深度26幸せ「コミュニケーションツールという怪物」の巻き


最近の子は携帯小説を本よりも接する機会が多いのだと聞いた。

これはとても危機的状況である。

携帯小説が悪いというわけではなく、人間の歴史の中で活字による表現は文明の開始時期まで遡る。あ、おいら馬鹿だね。活字が始まるから文明創世記なんだよね。

はじめは洞窟の壁に活字は残された。石版、木管、そして紙の発明、紙を得て活字はより一般的になり、文化となった。紙に刻まれた作品は膨大になった。そして現在・・・・紙から電子に。電子で表現されている文章は容量の限界とともに紙の情報量を移行するには器が小さく種類も限られる。お手軽が優先され、過去の宝を見落とすことにもなりかねない。携帯電話ここまで来たか!という思いと、携帯のない時代はよかったと思い知らされる。


なぜだろう。携帯電話を家に忘れたとき、心が落ち着かない。それは最大のコミュニケーションツールだからか。

本より手軽で重さもない。面と向かって話すよりもコミュニケーションが気楽。携帯が壊れると二度と会えない人が大勢いる。手帳に残さない。アドレス帳も持たない。なるほど携帯はどんどん怪物化するわけだ。

 コミュニケーションツールは当然ながら便利だが人を狂わせる。他愛もない個人の意見が尊重され、無軌道に彷徨う。PCも同じだ。なぜ人を死においやる。たかがツールが。僕は巨大なトイレの落書きだと思っている。トイレの落書きは低俗極まりなく、大概誰かを中傷する内容が多い。トイレの落書きはましだ。そこへ訪れた人しか目にすることがないから被害が少ない。テレビも新聞も雑誌も倫理的監視機関が存在する。なぜなら大勢の人々に垂れ流されるからだ。そこには危険が伴うために監視が必要となる。まだ電子ツールの監視は甘い。そこには選択される制約もない。だから炎上して攻撃があり、時として人を死においやる死神が居座ってしまう。


ピグをやっている私がいうのも可笑しく思われるかもしれないが、これはあくまで仮想空間である。そこでの発散はあり、一期一会もある。認める。ただ、あくまでも仮想空間であることを忘れてはいけない。少なくともピグで彼氏や彼女などという概念は疑問に思う。恋愛やコミュニケーションはもっと困難で難解で相手を思いやる精神が要されるものだから。コミュニケーションツールは人を救いもするし壊しもする。そういう責任を負って活用する心根をもってほしい。人に何かを発信することは恐ろしいことだと自覚してほしい。


あるドキュメンタリーの巨匠が、一人のサリドマイド児(安全で無害な薬品を混合してつくられたサリドマイド剤。しかし、その安全であるはずの合成薬は、肩から直接手首を生やしてしまう奇形児を大勢作ってしまった。その歴史上最悪の錠剤は、今もなお貧しい国で悲劇を生み続けている)を幼少のころから追い続けてドキュメンタリーを制作し続けた。そこには人の不平等や差別や社会への警告があった。素晴らしいその作品は数々の世界的賞を獲得していった。そして巨匠と呼ばれるまでに男はなった。しかし、ある日、そのサリドマイド児が巨匠に言った。「あなたは僕を撮影し続けてテレビで放送してきた。ぼくは良くも悪くも平凡なサリドマイドではなくなってしまった。今日ぼくは20歳になります。さて、あなたはこの後ぼくの人生をどうしてくれるつもりですか?」

巨匠はそれ以来一本もドキュメンタリーを制作することが出来なくなってしまった。これがドキュメンタリーの限界であると僕は思っている。誰かが表現して大勢の目に触れ、誰かが何かを思う。それが大きなコミュニケーションの宿命である。誰でも簡単に不特定多数へ発信できるコミュニケーションツールは剣などではない。巨大な爆弾である。沢山の活字に触れてほしい。そして選択眼を養ってほしい。何が正しくて何が間違っているかを考えてほしい。するとおのずと感じてくる。これは納得できる。これは納得できない。しかしどれも一つの意見である(でしかない)と。真実を見極めるのは難しい時代であるが、人に考える力が残っている限り信じたい。もう一度立ち止まって考える努力を惜しまないでほしい。

映画「スパイダーマン」ではこんな大切な言葉がある。「大いなる力には大いなる責任が伴う」

くしくも主人公の青年は新聞社で働いている。コミュニケーションツールは今や小学生でも手にしている。誹謗中傷を書き込む小学生たちのツールもあると聞く。あなたが手にしている携帯もPCも大いなる力であることを自覚してほしい。それは血の通ったツールであることを切に願う幸せ幸せ幸せ幸せ