世界中を旅して周った私田中が、心に残った癒しのエピソードを綴ってまいります(^^)どうぞお付き合い下さい☆
まずは、「天国に一番近い島」と称され、同名の小説や映画でも知られるところとなったニューカレドニアです。グランドテール(本土)とロワイヨテ諸島からなるニューカレドニアは、19世紀後半、ジェームズ・クックによって発見され、19世紀半ばにフランス領となりました。「カレドニア」は、古いラテン語でスコットランドのことで、島を見たクックが、祖国であるスコットランドの風景に似ていると思い命名したということです。現在の住民は、約4割がカナック(先住民族)、約3割がヨーロッパ系、その他アジア系、ポリネシア系などで、公用語はフランス語ですが、メラネシア・ポリネシア諸語、クレオール語も使われています。 ニューカレドニアの空の玄関口であるヌメア=ラ・トントゥータ国際空港へは、日本から直行便で約8時間半の旅です。首都であるヌメアは、空港から約 ㎞離れており、本土の南部に位置する海沿いの街です。市内のシトロン湾やアンスバータ・ビーチには、ホテル、レストラン、ブティックが並び、マリンスポーツのみならず、欧風のお洒落な雰囲気でグルメやショッピングを楽しめます。ヌメアの象徴的存在とも言えるのが、19世紀末に建造されたサン・ジョゼフ大聖堂。2つの鐘塔は高さ25m、内部にはステンドグラスやシャンデリア、パイプオルガンもあり、フランスの教会のようです。入口近くの貝の形をした聖水盤には、天然の巨大シャコガイが用いられています。島の歴史、文化、建築などに興味があるなら、ニューカレドニア博物館、ヌメア市立博物館、チバウ文化センター(レンゾ・ピアノ氏設計)へ足を運んでみるのも良いでしょう。 ニューカレドニアには、フランス料理、メラネシア料理、アジア料理など様々な地域のグルメが混在しています。シーフード好きなら、シャコガイやタカセガイ、ロブスター、そして「天使のエビ」と呼ばれる、ニューカレドニアが誇る高品質の養殖エビを味わってみてください。メラネシアの代表料理「ブーニャ」は、ヤムイモやタロイモ、野菜、鶏肉や魚をバナナの葉で包み、ココナッツミルクで味を付けて蒸し焼きにしたものです。もともと結婚式などお祝いの席に出される特別な料理ですが、現在ではホテルなどでも提供されているようです。 地元の日常の食文化を体験したいなら、市場を覗いてみましょう。ヌメアで最大の市場は「モーゼル湾の朝市」です。パイナップル、マンゴー、パパイヤなどのトロピカル・フルーツが並び、フレッシュなココナッツ・ジュースをその場で飲むこともできます。シーフードコーナーには、エビ、タコの他、マングローブ蟹、シイラ、ボラ、シャコガイなどエキゾチックな海の幸が。立ち飲みスタンドもあり、時間帯によってはバンドの演奏もあります。「地元の伝統音楽を」とリクエストすると、ミュージシャン達は喜んで演奏してくれることでしょう。 勿論、観光客のためのお土産も充実しています。また、フランス系のスーパーマーケットもあり、フランスとほぼ変わらない品揃えですが、価格は高めです(ちなみに、物価水準はパリの概ね1.5倍だそうです)。 好天気に恵まれたら、是非離島へのエクスカーションを。本土(モーゼル湾)からボートで約 分のアメデ島。その一帯は、オーストラリアのグレートバリアリーフに次いで世界第2の環礁です。徒歩分で一周できるこの小さな島の中央には、高さ56mの白亜の灯台がそびえていて、247段の螺旋階段を昇れば、絶景が目の前に。無人島ですが、ランチがセットになったツアーもあります。 「南太平洋の宝石箱」、イル・デ・パン島へは、ヌメアから飛行機で 分、フェリーで2時間半。日帰りツアーも可能ですが、ホテルもあるので、宿泊すれば時間を気にせずターコイズブルーの海を満喫することができます。お勧めスポットは、真っ白なパウダーサンドのクト湾、シュノーケリングが楽しめるカヌメラ・ビーチ。そして珊瑚の隆起により海水がせき止められてできた天然のプール「ピッシンヌナチュレル」は、いわば自然が造った水族館で、様々な魚と限りなく透明な海を満喫できることでしょう。 ロワイヨテ諸島北部のウヴェア島は、ヌメアから飛行機で約 分、小説の舞台となった島です。紺碧の空、どこまでも続く水平線、海の色はプルシアンブルーとエメラルドグリーンのグラデーション、真っ白な砂浜、ここでは「何もしないこと」が一番の贅沢なのです。巷の喧騒も時間も忘れて、何事にもとらわれずに「天上の色彩」を堪能できたら素晴らしいですね。 次は、フィジーをご紹介しましょう。 フィジー共和国は、最大の島であるビティレブ島の他、約300の島から成ります。 世紀後半英国の植民地となり、以降、サトウキビプランテーションのため、多くのインド人が入島し、現在の住民は、フィジー系6割弱、インド系4割弱、その他ヨーロッパ系や中華系などです。公用語は英語、フィジー語、ヒンディー語。フィジアン(フィジー人)達は、実にフレンドリー、道ですれ違えば皆笑顔で「Bula(ブラ、「こんにちは」、「ようこそ」などの意味)と挨拶してくれます。旅行者である私達は、これと、「Vinaka(ありがとう)」を覚えておきましょう。 国際空港のあるナンディは、ビティレブ島西部に位置し、リゾートホテルやレストラン、ショップも多く、観光客で賑わっています(ちなみに、首都は南東部のスバ)。島南部のコーラル・コースト・エリアには、160㎞続く海岸沿いにリゾートホテルやゲストハウスが点在しており、ダイビングや川下り、ラフティングを楽しめるスポットも近く、緑豊かな自然、真っ白な砂浜、透き通ったラグーンを眺められる客室や、キッチン設備が完備されたホテルもあります。サンセット・シーンの美しさに感動した後は、伝統的な火渡りの儀式を観ましょうか。 季節が3月から7月くらいであれば、南十字星を探しましょう。波の音と潮の香、ヤシの木の上に煌めく星々の神秘的な姿を、映像ではなく現実の事象として認識できたら素敵ですね。 リゾートホテルでは、インターナショナルな食事も摂れますが、フィジーの伝統料理はどんなものでしょうか。日本人にとってお米が主食であるように、フィジアンにとっての「主食」はタロイモやキャッサバ(タピオカの原料)などのイモ類です。伝統料理の代表格は「ロボ」です。 地中に掘った穴に焼け石を入れ、下処理した食材(主に魚や豚肉、タロイモ、野菜など)を、バナナの葉で包んでこの「大地のオーブン」に入れ、時間をかけて地熱で蒸し上げるのです。これも元来は結婚式やお祝い事の際の特別な料理ということで、ニューカレドニアのブーニャと似ていますね。白身魚をライムなどでマリネし、みじん切りにした玉葱やトマトなどの野菜と一緒にココナッツミルクに漬け込こんだものは、「ココンダ」といい、伝統的家庭料理のひとつです。また、前述したように、インド系住民も多いので、美味しい本格インドカレーも食べられます。 フィジーの変わった飲み物をご紹介しましょう。カヴァという胡椒科の灌木の根っこを乾燥させ、粉にし、水と混ぜ合わせます。できた液体もカヴァといい、無味無臭で泥水のような色をしています。飲むと舌に軽い痺れを引き起こしますが、リラックス効果があるそうです(尚、カヴァにはアルコール分は含まれておりません)。 フィジアンの村を訪問するツアーの中には、「カヴァの儀式」を体験できるものもあるようです(従来、この儀式の参加者は男性だったようですが)。 マリンスポーツ好きな方には、ビーチコンバー島(ビティレブ島のデナラウ・マリーナ港から船で約 分)もお勧めです。一周歩いて15分という小さな島ですが、シュノーケリングは勿論、パラセーリングを楽しむこともできます。碧い海と白い砂浜と島の緑と、絵画のような光景を上空から一望できる、素晴らしいチャンスです。 フィジーに滞在していると、焦りとか憤りといった感覚がだんだん薄れていくように感じられます。ここでは時間が実にゆっくりと流れているようです。
by 宮野理香 近年、日本でも知名度が上がり人気が高まっているブルターニュ地方はフランス北西部に位置し、北、西、南の三方を海に囲まれた半島で、面積は約3万4千㎡です。 歴史は古く、旧石器時代後期にはネアンデルタール人が住んでおり、紀元前3万5千年前頃、定住を始めたホモ・サピエンスは、新石器時代、数々の巨石建造物を残しました。紀元前1世紀半ばにローマの支配下に入りますが、それ以前に複数のケルト部族が住んでいました。 5世紀末にはブリトン人が移住し、ブルターニュ王国、公国の時代を経て、後にフランスに併合されますが、ケルト系の文化や風習が今でも根強く残っています。公用語はフランス語ですが、地名などがブルトン語あるいはガロ語との二か国語表記されている地域もあります。帰属意識に関する調査によると、自分を「フランス人」だと思っている人よりも「ブルトン人」だと思っている人の方が多いそうです。 ブルターニュの旅は、この地方の中心都市であるレンヌから始めましょう。 パリ(シャルル・ド・ゴール)空港から空の便もありますが、フランス高速鉄道TGVで移動すれば車窓からの眺めも楽しめます。 パリ・モンパルナス駅からレンヌ駅までは約1時間半の鉄道旅です。レンヌに近づくにつれ、特徴的な灰色の石造りの家屋が見え始めると、「ブルターニュへ来たなぁ」と実感します。訪問時期が夏場ならば、至るところアジサイの花が咲き乱れています。日本のアジサイは上品な淡い色合いが多いですが、こちらのアジサイはピンクも紫もずっと色濃く鮮やか、家屋のグレイとのコントラストが見事で、これぞ「ブルターニュの色」だと思われます。 レンヌの旧市街には中世の街並みが残っています。小腹がすいたら「クレープリー」を探しましょう。ブルターニュ名物のひとつである蕎麦粉のガレットや、甘味がお好みなら小麦粉のクレープを楽しむことができます。 元来、ブルターニュ半島の痩せた土地は小麦の栽培には向きませんでしたが、十字軍によって蕎麦の実がもたらされて以来、蕎麦の栽培が盛んになり、蕎麦粉を水で溶いて薄く焼いた「ガレット」が食されるようになりました。日本でもポピュラーな、主に甘味として食される小麦粉のクレープは、もっと後の時代に作られるようになったものなのです。 ガレットは、シンプルにブルターニュの上質なバターを乗せただけのものが美味しいですが、食事として食べるなら卵、チーズ、ハムを乗せた「ガレット、コンプレット」もお勧めです。飲み物は、コーヒーや紅茶を合わせてももちろん良いのですが、ここはやはり地元の林檎酒・シードルがお勧めです。微発泡でアルコール度数はビールより低く、林檎の香りと酸味がさわやかです。通常、専用の陶製ボウルかカップで提供されます。 レンヌから1時間ほどローカル鉄道で北へと向かうと、ブルターニュきっての観光都市サン・マロに着きます。 6世紀、修道僧の居住地として始まったサン・マロですが、中世の時代にはランス川河口の要塞としての役割を担っていました。現在、城壁に囲まれた旧市街には、海の幸を提供するレストランや土産物店がひしめき合い、1年を通して観光客で賑わっています。 サン・マロから東へ十数㎞ほど離れたカンカルは、謂わば「牡蠣好きの聖地」です。 この辺りは、世界で最も干満の差が激しい地域で、満潮時に海面下に沈む牡蠣の養殖場は、干潮時にその姿を現し、作業用トラクターが行きかいます。大気が澄んでいて視界の良い日には、その先に世界遺産モン・サン・ミシェルを微かに認めることもできます。とれたての新鮮な牡蠣をその場で剥いてもらい、地元のワイン・ミュスカデとともに楽しみましょう。また、フランス古来の品種であるピエ・ド・シュヴァル(馬の脚)という平牡蠣は、日本ではなかなか味わう機会がありませんが、通常の牡蠣とは別物で、まさに海の香りと味を感じられます。 巡礼地として、また世界遺産として名高いモン・サン・ミシェルへは、レンヌからもサン・マロからも直通バスの運行があります。 8世紀、大天使ミカエルが時の司教オベールの夢に現れ、この島に聖堂を建てるよう告げたのが始まりで、百年戦争の頃には要塞としての役目を果たしていました。元々干潮時のみ陸とつながっていたこの島に、19世紀に堤防道路が作られ自由に行き来できるようになりましたが、この影響により砂州化が進行するという問題も起きてしまいました。そのため、砂の堆積を防ぐべく、2009年この道路を取り壊し、2014年、新しい橋が完成。かつての景観が蘇りました。現地へ赴いて、ノルマン様式、ロマネスク様式、ゴシック様式などがミックスされた壮麗な修道院を見学するのも良いですが、遠くから眺めるのもまた美しい風景です。 ブルターニュ半島の北側で最も風光明媚なエリアと言えるのが「薔薇色の花崗岩海岸」でしょう。 