あらためて彼が初めて歴史に登場するのは1568年の生駒家長にたいする書状である この人物は織田信長のもっとも愛した女吉乃の兄にあたる人で吉乃は後の織田家の相続者になる織田信忠の母です 他に徳川家康の長男である信康(のちに謎死)に嫁ぐ五徳姫と次男になる織田信雄を産んでいる 織田家にとってとても親密な家であることがわかる その生駒家長に対して当時の木下藤吉郎(秀吉)と木下小一郎(秀長)の2人連名で年貢代行のお礼と追加微収のお願いを頼んでいるのだ 桶狭間の戦いが1560年だから藤吉郎も小一郎もきわめて若い時期だということがわかる おそらく藤吉郎は20代後半から30代前年 小一郎にとってはまだ20代であったろう 彼等兄弟が桶狭間の戦いに参戦していたかはわからない…が書状の内容から実際には軍務よりは行政事務などの仕事をしていたことが推測される しかも織田信長のかなり身近な身分だったのだろう 連名で書状を出していることからこの兄弟の身分格差はそれほどなく各自がそれぞれ信長の直臣として仕えていたのではなかろうか⁉︎ このあと2人の足跡はしばらく途絶えることになるがこの立場からどのように出世していくのであろうか?城の石垣の補修を職人達で組分け競争させることで素早く了らせたとか城の炭薪奉行に任命され大胆なアイデアにより大幅な節約を成し遂げたなどあながち作話ではなさそうだと感じることができる なおこの生駒家はのちに讃岐(香川県)などを領有する大名になりその一族は江戸時代をも乗り切り血脈は現代においても受け継がれている