頼してれば幸せになれますよ~。」
奈々は最近彼氏ができ、男女関係について何か答えをだしたらしい。
「相手を信頼したいよ。メールの返信が遅くても友達とごはんを食べているんだろうって。でも、○○ちゃんと飲んでたと言われると安心できるけど、友達と飲んでたと言われると男?女?コンパ?って不安になるんだよ。でも、そんなこといちいち聞きたくない」
彼女はいつ他の男(正しくは旦那)に出会ったのか?結婚式の準備をしながらコンパに行っていたのだろうか。それとも離れてから誰かに紹介してもらったのか。紹介した人は誰だ?共通の友達でなければ、以前に家に来た三人の友達の誰か?
こんなバカな妄想をしないでいい信頼できる誰かがそばにいてくれるだけでいい。
もともと詮索されることはあっても詮索することはなかった。彼女の行動は気にならなかった。
彼女とうまくいってた以前の自分はもういない。
そもそも、自分がどこまで赤の他人を信頼できるか信じられない。
ここまで来ると自分との戦いだ。
「高橋さん、もうすぐ15時になりますよ。」
事務所に戻って、部下が軌道をずらした仕事の方向修正をしよう。
先延ばしにして良い仕事はあるが、小さなほころびを見逃してはいけないことのほうが多い。取り返しがつかなくなる。