花崗岩を形成する長石は通常白色ですが、この辺りの長石は酸化鉄を含むため赤味がかっており、全体として「薔薇色」に見えます。中でもプルマナック村は、2015年「フランス人が最も好きな村」に選ばれました。海岸線に沿って遊歩道が設けられており、様々な奇岩を間近に眺めつつ、野生の花々を愛でつつ、潮風に吹かれて過ごすひとときは本当に気持ちの良いものです。聖ギレックの浜辺に立つ祠には言い伝えがあり、未婚の娘がこの聖人像の鼻に針を刺し、針が落ちなければ1年以内に結婚できるというものです。そのため、元々の木像の鼻に、あまりに多くの針がさされてしまったので、今では石像に代えられたということです。良縁の望む娘さん達にとっての「パワースポット」と言ったところですね。 更に西へ進み、モルレーへ向かいましょう。19世紀半ばに建設された、パリとブレストを結ぶ鉄道のための花崗岩でできた高架橋(上段が鉄道用、下段が歩道)からの眺めは本当に素晴らしいです。 モルレーを起点に北へ進み、風光明媚な海岸のリゾート地カランテックやタラソテラピーで知られたロスコフに滞在し、のんびり時を過ごすのも良いでしょう。南にはサン・テゴネックやギミリオーなどの村々が点在しており、特徴ある教会建築を見ることができます。聖堂、青い御影石を用いた「カルヴェール」と呼ばれる十字架像、凱旋門などから成る「教会囲い地」はこの地方ならではのものです。 大西洋に突き出したラ岬へ足を延ばしてみましょう。荒波が打ちつけ強風が吹きすさぶ隔絶されたこの場所では、まさに「最果ての地」ブルターニュの海を体感することができます。 ブルターニュ南部では、先史時代の遺跡を見ることができます。 海に面し、夏場は海水浴場となるカルナックの街は、メンヒルと呼ばれる巨石建造物が連なる「カルナック列石」で知られています。紀元前5千年~3千年前頃に立てられたとされていますが、その目的は墓石や記念碑、天文や気象観測のためなど諸説ありますが、現在でも解明されていません。 更に南へ行った、塩の産地として有名なゲランドにもメンヒルやドルメン(支石墓)が見られます。ここの塩田から採れる良質の塩は「フルール・ド・セル(塩の花)」と呼ばれ、お土産としても人気です。 その土地ならではの食材を味わうのも旅の大きな楽しみのひとつです。 ブルターニュは海の幸の宝庫。「オマール・ブルー」と呼ばれるロブスターのグリルは、一度は食してみたい絶品です。牡蠣その他の貝類、エビ類、ミソがぎっしり詰まったイチョウガニや上品な味わいのアレニエ・ド・メール(クモガニ)などを、ところ狭しと盛り合わせたプレートは、時間を気にせず賑やかに楽しみたいものです。 ブショ―という木杭を用いて養殖されるブルターニュのムール貝は、小ぶりですが、味は上品で実に美味、エシャロットとパセリを加え白ワインで蒸したシンプルな「マリニエール」がお勧めです。 濃厚な魚介類のスープは、パンを添えて軽食としても良いでしょう。 牛や豚、家禽の飼育も盛んなので、肉好きな人も必ずやお気に入りの一皿を見つけることができるでしょう。 野菜類では、玉葱、じゃが芋、トマトなどの生産量が多いですが、アーティチョークの季節なら、丸ごと塩茹でして好みのソースでワイルドに食べるのも楽しいものです。 もし機会があったら、様々な魅力を持つブルターニュ地方へ、是非足を運んでみませんか。
コラム by 宮野理香 19世紀後半、明治政府により日本に導入されて以降、西洋音楽はすっかり私達の間に浸透し、今では、技術やメディアの進歩とともに、いつでもどこでも様々な音楽に手軽にアクセスできるようになりました。 とはいえ、やはりライブで聴く音楽には、ライブならではの感動や高揚感があり、一瞬で消えてしまう儚さ故の特別感があります。素晴らしいコンサートホールやオペラハウスが建造され、世界中から著名な演奏家が来日する現代の日本では、居ながらにして本物の演奏をライブで楽しむ機会も少なからず与えられてはいます。けれども、現地へ赴くチャンスがあって、本場の音楽を伝統的な空間で聴くことができたら、きっと忘れがたい体験となることでしょう。 ヨーロッパには、新旧を問わず、名だたるコンサートホールやオペラハウスが各地にありますが、それら以外の歴史的建造物で聴くことのできる音楽会を、ドイツ語圏よりご紹介してみましょう。 まずはミラベル宮殿。 この宮殿のあるザルツブルクは、ほぼドイツとオーストリアの国境に位置しており、その歴史は新石器時代にまで遡ることができます。ケルト人、ローマ人に続き中世前期にはゲルマン人が居住を始め、後に大司教区すなわちカトリックの中心地として発展。また、紀元前より岩塩の交易によって栄えてきた街でもあり、「ザルツ(塩)」、「ブルク(砦)」と呼ばれるようになりました。 中世において塩は、「白い黄金」といわれるほどに高価で貴重なものだったのです。 街中を流れるザルツァッハ川左岸には、17世紀に建造された荘厳なバロック様式の大聖堂、ザルツブルク音楽祭のメイン会場となる祝祭大劇場、メンヒスベルクの丘にそびえる要塞ホーエンザルツブルク城、モーツァルト記念館(生家)など数多くの名所旧跡が並んでいます。 一方、ミラベル宮殿は右岸地区に位置します。 この宮殿は17世紀初め、時の大司教が愛人のために建立したものですが、19世紀前半、火災のため大部分を焼失してしまい、後に再建されました。火災を免れた部屋もいくつかあり、そのひとつが、モーツァルトが演奏したこともあるといわれる「大理石の間」です。 現在でもほぼ毎日のようにコンサートが開催され、ハイドン、モーツァルトなどの古典派やシューベルトなどのロマン派の音楽を優雅な広間で楽しむことができます。宮殿附属のバロック庭園も必見です。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地ともなったこの庭園を散歩しながら、音楽会の余韻に浸るのも乙なものではないでしょうか。旅先であっても、ちょっとお洒落をして出かけたいものです。From Schloss Konzerte Mirabell HP 次にご紹介するのは、ドイツ中部テューリンゲン地方の小都市アイゼナハのヴァルトブルク城です。 アイゼナハは、かのヨハン・セバスティアン・バッハの生誕地であり、彼はここで10歳までの少年時代を過ごしました。1907年にオープンしたバッハ博物館には、バッハゆかりの品々が多数展示されており、バロック時代の古楽器による演奏を聴くこともできます。ヴァルトブルク城は11世紀に城塞として始まり、12世紀に後期ロマネスク様式で建造された主要部分が現存しています。 13世紀初頭には、フォーゲルワイデ、エッシェンバッハ、オフターディンゲンなどの吟遊詩人達の歌合戦の舞台となったと伝えられています。 ワーグナーのオペラ「タンホイザー」は、この歌合戦の伝説をもとにしたものです。 そして、有名なバイエルン国王ルートヴィヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城を築城するとき、この城を参考にしたのです。また、宗教改革で知られたマルティン・ルターは、腐敗したカトリック教会に反旗を翻し、福音主義(聖書に基づく信仰)を主張、この城の一室に閉じ籠って、聖書をドイツ語訳しました。当時、教会で使用されていたラテン語は、一部の教育を受けた者にしか理解できなかったからです。 城の見どころは、聖エリザベートのモザイク、歌合戦の壁画、ルターの部屋など。そして、 世紀に再建され、優れた音響効果を持つ「祝祭の間」では、不定期ですが、室内楽や独奏の他、「タンホイザー」も聴くことができます。定員数百名の会場なので、ミニ・コンサート形式となりますが、中世を彷彿とさせる雰囲気の中、過去へタイムスリップして、城主になった気分を味わうことができたら、それはそれは楽しいことでしょう。 最後は、ライン河畔の葡萄畑に囲まれたエーベルバッハ修道院です。 ライン川は、ドイツ人が「父なる川」と呼ぶ、全長約1300㎞の大河で、スイスからオランダまで6つの国を流れています。そして、ライン渓谷中流上部、マインツとコブレンツの間は「ロマンティック・ライン」と呼ばれ、その両岸には特徴的な古城が数多く残っており、なかには古城ホテルに改装されているものもあります。 ラインといえば、ドイツ・ロマン派を代表する詩人ハインリヒ・ハイネの詩による「ローレライ」の歌は、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。伝説の乙女に想いを馳せ、ラインの夕陽を眺めながら、美酒に酔いしれる、などというのも旅先ならではの醍醐味です。 実際、ライン河畔は、ドイツ有数のワイン産地でもあるのです。 中でも最高級のワインを産出するラインガウ地区には、シュペートレーゼ(遅摘みワイン)発祥の地といわれるヨハニスベルク城があり、ワイン蔵の見学、試飲をすることもできます。エーベルバッハ修道院もこの地区に位置します。 12世紀シトー派修道院として設立され、13~14世紀には最盛期を迎えましたが、宗教改革、三十年戦争などに見舞われ、1803年には解散の運びとなってしまいました。その後、多岐にわたる用途に使用されてきましたが、1998年エーベルバッハ財団が設立され、中世の頃より手掛けてきたワイン醸造所として、また文化の担い手としての役割を果たしています。 1985年から1986年にかけては、映画「薔薇の名前」のロケ地となりましたので、ショーン・コネリー主演のこの映画をご覧になった方にはもうお馴染かもしれません。 修道院の中心となるバシリカ(教会堂)はロマネスク様式で、素朴さの中にも威厳を感じます。1987年より毎年夏季約2か月半にわたり開催されるラインガウ音楽祭では、この教会堂もしばしば会場になります。シトー派のストイックな教会堂の中で、純粋に音楽の響きだけに全神経を集中させられるのも、古い宗教施設ならではのことでしょう。ちょっとミステリアスな空間で、いつもの聴き慣れた音楽も違って聞こえるかもしれません。 これらの他にも、庭園や広場での野外コンサートなども季節により楽しめますし、教会でのパイプオルガン・コンサートなどは無料で聴ける場合もあります。旅の行程の中に、いつもと少し違った音楽鑑賞の機会を取り入れてみては如何でしょうか。きっと、唯一無二の素敵な思い出となることでしょう。
現地ガイドの語る夏のミステリーツアー 怪談話というと日本では暑い夏に語られるのが定番のようですが、そんな季節に向け、ヨーロッパ2大都市のミステリアスなおはなしを少々。◆栄枯盛衰の夢を分かち合う亡霊たちの居城、ロンドン塔 乾いた風が通り過ぎる深緑に染まるハイドパークの池の畔を抜けて、観光客がまず向かうのはバッキンガム宮殿でしょうか。次はテムズ河畔を東に歩きロンドン塔を目指します。 ちなみにイングランドで「ゴー・トゥ・ザ・タワー」といえば、ロンドン塔へ物見遊山に行くという意味になります。此処は今も昔もロンドンで一、二を争う大観光スポットです。 この塔は、もともとは11世紀に建設された「砦」で、歴代のイングランド王が王宮としましたが、政治犯の牢獄であり処刑場でもありました。現在は博物館でもあり、1988年に世界遺産にも登録されています。 ここは白い石灰岩の壁で囲まれていますが、20もの塔がそびえ立っています。実は此処を案内する観光ガイドが必ず話題にし、語るのが単なる観光名所ではなく、心霊スポットとして有名であるということ。 ある雨の日に観光で訪れていた女性が塔内をひと通り見て塔から出ようとしたときに、黒い服の女が影のように堂内に入ってきたかと思うと礼拝堂で祈りを捧げるような素振りを見せてから、消えていったというはなし。 幽霊の目撃談はタワーグリーンの広場あたりに多いようですし、他の場所でも得体のしれない幽霊の目撃談が数多く報告されていると、あるツアーガイドは語っています。 さらに、イングランド史上初の女王であるジェーン・グレイ。彼女は即位からわずかで権力闘争に巻き込まれ、反逆者として処刑され首を落とされました。またヘンリー王の王妃であったアン・ブーリンも姦通罪の濡れ衣を着せられ首を落とされました。 このような多くの霊が今も塔内を徘徊しており、目撃談もあるようです。 この塔内には、その処刑台も残されていて、見学も出来るのですが、ある夏の日に、母子親子の観光客をガイドした際、このような幽霊目撃談を語り聞かせたところ、その後で、連れていた女の子が、ガイド嬢に「アンの首を切り落としたのはマサカリではなく刀だったわ。見えたの」と語ったそうです。このアン王女の遺骨は処刑までクサリに繋がれていた処刑台となりの聖堂から発見されたそうです。 夏の昼下がり、ロンドンミステリーツアー。