善悪を超えたところで物事が進行していくと

自分の日常を周囲に合わせる必要にかられる。


すると、体調はなんとか保てても、

感情のコントロールがうまくできなくなったり、

休息が休息となり切れなかったりして、

色々な『見たくない自分』に出くわす機会が多くなる。


気分転換の効果は短い。


日常を構築するためには、

どうやら

適材適所にルールを定めることが

理に適っているようです。


私の3元素は、


睡眠・食事・笑い。


どれが欠けても、日常はつくれない。


挑戦し続ける人生を歩む覚悟はできているつもりだけれど、

次のステージに上がるためには

変えようのない事実に対処する能力に、

余裕が出てこなきゃならない。


今、やっと、


自分のために行動する気持ちが湧いてきました。


少しずつですが、

特段書くことでもないような戯言を

書き込んでいきたいと思います。


みぃみぃ
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「悪いこと」と
決めつけてしまうのは
どうも
癪に障るけれど、

どうしてこうも
「悪いこと」ばかり
起こってしまうんだろうと
悔しさに
打ちのめされてしまう時ってありませんか?



私は
どうやら
今がその時のようです。


悔しくて、
悔しくて、
たまらないのは、


最善を尽くしたと
言えないからでしょうか。



しがない学生風情の身。


自分のために
動く時は
行動領域は無限大に広がるのに、


自分以外の人のために
何ができるだろうと、

自分なりに
精一杯考えた計画を提示しても、

まともに取り合って貰えない。


とても
とても
悔しい。



自分の慣れ親しんだ

故郷のカタチが


凄いスピードで


崩れていくのが


とてつもなく


怖い。



事実は重すぎるくらいにのしかかってくるのに、


言葉にすると
あっという間に飛ばされてしまいそうなくらい儚く、陳腐なのが、


私を酷く
億劫にさせる。



「よく聞く話」

「現代的問題」

「不可避的現象」



私にとって、
胸を引き裂かれそうなほどに
苦しいことでも、


一般化しようとすれば、

適当なカテゴリーは
豊富に揃っている。


「私に起こった事実」は、

一つしかないのに、

そんな


「1つ」


が、この国には溢れている。



さぁ、自分に

なにができるでしょうか?


秋の涼を肌に感じながら、学生食堂に向かって歩いていると、


「すいません」


と、声を掛けられた。


若い男性。

まだ秋口なのに既にニット帽を被っている。

褐色の肌と
大きな眼が印象的な
人が、
私に向かって声を掛けてきた。



はて。



友達になって欲しいそうである。


友達は、多い方が楽しい。


友達で良かったら、いつでも成りますよ。


二つ返事で友達に。

現代って便利だ。


赤外線で自分の情報を交換するだけで、

「友達」というカテゴリーに分類できるのだから。


さて、そんなことを思いながら交換すると、

彼はそそくさとその場を去った。



…。



この出会いは、
私にとって
どのような意味合いを持つのだろうか。


今は、
それを知るよしもない。