2022年の夏旅の目的地にいかがでしょうか。この現地ガイドさんの案内付きで……。 さて、次はセントパンクラス駅から、山陽新幹線と同じ最高時速300キロの高速列車、ユーロスターに乗って長さ50・5㎞のドーバー海峡トンネルを抜け、最速2時間30分でパリへ向かいましょう。◆あのベルサイユ宮殿のタイムスリップ事件 これはパリ在住のガイドが語ってくれた、あの豪華絢爛さを誇るベルサイユ宮殿での亡霊目撃談です。 今から約100年前のおはなし。 イギリスから観光に訪れた女性二人づれが広大な庭園のプチトリアノン宮付近を散策中、古めかしい格好の男性二人と、テラスの下で白い夏の帽子に緑のスカーフをつけて物思いにふけっているような優雅な女性を目撃します。イギリスに帰国後、気になった二人は、この目撃談を知り合いのある歴史学者に話しました。 すると彼女らが出会ったのは、その恰好からして革命が勃発した1789年当時の衣装であるとわかり、タイムスリップしたのではないかといわれています。 ちなみに彼女らが見たテラスの女性は王妃マリー・アントワネットだというのです。 ギロチンで処刑され、断頭台の露と消えた王妃が今もさまよっているといわれています。あなたも会いに行ってみませんか?◆聖母マリアの聖衣が収められている世界遺産 シャルトル大聖堂 パリ・モンパルナス駅から西へ80㎞、電車で約1時間のところにシャルトルの街があります。 ここに世界遺産シャルトル大聖堂はあります。高さが100mを超える2本の尖塔が天高くそびえています。 此処の名を不滅のものにしているのは、窓から差し込む光線を宝石箱のサファイアのように輝く聖書の物語が描かれているステンドグラスにあります。 シャルトルブルーと呼ばれる青い光が神々しく堂内を染め上げています。 その昔、キリスト教徒で文字が読めなかった者たちはこのステンドグラスに描かれた聖書の物語を見て、神を身近に感じていたといわれています。 またここは清冽な泉が湧き出る地であり、その大地のエネルギーも巡礼者を虜にしたといわれてきました。 その巡礼者をもう一つ虜にしているものに聖母マリアの着ていた「聖衣」が保管されているということでしょう。 聖遺物として祀られているこのマリアの着衣の服地とされているものも見学できるのです。マリア信仰は世界的に大きな広がりを持っていますが、此処のサファイアブルーのステンドグラスと「聖母の聖衣」は必見です。 盛夏のある日、シャルトル駅からプラタナスの緑影をぬけて訪れてみましょう。独特のオーラが感じられる世界遺産です。 前世紀 世紀に活躍していた、現地ガイドさんからのちょっとミステリアスな感もあるおはなしでした。 そのころは、見知らぬ国に土地に、皆が憧れ、「旅」に夢を抱いていた時代でした。国際線の飛行機もコンステレーションやDC-7などのプロペラ機からボーイング707、DC-8などのジェット機の登場があり、1970年には400人以上を一万キロの彼方へ運べるB747ジャンボと呼ばれる飛行機が登場してきました。 その時代に深夜、ラジオを捻ると旅へ誘う番組がありました。それはこんなナレーションで始まります。「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇にこころを休めるとき、遙か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、煌めく星座の物語も聞こえてくる。夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。光と影の境に消えていった遙かな地平線も瞼に浮かんでまいります……」 このあとには、イージーリスニングの名曲が、見知らぬ遠い地へ誘惑の音楽を奏でていました。こんな番組を思い出す方もいるのでは……。 ニューヨーク、タイムズスクェアのホテル49階の回転レストランのピアノバーで「ムーンリバー」をリクエストしながら、いまは無きこの番組の話をしてくださった日本人の方がいらっしゃいました。あとで分かったのは、この番組のスポンサーになっていた航空会社社員のご家族の方でした。「旅」の、良き時代を思い出します。 あなたもコロナ禍を乗り越えた後の、新たな時代の「旅」のプランをはじめませんか。
北欧のミステリアスな古城と「ローマの休日」 1970年代は日本からヨーロッパへ行く場合、現在のようにシベリアの空が開放されていなかったため直行便が無く、北回りと呼ばれる北極圏を通過する大圏ルートが最短コースでした。 欧州、日本間は日本航空をはじめ、ヨーロッパの主要国の航空会社が乗り入れていましたが、なかでも北欧を代表するSASスカンジナビア航空では途中経由地のアラスカ・アンカレッジを飛び立ち、北極圏へ入ると機内では「北極通過証明」というカードをもらうことができました。 これはポストカードにもなっていて、機長がサインをしてくれ、あて先を記入しておくと、後日その住所へ届くという、今ではあり得ないサービスもありました。 SASの場合、東京からデンマークのコペンハーゲンを16時間あまりで結んでいました。 これは、現在の11時間弱とは比較にならない所要時間ですが、当時としては画期的な短時間で日欧を結んでいました。 こんな時代の空の旅を経験されている方もいらっしゃるかもしれませんが、このデンマーク、コペンハーゲンのカストラップ国際空港から北西に約50㎞のスウェーデンとの海峡に面したヘルシンノアの町に、シェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台になったお城、クロンボー城があります。此処はまたミステリースポットとしての一面を持っている場所でもあり、幽霊や霊的な現象に興味を駆られたマニア(?)が訪れる場所でもあります。 まずは地下牢で、スペイン戦争で戦った騎士の石像が出迎えます。 来訪者が像の顔を覗くと閉じている眼が開いて睨まれるといわれています。 そして、その背後の暗闇には、病死した 世紀のデンマーク王妃マチルダの亡霊がさまよっているといわれています。 コペンハーゲンを訪れるツアーでは、定番の観光スポットになっているクロンボー城ですが、ミステリー体験も味わえる一面があります。 さて、カストラップ国際空港に戻り、一気に空路を南下、ローマへ向かうことにしましょう。 アルプスを超える約2時間半のフライトの後、イタリアを代表する芸術家の名を冠したフミチーノ・レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港に到着します。ローマ市内へは、鉄道か空港バスで。 イタリアの首都であるローマは、その歴史と美しさから「永遠の都」と称されている都市であり、ローマ帝国分裂後も宗教と芸術の中心地として繁栄を極め、ヨーロッパ有数の都市であり続けています。現在では人口300万を超える近代都市に生まれ変わっていますが、マエストロたちによる古の芸術は街中のあらゆる場所に今なお生き続けています。 今回は、まず世界最小の国家にして世界遺産、カトリックの総本山ヴァチカンに向かうことにしましょう。 東西約1キロメートル、南北約850メートル、東京ディズニーランド程の大きさ。 これが世界に絶大な影響力をもつ最小の独立国家ヴァチカン市国の全国土です。 このわずかな国土の中に中世ヨーロッパを支配したカトリックの歴史と権威、そしてルネッサンスからバロックの時代にまで通じる宗教芸術の精髄が結集していると言っても過言ではないでしょう。 それではカトリックの深奥に触れることにしましょう。 まずは、サンピエトロ広場からサンピエトロ大聖堂へ。広場はベルニーニの設計によって 世紀に造られた幅約200mの広大な楕円形の広場で、この空間には約40万人が収容出来るとされ、クリスマスや新年、教皇の法話が行われる際など世界中から集まった信者で埋め尽くされます。 中央に建つオベリスクの脇を抜けて正面のサンピエトロ大聖堂に向かいましょう。 ローマ皇帝により4世紀に創建されたカトリック教会の総本山。 世紀半ばころ老朽化にともない再建が決定され、当代随一の芸術家、ラファエロ、ベルルーニ、ミケランジェロなどの当代随一の芸術家たちによって120年の歳月をかけて再建されました。大聖堂は上空から観るとラテン十字の形をしています。 では、堂内に入りましょう。内部には若き日のミケランジェロによるピエタ像やベルルーニの「聖ペテロの椅子」をはじめ300体以上の大作級の彫像群、膨大な祭壇画やフレスコ画によって華やかに装飾されています。 さらにドームの上を見上げてください。明かり採りの窓から差し込む陽光に浮かび上がる、数々の壁画に装飾された天井は圧巻の迫力で感動を呼びます。 つぎは、大聖堂の北隣「システィーナ礼拝堂」へ。 世紀の教皇によって建設されたレンガ造りの礼拝堂です。平時は教皇の執務室としてされており、また教皇を選出する選挙コンクラーベが行われる場所でもあります。内部はルネッサンスを代表する芸術家たちによる絵画で装飾されています。特にミケランジェロの最高傑作といわれる「アダムの創造」と「最後の審判」は訪れた者の目を釘付けにしてやみません。 最後はいちばん北側に位置しているヴァチカン美術館へ。此処は500年以上の歴史をもち、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵している世界最大級の美術館です。カトリック関連の宗教芸術に限らず古代ギリシャ美術をはじめ、世界各地の民族美術や異教の美術、彫刻なども幅広く展示しており、ミケランジェロをはじめとする各時代の芸術家たちも此処のコレクションから多大なインスピレーションを得たとされています。必見です。 ヴァチカンを出て、市内に戻る途中、テヴェレ川河畔にはローマ皇帝の墓所として、中世以降城塞や牢獄として使われたサンタンジェロ城があります。大天使ミカエルの像がそびえる屋上からはローマ市内が見渡せます。 此処は映画「ローマの休日」のクライマックスシーンの舞台として登場します。サピエトロ大聖堂から徒歩10分程度ですので行ってみましょう。 北回り航空路があった時代に思いを馳せつつ、古都ローマまで来てしまいました。 今はシベリア上空を通り約 時間。いつか旅できる日のために、こんな計画、考えてみてはいかがでしょうか。
宇宙の神秘オーロラ体感温泉と都会の空港で星月夜に遊ぶ 『その道は凍てついたツンドラの大地を細長く北に向かって延びていた。 ロバートマニュエルは、6人乗りの大型ランドクルーザーにツアー客を乗せ、フェアバンクスの空港から北緯60度を越えて、北極圏を北へ走っていた。目的地は氷原の中に沸く温泉リゾート、「チェナホットスプリングス」である。その細い道は白く凍った原生林をぬけてゆく。カラマツで造られたゲートをくぐった。入口前には小さなトーテムポールも迎えてくれている。此処は特に冬には温泉に浸かりながらオーロラが観られることで評判になり、この時期には、世界中から多くの旅人を呼び込んでいる。 ロバートはこのアラスカ州の北限の地とも云えるバロー岬の地でイヌイットの猟師の子供として育ったが、アメリカ本土の大学を出てアラスカに戻り、今のツアー会社に入りドライバーをしている。オーロラは子供の頃から日常的に観ていたが、なぜ、世界中からやって来る旅人たちがそんなに魅力を感じるのかが分からなかった。が、何か癒し的なものを感じるのかもしれない。昔はエスキモーと呼ばれていた原住民の血をひく自分には日常のこの天空の現象が人を引きつけるのかが、よくわからなかった。温泉プールの中で夜空を渡る光の帯に大喜びの声を上げる旅行者達を見ると彼には、少々不思議な感じがした』 オーロラとは地上80㎞以上の超高層大気の電離層で起こる発光現象です。 太陽は不定期に太陽風と呼ばれるプラズマの風を宇宙空間に放出していますが、この風は地球に到達すると、夜側にある磁場の隙間に入って地球の磁力線によって極北に運ばれ、大気に含まれる酸素原子、窒素分子とと衝突しますと、電磁エネルギーを放出、発光現象をおこします。 これは長大な光の帯となって夜空をわたって行くことから、天文ファンをはじめ、世界中の多くの人々を魅了してやまない現象といえるでしょう。 オーロラ観測ポイントは、北欧の北極圏地域など、世界中に数多くありますが、このアラスカのチェナ温泉リゾートは、温泉好きの日本人の心もつかんだようで、近年では此処を訪れる日本人も増えてきたようです。 アラスカも北極圏に入ると白夜の夏をイメージする光景とは一変します。 地球の極限の自然を体感出来る地でもあります。 1990年代頃まで欧州やアメリカ東海岸に行く場合の「北回り」と呼ばれていた航空路で「飛行機が給油で立ち寄る地」くらいの印象しかなかったアラスカですが、宇宙に触れられる冬を演出してくれる極北の大地でもあります。是非一度、訪れてみては如何でしょうか。 最後に、新年に、都会の珍しい初日の出スポットと無料で宇宙を感じられるスポットをご紹介します。 まず東京の場合。そこは羽田空港へ向かう鉄道の駅で、「天空橋」という駅です。その地下駅を下り、地上に出ると多摩川の河口部分にあたり、川辺に真紅の鳥居が迎えてくれます。 この鳥居は近くにある穴守稲荷神社の参道入り口を意味していますが、以前は羽田空港の駐車場の真ん中に忽然と立っていました。 1960~70年代、航空機事故が頻発した時期には近くの羽田空港の関係者から特別大切に守られていました。 そしていまは、現在の地にありますが、ここは日の出、朝日を観る一大スポットでもあります。鳥居越しの先が空港越しに河口の東を向いており、晴天の冬には輝く日の出が拝めます。 そして、もう一つの体感スポットは、羽田空港国際線ビル5階の展望デッキです。 日没後、空を仰ぐと、月夜の場合は、昇ったばかりの月が手に取れるような近さで輝いて迎えてくれます。そして、とても都内とは思えない、まさしく満天の星空に出会うこともできます。 空気が冷えて、澄んでくるこの時期ならではの発見があると思います。 さらに、此処の良いところは、24時間一年中オープンしていることです。屋内エリアには椅子もあるので、終電で行って、寒月の夕べや、宵の明星を探したり、星々に新年の願いを託すのも良いかもしれません。 夜明けまじかには南半球からの飛行機が着陸灯を光らせて降下してきます。 また一晩中、飛行機の往来があるので、灯火輝く国際線を観ながらエトランジェ気分に浸れるかも……。日本ではオーロラは難しいですが、こんな場所を訪れて、1年の多幸を天空に投げてみるのも良いかもしれません。
禅ZEN―瞑想、マインドフルネス体験の旅で心の洗濯をして新年を生きる*眼前のオーシャンブルーの太平洋を望むメディテーションの聖地カリフォルニ州エサレン(ESALEN)研究所で心の洗濯* 今アメリカでは「禅」が瞑想マインドフルネスと名を変えて大きなブームとなっています。 今をいかに生きるか、自分再発見、自己の感情を認識し、こころを活性化して未来に繋げていこうという意識を持って精神的な目覚めを求める人が増えています。 そんな時代に注目された「禅」の世界観。 自己発見、心の処方箋を求める人達の注目を集めている場所がアメリカ西海岸、ロサンゼルスの北、「ビッグサー」と呼ばれる壮大な太平洋を望む海岸の急峻な崖の上に立つエサレン研究所です。 此処は全米のみならず全世界から訪れる人が多く、グループで瞑想を体験し、精神的な目覚めを迎えられると考える人もいますが、多くは自分の心と向き合い、EQ(心の知能指数)を高め、仕事に、実生活に活かそうとしているようです。 崖の上の施設から見える太平洋の水平線は地球が丸いことを認識させてくれる広がりをもっていて、この風景も大きな心の処方箋になっているようです。遠い地ですが、一度この大海に抱かれた地で自然と共生しながら自分探しをしてみるのも一考です。世界が憧れる禅の庭 京都竜安寺石庭と都のZEN体験で心をリフレッシュ、国際交流も 水を用いず、白砂と石で構成された枯山水様式の石庭で知られている京都の竜安寺(りょうあんじ)。 修学旅行で訪れた経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。近年の禅ZENブームも手伝って外国人訪問者はどんどん増えていくばかりです。 彼らが心奪われるのは日本人独特の美意識から生まれた、コンパクトでシンプルな庭に謎が散りばめられているミステリアスな一面です。 外国人が熱心に視線を送っているのが白砂に点在する庭石です。 禅のビジュアルイメージを代表する幅25m、奥行き10mの空間に大小様々な15の石が一見無造作に5ヶ所に分かれて配置されています。その無駄を削いだ抽象的な庭を目の前にすれば外国人だけでなく、日本人でもその禅世界の美に圧倒されて、そこにどんな意図があるのかと思いを馳せずにはいられなくなります。 彼らがときおり場所を変えながら庭石を数えているのはなぜでしょうか。 この石は大海に浮かぶ島とか、泳ぐ龍にも例えられますが、いまだにこの庭の作庭者は不詳で意図するところは個人のみが知るというところです。この石の数15という数字は古来中国では完璧な数とされていました。 このあたりに作庭者の意図が反映されているのかもしれません。 またこの石はどのアングルから眺めても全てを見ることが出来ません。常に1~2個が他の石に隠れてしまうように配置されています。 つまり、必ず石同士が重なり合ったり、死角になってしまいます。 それで方丈の縁にいる外国人は庭石を数えずにはいられなくなります。 つまり、こんなに気軽にZEN(禅)の世界に触れられるチャンスはなかなかないからです。 故に「全て見えない不完全さを不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めの意味も含まれているといわれています。 近年急増している外国人観光客はどうしても数えずにはいられないようです。 また、あるアメリカからの来訪者に感想を聞いてみると、方丈の縁側に腰を下ろし、どの石を見るでもなくメディテーションの境地に入っているのが心地よいそうです。 彼はこの庭を宇宙空間にイメージして見ている、いや感じているとのことでした。 石は壮大な宇宙空間に点在する星々に見えているのかも知れません。 言葉が全ての西洋文明にあって言葉以前の世界にもう一度戻ってみようとすることが禅ZENマインドフルネスかも。 心を見つめ自己を再認識させてくれる場なのかもしれません。 またこの本堂の一角にあるつくばいには「吾唯知足」と刻まれています。これは「我、ただ足るを知る」という意味です。これには共感する外国人も多いようです。この庭は魔訶不思議な雰囲気も持ち合わせているようです。 「謎」さえも心で楽しませてくれる竜安寺、新年のスタートに訪ねてみませんか。 *いにしえの都、京都には誰でも参加できる座禅体験の出来るお寺が多くあります。 右京区JR花園駅から近いひと町もありそうな広大な敷地をもつ妙心寺(みょうしんじ)では英語で行われる座禅体験があります。個人のみならず、ツアーのプログラムで訪れている参加者もあります。 人生を再び考えようとするタイミングで禅に触れてみようとする外国人の多さに驚かされます。 本当に自由になるための哲学を禅に求めている人が多いとのことでした。 英語の勉強を兼ねて日本人としても参加してみると面白いかもしれません。 また上京区同志社大学そばの相国寺(しょうこくじ)も座禅体験があります。此処の法堂の天井に描かれている竜は手を叩くと鳴く(鳴いているように聞こえる)と言われています。 古き都で1年のスタートにマインドフルネス体験旅行はいかがでしょうか。
奥出雲は島根県南東部、中国山地の山間にあり、宍道湖に注ぐ斐伊川(ひいかわ)の上流部にあります。 古くから川で採れる砂鉄を精錬する製鉄法「たたら製鉄」で栄えた土地でもあります。 また此処は、「古事記」、「日本書紀」にも記された出雲神話「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治」の舞台の地で、神話の中でもよく知られているスサノオノミコトにまつわるお話です。(ストーリー) スサノオは高天原(タカマガハラ)を追放され、斐伊川の上流、鳥髪(トリガミ)の地に降り立ちました。 人気のない川べりで流れを眺めていると、川上から「箸」が流れてきました。上流に人が住んでいると悟ったスサノオが行ってみると、老夫婦が若い娘を挟んで三人で泣いているのに出会います。 老夫婦の名はアシナヅチとテナヅチ、その娘の名は稲田姫(イナタヒメ(クシナダヒメ)といいました。泣いている理由を尋ねると、もともと8人の娘がいましたが、毎年、ヤマタノオロチという大蛇に食べられてしまい、今年もその時期がやって来るというのです。 老夫婦曰く、ヤマタノオロチはホオズキのように赤く燃える目に一つの体に頭が8つ、尻尾が8つあるといいます。しかも体には苔とヒノキが生えており、8つの山を越えるほどの長さをし、腹はいつも血にただれているのだそうです。 スサノオはヤマタノオロチを退治したなら、この娘を妻に迎えたいと申し出ました。 アシナヅチから貴方様のお名前は?と尋ねられたので、「私はアマテラスオオミカミの弟でスサノオと申すと答えると「それは恐れ多いこと。娘を差し上げましょう」と老夫婦が言いました。 そしてスサノオはイナタヒメを爪櫛に変えて、自分の髪に挿すとアシナヅチとテナヅチに垣根を作らせて、8つの門を設け、その前に強い酒を満たした8つの酒樽を用意させました。 しばらくするとヤマタノオロチがやって来て、8つの頭をそれぞれの酒樽に入れて酒を飲みはじめました。 酒の強さもあり、しばらくしてオロチが酔って眠ってしまったところをスサノオは腰に帯びていた剣を抜きヤマタノオロチを切り刻みました。オロチのその尾を切りさいてみると中から見たこともないような素晴らしい剣が出てきました。 これが草薙の剣(天の叢雲の剣アメノムラクモの剣)といわれます。 スサノオノミコトはクシナダヒメと結婚しこの地に宮を造って住まいとしましたが、その際白い雲が幾重にも立ち昇る様を見て「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくる その八重垣を」という歌を詠んだといわれています。 この一節は松江に暮らした小泉八雲(ラフカディオハーン)のエッセイにも登場します。 そしてスサノオのミコトはアシナヅチを呼び寄せ、首長にしました。 この神話のヤマタノオロチとは大河斐伊川のことで、川が起こす氾濫、洪水を防ぐ治水問題が背景にあったのではとも思えます。 この奥出雲には神話にまつわる多くの神社が点在しており、最近では出雲大社と並ぶパワースポットとして知られてきているようです。 蜆で有名な宍道(シンジ)湖の南岸、JR山陰本線の宍道駅から中国山地に分け入っていく木次(きすき)線というローカル線があります。 この鉄路は中国山地の脊梁を越え、広島県備後地方とを結んでいますが線名にもなっている木次駅から先は斐伊川の支流に沿って登ってくため、神話と清水の里路線ともいえます。 途中の出雲横田の駅舎は近くの稲田姫を奉る稲田神社社殿のしめ縄を模した巨大なしめ縄が設けられており、神々の世界を彷彿とさせます。 亀嵩(カメダケ)駅は松本清張の小説「砂の器」の舞台になった処として知られています。 駅内には蕎麦店があり、提供される出雲蕎麦は人気の味となっています。 県境分水嶺三井野原への上り口になる出雲坂根の駅には中国山地から湧き出す「延命水」と呼ばれる湧水があり、夏場でも切れるような冷たさが暑さでほてった体を癒してくれます。 観光トロッコ列車「おろち号」で来る乗客は皆がこの水を汲んでゆきます。またこの駅には、峠越えの列車が枝線を2回折り返して登って行く西日本で最大の3段式のスイッチバックがあり、鉄道ファンには人気のポイントとなっています。 この木次線に乗って神話の世界に触れ、名水に癒される夏も味なものです。
街を離れて田舎の村を歩き、中春から初夏の風に舞う鯉のぼりを眺めると、とても幸せな気持ちになるものです。この初夏の風を「薫風」といいます。暖かな南風が深緑の香りを運んでくるのです。風はいろいろな役目を果たします。気温を調節したり、天候を変化させたり、植物の種や花粉を運びます。 私たちも人生の苦境にある時、向かい風を受けているように感じられる時があります。過酷な状況にもまれるとき、この鯉のような強さを身に付けようと思えるのかもしれません。 この鯉の泳ぐ里山には朝市の立つ村もあります。そんな朝市に出かけてみました。 この時期、売られている品は味と形にあふれる春野菜たちです。たとえばトマトはみずみずしく皮はちょっと硬めで、濃い味がします。スーパーで売られているような水臭いものではなく、味にも形にも植物の生命力を感じさせてくれるトマトでした。青臭さののこる昔の野菜の味を感じました。 たくさんの美しい山や森林に恵まれた日本はハイキング、里山歩きをするには最適の国です。国土の70%が山林ですから電車や車にちょっと乗ればどこかの山や森に行き当たります。そんな自然を抱えている山村はまだまだ数多く残っています。静かな自分だけの時間を求めて里山歩きをしていると、体がだるく、辛くて歩きたくないと感じるときもありますが、歩き出してしばらくすると体が温まり、筋肉や関節がほぐれ、体中を血が巡っていくのを感じられます。 また里山歩きには小さな出会いの機会もあります。最近では過疎化が急激に進んでいる地域を「限界集落」と呼ぶようです。山陰のそんな小さな村を訪れた時、森の中に朽ち果てたような小さな神社がありました。訪れる人は少なく静かで落ち着いた神社で、県境の名のある山へのハイキングコースの入り口にもなっていました。そんな社の境内の掃除をしたり、お祈りをしているおばあちゃんがいます。 話すと、ご主人はすでに亡くされていて、ご主人との思い出の残る場所でもあるこの神社へ日参し、たまに訪れる参拝者のために掃除をしているとのことでした。またご主人の代からの田圃や畑があり、米や野菜づくりが日課となっていて、美味しいご飯の炊き方や野菜の選び方、見分け方などを教えてくれました。またこの地はハイキングコースに沿って棚田が広がっており、これからの季節は、水が張られ、周りの山々を映す田圃のつらなりが迎えてくれます。そんな畦道ハイキングコースのなかにハイカーを当てこんでいるのか小さな茶屋が一軒ありました。経営者は先出のおばあちゃんでした。メニューには野菜が主体の定食があり、注文してみました。煮物、揚げ物、酢の物、和え物など、どれも材料の個性、味を引き出す優しい丁寧な味付けで、あのトマトも小皿に添えられていました。おばあちゃん手作りの漬物も小鉢に盛られ独特の酸味が村の味を演出しているように思えました。 今の時代は季節に関係なくどんな野菜でも買えます。しかし本当においしい野菜を手に入れることは難しい。また外国からの野菜や果物も安く買えますが、防腐剤や防虫剤、GM(遺伝子組み換え)食品も怖いです。ひと昔前までこの茶屋が出しているような旬の野菜料理はごく当たり前の家庭料理だったと思います。しかし、今やとても貴重なものといえる時代になってしまったようです。 店から望む山稜はすでに初夏を思わせる淡い緑色にけむり、眼下には田植えが終わり青い稲穂が薫風に揺れている棚田が谷を駆け下りていました。 ここは兵庫県と鳥取県との県境にある氷ノ山(ひょうのせん)のふもとに広がる山村で鳥取県側は八頭郡若狭町(わかさちょう)になり、中国山地に深く切れ込んでいる鉄道マニアには知られたローカル線若桜鉄道(旧国鉄若桜線)の終点で駅からは日本の原風景が広がる里山ハイキングを楽しみながら春から夏に向けての里山の味に親しむことが出来ます。 こんな山陰の山峡の地ではなくても、自宅からちょっと足を延ばせばこんな里山と出会える場所は数多く残っています。春の味覚を求めて田圃の畦道を散策するのもよい季節の到来です。
名城秋景 日に日に夜が長くなり、気温も徐々に下がり始めて、秋は深まってゆきます。急に冷え込んだ朝など、赤や黄色に染まり始めた木々の葉も朝露を受けて一層鮮やかになってきたようです。 日本では四季それぞれに直ぐイメージされる景色というのがあるようです。春にはいたる所でピンク色の花をつけて華やかに咲き誇る桜、夏には陽光に眩しく輝く深緑の山々や群青の海原、そして秋はなんと言っても紅葉ではないでしょうか。 日本には春の「お花見」とならんで「もみじ狩り」という言葉があるくらいにこの時期は多くの人々が紅葉の名所へと出かけてゆきます。またカラマツ等の針葉樹が中心で黄色一色の感がある欧米の山々と比べ、日本列島では色づく広葉樹も多く木々の種類も豊富なことから変化にとんだ色の世界を堪能することが出来ます。特に朱に染まるカエデなどは海外では目にする機会があまり無いため、紅葉のスポットはこの季節になると国内に限らず海外からも桜の季節同様に多くの観光客が訪れます。 特に古い神社仏閣等と赤いもみじとのコラボレーションは絶好の被写体にもなり、京都などの歴史的文化遺産の多く残る地では人人で溢れんばかりです。この時期、すこし視点を変えて「城」の紅葉を訪ねて観るのはいかがでしょうか。 今ちょっとした「城ブーム」といわれています。発端はある映画の舞台になり、早朝、雲海の上にポッカリと浮かぶ石垣の光景が、南米マヤ文明によってアンデス山上に築かれたといわれるマチュピチュの遺跡を連想させることから「天空の城」といわれるようになった兵庫県竹田城でした。全国には松尾芭蕉の〝夏草や兵どもが夢の跡〟の句を連想させるような苔むし石垣のみが残る荒れた山城から天を突くように伸びる立派な天守をもった城まで多種多彩です。城と季節の風景というとどうしても春の桜との組み合わせが最初に頭に浮かびますが、これらの名城には紅葉のいまならではの素晴らしい一面を見せてくれる場所が数多くあります。 まず山城の代表格としては、備中松山城(別名高梁城:岡山県)があげられます。此処は戦国時代からの風情を色濃く残しており、臥牛山(がぎゅうざん)山上に築かれた城周辺には素晴らしい紅葉が展開してゆきます。標高430mの天守への道のりは以外に険しいですが、朱に染まる大手門周辺をはじめ、そのもみじの輝きは疲れを癒してくれるものです。また先出の竹田城同様、盆地でもあるこの地は一日の気温差が大きく、気温の下がった朝には霧や雲が湧き出しやすく運がよければ雲上に浮かぶ天空の城を展望台から眺めることができます。幻想的且つ戦国時代にタイムスリップしたような、何故か懐かしさをも感じさせてくれるこの季節ならではの光景です。 同じ城でもこの松山城とは異なった感動を味わせてくれるのが今年完全修復を終えたばかりの姫路城です。白鷺(しらさぎ)城の異名をもつように白亜の城として有名でしたが、特に今回壁面の漆喰もすべて白漆喰に塗り替えられて以前にも増して輝くような純白の城へと生まれ変わりました。その驚きの白さから初公開された時には「白すぎ城」とまで評されました。漆喰は数年たつと酸化して黒ずんでしまうので、長大な城壁の上に幾重にも重なって聳え立つ天守の「白」とそれを取り囲むように植えられているカエデの「赤」とのコントラストは今しか見ることのできない貴重な光景として是非、訪ねておきたいところです。北の大地に爆発するトリコロール色の秋 欧米では秋の色づきというと黄色く染まる木々が主体と記しましたが、そんな黄葉一色の世界のなかに沢山のカエデの真紅が溶け込み重なり合って、見事な色の競演が展開する地があります。そこは国旗にもその国のシンボルとしてカエデの葉が描かれているほどです。世界第2位の国土面積を誇るカナダ。その東側にフランス移民によって独特の社会文化が育ったケベック州があります。 トロントにつぐ第2の大都市モントリオールもこの州にあり国の経済産業の一翼を担っています。(予断ですがカナダの紙幣、公文書等はすべて英・仏の2ヶ国語で記載されています)このモントリオールから車で約2時間北上したところに標高1100mを越えるローレンシャン(Laurentians)高原があります。 日本とは比べ物にならないスケールで地平線の彼方までつづく高原は、太古の昔からほとんど手つかずの深い森と湖沼地帯で形成されています。そこには日本のそれとは似ても似つかない大きな人手形の葉をもつカエデが黄葉の海の中に生い茂り、さらに周りの湖沼の色とも相まって朱、黄、青、三色の息を呑む世界が展開してゆきます。その美しさからメープル街道(Maple=カエデ)と呼ばれる観光ルートのハイライトしても知られています。しかしこの燃えるように染まる紅葉のシーズンは年ごとの気象条件によって微妙に変動してしまいます。花火のように一瞬輝いて消えるその瞬間をキャッチするのはたいへん難しいものですが、タイミングさえ合えばこの自然エネルギーの大爆発を体感出来るかもしれません。白く長い沈黙の季節の到来のサインともいわれる日本から約15時間、北の大地で繰り広げられる年一回の一大イベントです。 最後にもみじの見方、写真の撮り方のポイントをひとつ….。 当然、晴れた日がよいのですが、順光ではなく逆光(日のさしている方向に向かう)で眺めるのがお勧めです。 太陽光が葉を貫通してその紅色をさらに増幅させて見せてくれます。
南北に細長い日本列島ですが、今の季節はほとんどの地域が寒さの中に閉じ込められています。華やかで燃えるような紅葉が終わると、山の草木も動物たちも長い眠りに落ちて静寂の世界に変わってゆきます。一年のスタート月でもある1月に「森閑」とした世界に身をゆだね、日々の時間に追われる生活を離れて心のリフレッシュをする時にしてみてはいかがでしょうか。「焔色」に癒される 普段、「明かり」というと私たちは、日常生活の中に溢れている蛍光灯や電球、ネオンサイン、車のライト等の人工的な明かりをイメージしがちです。特に夜ともなるとそのような照明に支配された環境の中で暮らしています。しかし、たまに焚き火など自然の炎の明かりに触れるとなぜかぬくもりとほっとした感覚で引き込まれるように見つめ続けてしまった経験はないでしょうか。雪国の焔色:秋田 かつて北国では冬になると豪雪のために交通が遮断され、春までの長期間休業閉鎖となってしまっていた温泉(湯治場)が数多くありました。しかし最近では道路も整備され除雪技術も上がり通年の営業が可能になった宿も増えてきたようです。そんな湯治場のひとつに、東北奥羽山地の奥にあって以前は猟師(マタギ)や一部の登山家にしか知られていなかった「鶴の湯」という一軒宿があります。近年TV・雑誌等で紹介されたことをきっかけにかなり有名になった宿ですが、茅葺屋根の建物はかつて秋田藩主が湯治場として訪れていた時代と変わらないたたずまいを見せています。この宿の白濁した硫黄の香り立ち上る露天風呂には夕暮れ時になるとランプが灯されます。周りの雪景色と相まって山峡の湯風に吹かれ、独特の風情をかもし出しながらゆらりゆらりと揺れるこの炎には時の経つのを忘れさせ引き込ませてしまう力があるようです。 また同じく秋田県の中部、豪雪地帯で知られる横手市には全国的にも知られた小正月(2月)に催される「かまくら」行事があります。雪の家(雪洞)を造り中に水神を祀り、子供たちが甘酒やお餅を振舞う雪国を代表するお祭りとされていますが、このとき、かまくらの中は勿論のこと、その周りや街中いたるところに灯される多くのロウソクの明かりが、これも雪の白と相まって独特の幻想世界を創り出してゆきます。大聖堂の焔色:シャルトル・フランス フランス、パリから西南へ約80kmのところにシャルトルという小都市があります。この町には世界遺産にも登録されフランスでもっとも美しいゴシック様式の建造物とも云われるシャルトル大聖堂があります。中に入るとシャルトルブルーと呼ばれる「青色」を基調としたステンドグラスが特に有名で、外光に浮かび上がるその美しさは世界一ともいわれています。訪れる多くの人々が此処の天井を見上げるわけですが、広い堂内の祭壇や通路には沢山のローソクも灯されていてその炎がこのステンドグラスの美しさをさらに引き出しているようです。 日本の建造物とは異なる西洋の石造りのひんやりとしたこの聖堂内は、ざわめき、騒音に包まれている外の世界とはかけ離れた異空間といえます。そんな中で揺らめきながら眼に飛び込んでくるこの「焔色」にはいろいろな思いや感覚を呼び起こさせてくれる力があるようです。 またこのような旅は出来なくても、日常生活の中で、たまには蛍光灯を消してローソクをともすひとときを設けてみるのも一考かも知れません。この炎を見つめていると心の奥底の炎が呼び起こされ、そのパワーを感じます。炎の放つ明かりを心に取り込み幸せな気持ちでいれば日々の生活にも光が差し込んでくるかもしれません。「わび」「さび」の世界に癒される 日本独特の感性、表現に「わび・さび」というのがあります。特に京都や金沢といった歴史的遺産の多く残る土地を訪れるとよく耳にします。京都でいえば静けさの残る古い町家造りの通り、朝霜の降りた大原の山里や嵯峨野など。春の北陸新幹線開業に沸く金沢も浅野川沿いの主計(かずえ)町や名園兼六園の茅葺の茶室「夕顔亭」などには、長い歴史に育て上げられた文化とともにそんな匂いがしてきます。暮らしの中のシンプルなことにも静かな新鮮さを感じる…。そんなことを「わび」と表現したのかもしれません。 また「さび」とは、そんな素朴な暮らしの中にある古きものに「はかなさ」を感じ、時の流れに裏打ちされた美学を感じとることかもしれません。京都や金沢に限らず全国の「古都」「小京都」と呼ばれている町々にはそんな感覚を呼び覚まし、触れさせてくれる場所が数多く点在しています。たまには視点を変え、普段の生活ペースを落としてこんな世界と触れ合う旅に出てみるのはどうでしょう。新たな発見や心のリセット、リフレッシュに繋がるかもしれません。 そうすれば、普段見飽きていた自宅の庭の木々にも、ベランダの忘れられた鉢植えの草木にも新鮮な発見とこの「わび・さび」を感じとれるかもしれません。 わたしたちは誰でも感性を持っています。自分にとって気持ちをよくしてくれるものは気に入り満足と幸せを感じます。そして平穏な日々の暮らしと心の平安を求めているはずです。しかし現代生活の中ではそのことを忘れて他のことを優先にしてしまいがちです。あくせくしたい人なんていないはずなのに。いつの間にか忙しさに忙殺される毎日を繰り返すことになります。年の始まり、静寂のこの季節だからこそ平和と静けさを感じ、眠っていた感性を目覚めさせてくれるこんな一時を持つのも良いのかもしれません。(2015年1月)
街では盛りを過ぎた桜の花も風に舞う時期となってきました。気温の上昇とともに「水温む」とも表現される春。水にふれあい、水辺で過ごす機会もふえてくるのではないでしょうか。・伝説の歌に詠まれたヨーロッパの川風景 「日本人に馴染みのある世界の川は…」と問われると「ライン川」という名前も挙がるのではないでしょうか。 全長約1200㎞、アルプスに源を発しヨーロッパ大陸6カ国にわたり南北に流れる大河です。中世の時代から商業活動、物流等、交通の大動脈として現在も変わらぬ重要な存在であり、地域の人々の生活を支えています。また流域には多くの観光名所もあって特に気候の良くなる春から夏のシーズンには日本を始め世界中から多くの観光客を集めています。 そのライン川観光の中でもっとも有名で一番多くの旅行者が訪れるのが中流域のライン渓谷と呼ばれる地域です。ユネスコの世界遺産にも登録されており川沿いには多くの古城が点在しています。またワイン用のブドウの産地としても有名で、丘陵地帯を幾重にも重なってつづくブドウ畑が緑一面の世界へと変貌してゆく様はこの時期ならではの風景といえます。そんなライン渓谷の中でもこのワイン醸造と水運業で栄えてきた町リューデスハイムからモーゼル川との合流点コブレンツまでの間は「ロマンチックライン」と呼ばれ、その中でもローレライの岩は観光の一番のハイライトとなっています。 ここを舞台とした歌曲「ローレライLoreley」は日本でも♪なじかは知らねど心わびて…♪の歌詞で知られ、くちずさんだ経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。 このローレライの岩山がそびえる場所は特に川幅が狭くなり蛇行して流れも急になるため、昔から船の事故や遭難が多発する難所でした。そんな背景もあってかローレライにはある伝説が残されています。諸説、多少の違いはあるようですが、ローレライとは不実な恋人に絶望してラインに身を投げた乙女の名で水の精となった彼女の歌声が此処を通りかかった漁師や舟人を誘惑し舟をつぎつぎと遭難させていったといいます。歌詞には特に季節感は出てきませんがヨーロッパ特有の長く暗い冬が終わり、アルプスからの大量の雪解け水を湛えて流れる大河の輝きと、一気に緑に染まったブドウ畑とが織り成すコントラストの美しさにはこの地域の短いけれど一年で最高のシーズンであることを感じさせてくれます。船上で地元のワインを味わいながら川面を渡ってくる薫風に身を任せていると、本当に何処からか乙女の歌声が聞こえるかも知れません。日本から飛行機で約12時間の距離ですが、この季節にはそれだけの時間をかけても手に入れる価値がある水風景です。・大都会の春散歩「春の小川」を捜し歩く 日本の春をテーマにした唱歌の代表的なものに「春の小川」があります。ほとんど誰もがくちづさめる歌詞ですが、さて、この唱歌の主役である小川にはモデルがあるのでしょうか。 ♪春の小川はさらさら行くよ…♪この歌いだしから、イメージされるのは清く澄んだ小さな流れです。そしてその岸辺にはスミレやレンゲの花々も咲いているようです。さらに二番の歌詞をみるとこの流れにはエビやメダカ、小鮒も群れ泳いでいて生命が満ち溢れている様も感じられます。調べてみると、やはりこの小川にはモデルとされている場所がありました。現在の東京都渋谷区代々木5丁目、代々木公園南西側に隣接する小田急線の代々木八幡駅辺りを流れ流れていた河骨川(こうほねがわ)がそれといわれています。あまりなじみの無い川名ですが、大商業地渋谷を流れ、町名にもなっている宇田川(うだがわ)の上流部といえば地理的にお分かりになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。歌に詠まれた風情は現在では見る影も無くなり小川はコンクリートとアスファルトの下の暗渠(あんきょ)となってしまいました。唯一、線路脇に立てられた歌碑にその面影を想像するのみですが、辺りには広大な代々木公園をはじめ緑に囲まれた自然豊かな緑地が多くあって、往時の小川の情景を思い浮かべながらの春散歩には最適の場所といえます。世界有数の大都市に成長してきた東京にも清らかな水の恵みを身近に感じられた時代がありました。・名峰からの贈り物 2013年ユネスコの世界文化遺産にも登録され、国内のみならず世界中からもその美しさに魅了されて数多くの旅行者や登山家が訪れている富士山を筆頭に、日本第2位の高峰北岳を有する南アルプスや森の美しさが際立つ秩父連山、明るい高原の広がる八ヶ岳といった個性ある山々囲まれている山梨県。此処はこれらの名峰がもたらす水に恵まれた土地でもあります。そのなかでも忍野(おしの)村は地下水の湧き出る多くの幽邃池をもち、忍野八海(おしのはっかい)の名で日本名水100選にも選ばれています。 この地域の湧き水は富士山からの大量の雪どけ水が長い年月をかけて溶岩へ浸透し、伏流して湧き出しているため、パナジウムの含有量が多くコレステロール値や血糖値を下げ、ダイエットへの効果も期待されています。また体にやさしい弱アルカリ性の軟水であるためいろいろな料理に使われることも多く、此処の水で打たれた手討ち蕎麦は村の名物で絶品と評されています。 何百年もこの水と寄り添う暮らしを送る忍野村。あらゆる生命の源泉である水はなによりの薬でもあります。毎日「水」という贈り物を飲むことで私たちは健康を維持し渇きを潤すのです。村の人々は水を大切にします。一度汚れてしまえば元には戻せないことを知っているからです。 長い時を潜り抜け、伝説の詩にも歌われ、絶え間なく人々の暮らしを運び続けてきたヨーロッパの大河。子供の頃に見たキラキラと輝いていた小川の記憶。世界の名峰からの贈り物の一滴。 感じるのは私たちは水に頼って生きていること。私たちの畑に注がれる水、そこから生きてゆくための糧を得ています。私たちは水に教えられ道を開いてもらっていることを感じさせてくれる季節の到来です。
現在は映像・ビジュアル化の時代といわれます。この技術革新、進歩のスピードには眼を見張るものがあります。そんななかで徐々に消えてゆくのではと思えるものに「新聞」や「本」が上げられそうです。それでも今、書店には、ノンフィクションから小説、ハウツウもの、ビジネス関係、絵本等々あらゆるジャンルの本が並んでいます。そんな書籍群のなかで「旅」を扱ったものも数多く見うけられます。旅先の情報を得るためのガイドブックはその代表格ですが、そのほか観光スポットや自然をテーマにした「写真集」等々を含め多種多様にわたっているようです。小説の世界でも「旅」をキーワードにした作品にはいつの時代も多くのファンを集める魅力があるようです。 この夏は映像・デジタル化の世界をちょっと離れて、紙上での旅の世界へ飛び込んでみては如何でしょうか。物語の主人公達と同行した気分で、その土地へのイメージを膨らませる、そんな作品を紹介してみたいと思います。「点と線」から「霧の会議」へ 松本清張 著 この作品の著者、松本清張は推理小説の代表格として思い出される方も多いと思います。さらにノンフィクションや時代小説を含め多ジャンルに亘って日本を代表する作家といえるでしょう。特に「旅」を題材に構成されたミステリーの世界においては先駆者的作家といえるかも知れません。数多く送り出されたそんな作品の中で代表的なものを上げるとすれば、初期の作品で「点と線」が上げられそうです。この作品は雑誌「旅」に連載され、たいへんな反響を呼んだ、著者最初の長編小説であり松本清張ブームのきっかけとなった作品でした。「旅」に掲載された1957年から1958年というと戦後一〇年以上が経ち、日本人の生活にもようやく落ち着きとゆとりが見え始めた頃でもありました。すこし日常を離れ余暇を楽しむものとして「旅」への憧れ、思いが膨らんでいった…。そんな時代でした。この作品の主人公である二人の刑事とともに旅(捜査の)は、南は九州から北は北海道まで延びてゆきます。また時刻表を駆使した東京駅での巧妙に仕組まれたアリバイトリックなどが取り入れられ、旅情を掻き立てられながら夢中で活字を追った方もあるのではないでしょうか。 「霧の会議」は文庫本としては上・下刊に分かれた長編、大作であります。「点と線」から約三十年近く経った1984年から新聞紙上に連載されましたが、この三十年間で日本人の旅のスタイルも驚くべき変化をみせました。1964年の東京オリンピック開催の年に観光目的の渡航が可能になり、さらにその後の高度経済成長時代を背景に、ジェット旅客機の開発による高速化が進み、さらにジャンボと呼ばれた超大型機の登場よって空の大量輸送時代が幕を開けることになります。これによってもたらされた航空運賃の大幅な下落、自由化が、それまで一部の人たちの特別なものであった海外旅行を一般大衆にも手の届く身近な存在として定着していった。そんな頃の作品です。 ストーリーは、知らぬうちに国際的陰謀事件に関わってしまい追われる身となる日本人カップルとその事件の謎を追う日本人記者を中心に西ヨーロッパを舞台に展開してゆくのですが、この日本人女性自身の悲恋を織り込んだ人生ドラマでもあります。ここで描かれる国際的陰謀事件は実話であり、実際に起った事件を絡ませることによりリアリティ溢れる極上のミステリーとしても仕上がっています。具体的な内容、あらすじは記しませんが、物語は北はイギリス・ロンドンから南はイタリア、地中海紺碧海岸(コート・ダジュール)、南仏の村々、そして最後はアルプス国境の山峡の地へと繋がってゆく壮大なスケールで進行してゆきます。松本清張ならではの驚くほどに綿密に調査された実存する秘密結社やその事件の内容に加え、舞台となる土地土地の歴史・文化、自然が詳細に表されている点もこの物語にのめり込まされてしまう大きな要因といえそうです。これら季節感を交えた情景や雰囲気が読むもののこころを掴んでゆき、その土地へ誘ってくれるように思えます。ページをめくるごとに膨らんでゆく遠い地へのイメージはいずれ現実の旅への欲求となってゆくのかも知れません。 (2.に続く)
まもなく梅雨も明け、陽光眩しい季節の到来です。近年の夏は場所によっては連日35℃を越えるような「猛暑日」と呼ばれる日も多くなり、「熱中症」という言葉も定着した感があります。ギラギラと連日照りつける太陽にはいささか閉口される方も多いことと思いますが、夕暮れ時ともなると日中とは変わって独特の色に染まる夕景を観せてくれるのもこの季節の太陽の特徴といえます。 また日が落ちて、熱気の残る地表から見上げる夜空には、北半球では一際輝きを増す「夏の大三角形」と呼ばれる星座や流れ星を見つけやすい季節でもあります。そこで、こころ癒される夕景と神秘な星の世界から元気のパワーをもらう「空景」をご紹介したいと思います。 夏バテ解消にこんな「夏旅」いかがでしょうか。古代神話のふるさと「出雲」の夕景と星空のパワー 島根県出雲地方は「ヤマタノオロチ」や「因幡の白兎」に代表される古代神話の地です。出雲大社をはじめ点在している神話にまつわる名所、旧跡、神社等は近年では「パワースポット」としても脚光を浴びているようです。この地に周囲47km、全国7位の大きさを誇る宍道(しんじ)湖があります。この湖は東で大橋川、中海、境水道を経て日本海と繋がっている淡水と海水の入り混じる汽水湖で、此処の湖水が育てる「大和しじみ」は大粒で全国的にも知られる名物となっています。東側は島根県の県庁所在地でもある松江市と隣接しています。 市内には、全国でも珍しい江戸時代から現存する天守閣をもつ松江城をはじめ、武家屋敷や藩主とゆかりのある神社、仏閣、歴史的文化財も多く、江戸風情を色濃く残しています。また城を中心に巡らされた堀川など多くの水路を持つことから「水の都」とも呼ばれています。さらに七代藩主松平治郷によって広まった茶の湯は数多くの和菓子をはじめ独特の文化・名産品を生み出しました。 今では中国地方を代表する観光地の一つにもなっています。 松江駅を降り、駅前の通りを西へしばらく20分も歩くと、急に眼前がひらけ、海のような大きな湖が現れます。これが宍道湖で、そこからさらに西へ1キロ余りの、湖岸に伸びる国道9号線沿いには公園をはじめ、多くの夕陽スポットが設けられています。 時とともに刻々と表情を変える夕景の美しさは日本の夕陽100選にも選定されていて、松江の象徴の一つにもなっています。 中国山地の北側、日本海に面したこの辺りは、漢字では山の陰(かげ)と表記される「山陰(さんいん)」地方と呼ばれ、どこか暗いイメージがつきまといますが、此処の自然がつくりだした山紫水明は、やわらかな優しい美しさをもって、たとえようのない「やすらぎ」を与えてくれるものです。 古き日本のミステリアスな世界を著した名著「怪談」で世界的にも知られた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)や歌人田山花袋など多くの文人、墨客にもこの夕陽は愛されました。 昼間、肌を刺すように攻撃的だった日差しも午後4時を過ぎる頃になると急に衰えをみせはじめ、一変して柔らかな淡いピンク色に西の空を染め上げてゆきます。この様は日中とは打って変わって安らぎの光となって全身を包んでくれるようです。 湖面と空との境目も滲んで一体となり、眺める人々の顔も染めながら落ちてゆく西の先は、出雲大社を中心に古代出雲神話を伝承する社が点在する「神話のふるさと」と呼ばれる地でもあります。 地元では、雲の切れ間から湖面に射す陽の光は神々しささえ感じさせると云われ、 日没後も西の空に幾筋か絵筆で拭ったように残る茜色の残照も眺めるものの心を掴んで離さないようです。 その光も消えると湖の上を星達が瞬き始めます。 夏は星を眺めるにも良い季節といわれます。 一際大きく輝きを増す「夏の大三角形」と呼ばれる星座を観察するのもこの時期がベストといわれています。この「夏の大三角形」をより近く観るために松江市の北東、島根半島のほぼ中央に位置する枕木山(まくらぎさん)へ移動してみることにしましょう。 宍道湖畔から市街地を抜け島根半島を北東方向へ20~30分も走ると枕木山山頂へ至る舗装道路が現れます。 約7kmのヘアピンカーブの続く道を10~15分も走ると山頂直下まで車で行くことが出来ます。 この山の標高は458mとそれほど高くはありませんが、周りを遮るものがほとんどない独立峰の様相を体しているため、昼間なら眼下に宍道湖から連なる中海が広がり、その東側には神話の中で国引きの綱にたとえられている弓ヶ浜半島がゆるやかな曲線を描いて細長く延びています。さらにその先には中国地方の最高峰で伯耆(ほうき)富士とも呼ばれる大山(だいせん)が優美な姿を横たえ、西側に眼を転じると松江市街から宍道湖まで望むことのできる神話の地の一大パノラマビューが展開します。 灼熱の陽が落ち、夜の訪れと共に夜風が立ち始めるとこの枕木山山頂は星達の世界へと変わってゆきます。長い稜線を持ち、住宅街からも離れているため、ネオンサインやビルの明かり等の光源になるものがほとんど無く、天体観測にはうってつけの場所といえます。 晴れて月の無い夜、空には明るく形のつかみやすい星座が数多く現れます。また、天の川が濃く観えるのもこの時期ならではで、有名な七夕祭りに登場する織り姫星と彦星が輝きを増して登場するのもこの「夏の大三角形」と呼ばれるものです。 まず空の高いところに薄いもやのようにほぼ北から南へ横断しているのが天の川です。 天の川が見つかったらその中央辺り真上に近い位置で一際明るく輝く一等星が三つ見つけられます。 この三つの星の中で天の川の西側にあるのが、「こと座」の「ベガ」でこれが織り姫星です。天の川をはさんでその対岸、東側にある1等星が「わし座」の「アルタイル」でこれが彦星になります。まさしく七夕の伝説の通り、大河「天の川」をはさんで向かい合っています。 そして「ベガ」と「アルタイル」よりも北、天の川の中で大きく輝くもう一つの1等星が「はくちょう座」の「デネフ」でこの三つを結んでだ三角が「夏の大三角形」と呼ばれています。 天体観測などあまり興味の無い方でも、夏の夜、この大三角形を見つけられると大きな感動とやすらぎが味わえるのではないでしょうか。普段の生活の中では、特別の意味もなく、「なんとなく空を見上げる」などということは、なかなか無いことです。特にいつも忙しすぎる(ように見える)現代の日本人には縁の無い行為のように思えます。昨年5月、先月と地球の周りを楕円軌道を描き回っている月が地球に最も接近した時と満月になるタイミングが重なって、普段の満月よりも一段と大きく、明るく見える「スーパームーン」という現象が世界的に大きなニュースになりましたが、日本ではそれほどの話題にならなかったように憶えています。 本来、日本人は古くからお月見や七夕など宇宙と繋がりのある行事やお祭りを行い「自然」同様、畏敬の念を持って未知なる世界からの「パワー」を生活に活かしていたように思えます。この夏、不思議の地「出雲」で「やすらぎ」と神秘の力を感じる旅はいかがでしょうか。
・欧州の春の顔「白アスパラガス」 最近、ようやく市場でも見かけるようになった白アスパラガス。遠い昔「白アスパラ」といえば缶詰でした。未知なる食材への興味から、恐る恐る食してはみたものの、缶詰特有の臭気と酸味、歯ごたえの全くない食感‥‥、少なくとも有難がって食べるものではない、というのが正直な感想でした。 1970年代になると、フレッシュなグリーン・アスパラガスが巷に出回り始めました。バターまたはオリーヴ油でソテーし、塩、胡椒しただけも美味しく食べられますし、薄切り肉で巻いて焼いたものは、今では居酒屋の定番ともなりましたね。当時は知らなかったのですが、「ホワイト」と「グリーン」、実は同種の植物で、土寄せをして太陽光を当てずに育てるか否か、の違いだけだったのです。 地中海東部原産とされるアスパラガス(特に白)は、ドイツやオーストリアなどのヨーロッパ諸国では、日本での筍と同じように春の味覚として珍重され、4月中旬頃から6月24日(=聖ヨハネの祝日)まで繰り返し収穫されます。ちなみに、聖ヨハネの祝日以降収穫しないのは、この多年草植物(耐用年数は10年ほど)の最後の茎を成長させ、翌年の収穫に備えさせるためです。土寄せと収穫、その他の作業のため、シーズン中、栽培農家の方達は1日12時間労働、土日返上だそうです。 日本での白アスパラガスの栽培は、実は大正時代には既に盛んになっていたようです。しかしながら、当時の用途はもっぱら欧米への輸出用缶詰でした。「白アスパラとの出会い」が缶詰だったのも頷けます。今では、北海道、秋田県、長野県、群馬県、鹿児島県などで栽培されており、流通も発達しましたから、フレッシュなものも入手し易くなりました。 アスパラガスは、茹でてよし、焼いてよし、です。あまりポピュラーではありませんが、生で食すこともできます。斜め薄切りにして酢味噌などで食すのも美味しいですよ(独活に似た味わいです)。ビタミンA、B1、B2、C、E、葉酸、その他微量元素を含む、春の大地の恵みを、是非この季節に味わって下さい。◆白アスパラガスの調理例:・下方2/3くらい、皮が固いので剥き、根元2cmくらいを切り落とします。・鍋に水を入れ沸騰させ、塩と少量の砂糖を入れアスパラガスを根元の方から茹でます。茹で時間は、アスパラガスの太さなどにも依りますが、少し歯ごたえが残っている方が美味です。この時、皮と切り落とした根元も一緒に茹でると、より風味が増します。・湯切りし、皿に盛り、澄ましバターまたはオランデーズ・ソースをかけます。タルタル・ソースも合いますよ。・付け合わせには、生ハム、茹でハム、スモーク・サーモン、茹でたジャガイモなど、お好みのものをどうぞ。 ◆アスパラガスのサラダ(白&グリーン):・白アスパラガスの皮を剥き、根元を切り落とします。グリーン・アスパラガスは根元1/3くらい皮を剥きます。食べ易い長さ(数cm程度)に切ります。・フライパンに油を敷き、アスパラガスを根元の方から炒めます。・皿に取り、ドレッシング(*)をかけます。細かく刻んだトマトやパセリを合わせると、彩りも綺麗です。(*)ドレッシングは、お好みのものをお使い下さい。油(胡桃油、ヘーゼルナッツ油、オリーヴ油などをお好みの割合で)、白ワイン・ヴイネガー、(あれば)フォン・ド・ヴォ-などの出し汁、塩、胡椒を混ぜ合わせただけでも、美味しいドレッシングができますよ。生命力漲る春、海と畑からの活力が、口の中で弾け溢れます。
南北に長い日本列島。南から北上してきた桜前線も津軽海峡まで達する頃になると、各地から様々な味の便りも届き始めます。冬から春、初夏へと食の世界も大きな変わり目の時を迎えているのです。そんなこの時期を彩る日本の海の代表食材と、長く冷たい冬が終わり、待ちに待った季節の訪れを告げるヨーロッパの春の顔をご紹介したいと思います。生気溢れる旬のパワーで新年度のスタートダッシュを。江戸っ子を虜にした「初鰹」 和食の世界では切り離すことの出来ない料理の基礎となる出汁。その「旨み」を生み出す鰹節をはじめとして、日本の食卓でなじみの深い魚の一つであるカツオ。暖かな海を好み、太平洋を黒潮に沿って春に北上し、秋に三陸沖から南下してくる大型の回遊魚で、2月中旬から下旬にはすでに九州南部に近づき、3月から4月には四国から紀伊半島沖に姿を見せ、5月には伊豆沖から関東沖に再接近してきます。さらに北上を続け、7~8月には黒潮と親潮がぶつかり合う三陸沖まで達し、親潮の勢いが増す9月頃にUターンして、寒い冬を避けるように遥かフィリピン沖まで南下して行きます。このような1年のサイクルで北行、南行の長い旅を続けているわけですが、春、この黒潮に乗って日本近海に現れるカツオを「上り鰹」「初鰹」と呼び、秋に南下してくるものが「戻り鰹」と呼ばれています。 江戸時代より、「目に青葉、やまほととぎす、初鰹」の句に代表されるように数々の句や歌にも詠みこまれるほど、珍重された「初鰹」はこの北上してくるものを指しています。特に「粋」の精神を大切にした江戸っ子達には「初モノ」を食すと縁起が良いと信じられていました。5月頃江戸前に水揚げされるその年初めてのカツオは特に縁起物、食すと長生きが出来るとして尊重され、今では考えられない程の高値がついたといわれていました。初モノと旨いものには目が無く、幾ら支払ってでも手に入れたかった当時の江戸っ子達の間では「女房を質に入れてでも食え」などという不謹慎なキャッチコピーまで産まれるフィーバーぶりでした。 現代では、太って脂が乗ってくる秋口からの「戻り鰹」の方が好まれる傾向にあるようで、春の「初鰹」は若く肉に脂分も少なく筋肉質なため当時ほどの人気にはならないようですが、それでも赤身の凝縮した歯ごたえや香りはこの時期ならでは若さを感じられる旨みといえるのではないでしょうか。 ここでこの「初鰹」を主役に旬と旬をぶつけた美味しい簡単レシピをひとつ…・カツオ:大型の魚であるカツオを三枚下ろしにする。などというのは一般家庭ではとても出来ませんので、すでに下ろされてスーパー等で販売されているもので。但し、一口サイズにスライスされてパックされているものではなく「柵(サク)」で売られているものを。・玉ねぎ:やはり2~4月頃が旬の野菜です。特に淡路島産はジューシーで甘みも あり大きいものが揃っていてお勧めです。・大根・大葉 : 2~3枚・ポン酢しょうゆ・生姜 : 少々 ある程度深さのある器に、まず大根おろしを多めに盛ります。玉ねぎは出来るだけ薄くスライスし、しばらく冷水へくぐらせてから大根おろしの中へ。そしてその上へ、厚めにスライスしたカツオを並べ、上からポン酢しょうゆを少し多めにかけ、最後に刻んだ大葉を振りかけて出来上がり。生姜はお好みで。Part2.に続く
自分だけの国際交流の旅2001年9月11日のテロに始まり、新型ウイルスの蔓延、一証券会社の破綻に端を発した金融不安等々。さまざまな悪い事件が、あっという間に世界を駆け巡って行ってしまった感のある21世紀。このような事が集中的に発生してしまうと、国際化が急速に拡大していった時代においても、人々の往来、交流というものはどうしても大きく減少、縮小、制限されてしまいます。世界的な政情不安が広がれば、一般の人々の中でも、異人種、異文化等、生活習慣や価値観の違う世界に対しての嫌悪感や排他的感情が、知らず知らずのうちに、芽生えやすくなったりもします。また、将来への展望が見出し難くなってきて、個々の生活面も当然ながら不安定で、守りの形に変わってゆくようです。目の前の生活費を最優先に考えなければならない倹約、守り型のムードが強くなってくると、真っ先にその節制・節約の対象になりそうなものが遊興・娯楽費でしょう。特に「旅行」は費用と時間の負担が大きい分、最優先にその中に上げられそうです。気持ちにも余裕がなくなれば「何処かへ行ってみよう」というような発想も生まれにくくなります。海外からの長期滞在者、定住者が増えてきたとはいえ、まだまだ単一民族国家と云える日本では、一様に、ほぼ同じ価値観、指向パターンで動いてしまうことが多いようで、この様に不況感の拭いきれない状況では、皆が一斉に同一方向に流されて行ってしまう傾向が、他国と比べても強いように感じます。このような閉塞感の強い時こそ、あえて遠出を、それも、出来るだけ日常と異なる世界への「旅」は如何でしょうか。先が見え難い不透明な時代だからこそ、普段と全く違う世界に身を置ける海外への「旅」は新しい発見、珍しい体験だけにとどまらず、本人も気づいていなかった、自己の内面部分の発見や幅広い視点・価値観・発想の創造にも繋がるように思われます。35~40年くらい前までは、「海外旅行」というのは特別な、たいへん高価なものでした。その高価格の一番の原因になっていたものが航空運賃でした。しかし、現在では一度に大量の乗客を運べ、燃料効率も格段に進歩した航空機の開発で、一昔前と比べると信じられないような価格で世界へ飛び出せる時代になりました。また、その予約・手続等もはるかに簡単になってきています。宿泊や観光のセットされた団体パックツアーの中には、国内線の航空運賃よりさらに安いという信じられないような価格の商品まで売り出されていますが、今回はあえて個人旅行の提案です。雑誌のグラビア、テレビ等で紹介され、心が引き付けられた自然、接してみたかった歴史的町並み、触れてみたかった本場の音楽や絵画、芸術、食文化等々、世界地図を広げてみて、前々から何か気になっていた地域・土地というのは、誰しも多少はあるのではないでしょうか。個人旅行の場合、現地に到着してからの移動方法等、すべて自分で探したり、判断し手配、交渉もしなければなりませんから、団体旅行のように全てお任せの楽さ安心感はとてもありません。言葉の点を筆頭に、面倒な事が数多く発生もしますが、半面、分刻みの細かなスケジュールを押し付けられることもありませんから、全ては、その場所でその時々、自分の行きたいところへ自分の時間・都合に合わせた思いのままの自由なプランがつくれます。また、入国管理、空港、駅、交通機関、ホテル、レストラン、文化施設等々、いろいろな箇所で現地の人々と接点を持たざるを得なくなります。ちょっとした些細な確認だけでスムーズに事が運ぶこともあるでしょうが、スケジュールが狂ってしまうような事態が発生し、交渉ごとが複雑になることもあるかも知れません。逆に、思いがけず、文化施設等で相互の芸術観に会話が弾んだり、観光スポットで異国からの旅行者同士が意気投合し、友人関係が生まれたり。と、こうゆう経験を得られるのも個人旅行ならではでしょう。団体パック旅行では、なかなか出来ない経験です。このようにマイペースで自由に動く旅ですから、往々にして自分だけでそのスケジュールをこなしている様に感じがちですが、どんな形態の旅も、運輸機関、宿泊施設はじめ、本人の気がつかないところで、その旅のために、たいへん多くの人が介在し、そしてサポートしてくれています。長旅をしていると改めてそんな事にも気づかされます。そういう人々との接点は、一瞬のものかも知れませんが、意識の交流のようなものはありそうに思えます。旅行中は特に感じてなくても、旅を終えた後になってから、想いだされ、いつまでも強く印象に残る出逢い、気になる人というのがあるものです。その人々とは、もう一生出会う事はまずないでしょう。「一期一会」です。しかし、そんな一瞬の出会いでも異文化・社会への興味や、なによりも理解、新たな見方が広がり深まりそうです。小さくても、これも大切な国際交流なのではと思います。この夏、ちょっと発想を変えて、苦労もするかもしれませんが、こんなテーマを意識しながらの旅は如何でしょう。○○国、○○国人ではなく、地球、地球人を感じられるかも知れません。 ☆いつもご愛読戴き ありがとうございます☆☆出典元HPはコチラ↓☆http://www.mirai-academy.org
ヨーロッパ型の夏休み (バカンス型ぼんやり旅の勧め)主だったヨーロッパの諸国では、7月に入ると長期夏期休暇(バカンス)への計画や準備で浮き立った雰囲気に包まれ始めます。フランスでは、7月14日のパリ祭(フランス革命・建国記念日)が終わる頃から海や山に、また故郷へ向け大移動が始まります。一極集中度では東京以上と云われ、人口の約20%が集中するパリ都市圏からは放射状に延びる高速道路で大渋滞が発生します。このあたりは日本とも似ているのですが、大きく異なるのは、その目的地での過ごし方のようです。国によっては、2週間、3週間の連続休暇取得が法的に義務づけられているところもあるくらいですから、少なくとも2~3日でUターンという事はありえません。それも移動型の旅行というよりは一箇所滞在型が多いようです。その中身は、自然の豊かな地で、ただ「ボンヤリ」と何もせずに過ごしたり、大量の愛読書を持ち込み読書に耽ったり、あとは釣りや散歩、軽いハイキング程度が精々のようです。日本のリゾートと呼ばれる地には、とにかくアクティビティ、遊具施設を充実させて置かなければ、人を呼び込めない、来てもらえないらしいのです。その開発のために折角の自然が台無しになったり、また、そんな施設があると「使わなくてはならない」「行かなくてはもったいない」という強迫観念的意識が発生したりして、リフレッシュ、リラクゼーションの機会であるべき休暇が、結果的に「お疲れモードで満タン」状態になってしまうようです。それではかえって逆効果。今年はヨーロッパ並みの日数とはいかないまでも、思い切ってもう数日滞在を延ばして、この「ボンヤリ時間」を増やしてみては如何でしょうか。ただボンヤリ終日海を眺めている・・・、ただボンヤリ森の中で風に吹かれている・・・、青々とした稲穂の揺れる里山を蝉しぐれの中、ボンヤリと散歩する・・・、等々。帰省先をお持ちの方でしたら、子供の頃へ逃避して、その頃よく遊んだ地を訪ね、ボンヤリとしてみては。例年の、あわただしく帰省している時に感じ、見ているものとはまた違った新鮮な風景を、故郷は見せてくれるかも知れません。今夏休みは、ヨーロッパの人々にならって、あえて何もしない、心身のリセット、リラクゼーションのための「ボンヤリ時間」を過ごしてみては如何でしょうか。☆いつもご愛読戴き ありがとうございます☆☆出典元HPはコチラ↓☆http://www.mirai-academy.org
ジメジメとして蒸し暑い、鬱陶しい雨の季節が終わると、いよいよ太陽の夏本番です。毎年、今頃になると、この夏休みの計画を立てる方も多いのではないでしょうか。日本人の夏休みというと、例年8月中旬、旧暦のお盆の時期に一極集中してしまうようです。大都市圏で暮らす人の大半は地方出身が多く、この時期には「旅」というより「帰省する」という人もたいへんな数に上ります。昨今、長めの休みを取る人も増えてきたとは云われていますが、それでも長くて、ほぼ一週間くらいのようです。この頃になると、決まってテレビニュースも、都心から地方へ放射されて行くように大量の人の流れが生み出す渋滞や飛行機、鉄道の混雑情報を放送します。ところがそのわずか数日後には、今度は地方から都心へ向かうUターンの混雑情報が流れ始めます。そしてテレビの画面にも、都会へ帰って来た人々のインタビューシーンがよく映し出されていますが、決まって「いゃあ~疲れました。ぐったりです。明日からまた大変です」等々の感想がほとんどのようです。毎年の事ですが、いつも疑問に感じることがあります。せっかくのリフレッシュの機会が、わずか中2~3日の滞在では、何のための苦労しての大移動なのか、甚だ不思議な感じを持ってしまいます。やはり、先進国の中でも、特に欧米の夏休みと比べると、まだまだ休暇の期間は短く、余暇の使い方過ごし方においては、残念ですがあまり上手とは云えないようです。普段、色々なストレスにさらされながらも頑張ってきて綻んだ体や精神を、この暑い季節に、次の活動、ステップへ向かうために休め、体力回復とこころのリフレッシュに、もう少し休暇の過ごし方、使い方を考え直しても良いのではないでしょうか。こんな視点に立って、今年は今までより思い切って、ちょっと長めの夏休みを取り、中身も疲労感のみが残るような過ごし方、使い方をちょっと変えてみては如何でしょうか。また、思い切って「海外個人旅行」というのはどうでしょう。自分のペースで異文化や自然に触れ、そこで出会う多様な人々との交流を含め新しい世界に視野を広げる体験・学習旅行もこの時期ならではかも知れません。そこで、今回は、静と動の異なったタイプの旅行が生み出す「旅」の効用2題です。☆いつもご愛読戴き ありがとうございます☆☆出典元HPはコチラ↓☆http://www.mirai-academy.org
・名水を味わい感じる「水」紀行日本列島は世界的に観てもたいへん雨(雪)の多いところです。年間降水量は欧米先進諸国と比べてもずば抜けて高い数値を記録しています。6月から7月にかけては北海道を除くほとんどの地域で長雨の続く「梅雨」があり、冬になると日本海側では都市部でもたいへん多くの雪が降り積もります。積雪量もやはり世界的に高い値を示しています。このような雨や雪は生活面では、時として災害をもたらしたり、鬱陶しい気分にさせられたりと歓迎されないことも多いようですが、反面、豊かな山や森を育んでもきました。世界遺産にも登録された白神山地や熊野、屋久島などはこのよい例といえるでしょう。このように降りそそぎ浸透していった水は再度地表から名水として我々の心身を潤してくれています。以前は「水」をお金を出して購入するなどということは日本人の感覚ではありえないことでしたが、健康意識の高まりもあり、飲み水への関心はヨーロッパ並みに定着してきました。このような背景から全国的に各地方自慢の湧き水が販売されるようにもなりました。日本列島は国土の7割が山間部で占められ、また多くの河川がその山々から複雑に流れ出しています。環境省が選定した「名水100選」を見ても山間部に限らず都心部でも多くの名水、湧き水があることが分かります。山の中にある名水で一つ紹介したいのは、青森県の国立公園にも指定されている八甲田山中の湧き水です。青森市から十和田湖行きのバスに乗り1時間程で酸ヶ湯という温泉に到着します。此処は冬になるとニュースや天気予報で豪雪地帯として積雪○○メートルとよく報道されていますのでその名をご存知の方も多いのではないでしょうか。この地の温泉旅館から八甲田山最高峰の大岳へ向かう登山道の途中にある山小屋、仙人岱ヒュッテの側に登山者の為の水場があります。地面に空いた簡単な木の枠組みだけの穴から夏でも手の切れるような冷たさで滾々と湧き出している水は軟水の多い日本にあって、他の山の水にはあまり無い強くしっかりとしたミネラル分を感じる濃密さがあります。一汗かいた体や乾いた喉にまさしく五臓六腑にしみわたる旨みと力をもっていて、麓から1時間かけても飲みたい水といえます。一方、現代でも生活用水として日常幅広く湧き水を利用している町の代表といえるのが「郡上おどり」で有名な岐阜県郡上八幡でしょう。市中にある宗祇水(そうぎすい)は名水百選第1号に指定された湧き水でもあり、これらの豊かな湧き水は鮎や鰻といった天然の名物も育てています。水に育てられる夏の味覚といえば岩牡蠣もあげられるでしょう。牡蠣といえば以前は冬が定番のもので、夏場に生牡蠣というと鮮度の面でも怖がられたり驚かれるケースが多かったようですが、今では夏の高級グルメとして一般にも定着したようです。特に山が海に落ち込むようなリアス式海岸の岩礁地帯では天然の巨大な岩牡蠣が獲れブランド牡蠣として出荷する地方も出てきました。山陰海岸産の「夏輝(なつき)」と呼ばれる岩牡蠣は15cmを越える大きさで、身も海のミルクをたっぷりと含んで太ったものが多く1個でも1,500~2,000円の値段がついているようです。このサイズのものは世界の牡蠣の特産地とされるフランスブルターニュ地方やアメリカの北大西洋岸地域でもあまり目にすることのないものです。これだけのものが育つには海や海岸の条件ばかりでななく、ミネラルをたっぷり含んだ清冽な湧き水がその海に絶えず供給されていることが大切とされています。まさしくその点で一年を通して水を十分に蓄えた日本の山や森は、我々にこのように食の面でも多くの恵を与えてくれています。これらはいずれも少々高価ではありますが、たまには雨の島、日本列島が生み出した世界最高レベルの味を楽しんでみるのも暑気払いよいのではないでしょうか。☆いつもご愛読戴き ありがとうございます☆☆出典元HPはコチラ↓☆http://www.mirai-academy.org