普通であれば、SNSに顔写真を載せたりしないのだが、彼は載せていた。
ということは、本当に歴史上の人物の子孫なのかもしれないし、その式礼を継承してる継承者なのかもしれない。
しかし、何故それをSNSに投稿してまで、他者に知らしめなければ成らないのか、それが不思議でならない。
ブログだけで良いのではないかと私は思う。
そのブログを書いたのが、彼が歴史上の人物の子孫であると名乗ってから、既に十年以上も経ってからなのだ。
もっと早くにSNSを活用していれば、彼を取り巻く、歴史上の人物の子孫たちが繁栄されたのではないかと思う。
今から12~3年前、宮内庁が調査に入った頃から、彼ら民間からも調査していれば、より良い調査結果が得られたのではないかと思う。
しかし彼は遣らなかった。その理由は定かではないが、多分にして、情報が少なすぎて、まだ架空の段階だったのかもしれない。それが、数年後やってきたスピリチュアルブームが彼の脳天を直撃したのではないかと思う。この頃からの彼は、水を得た魚のように、自称陰陽師と名乗る爺さんと一緒になり、精神的に弱い人たちを苦しめていた。霊能者の振りをしては自身を氏子と名乗り、幾人かの悩める被害者を造っていった。
今の内に有名になって、などと、普通なら決して想うことの無い想像をしてしまったのではないかと推察できる。
しかしそれは浅はかな考えであった。彼らの行いにより出た被害者を救う事はできず、ブームが去ると同時に彼らも去っていった。
彼らを見つける事となったのは、彼のブログ『妹尾太郎兼康』という物をGoogleで発見してしまったからだ。
それから彼との遣り取りが始まった。
彼のブログから、他のSNSでも揉めていたのが伺えた。
どんな事情があっても、歴史上の人物の子孫になりすまし、他者を傷つけてはならないと思う。
彼らを信じて付いてきた人たちを切り捨てた行為は、人間として、決して行ってはならない事だと私は思う。
できるなら、彼らに制裁を与えてほしい。
妹尾太郎兼康と名乗る男性から、パッタリと返事が来なくなった。
理由として上げられるのは、男性の先祖が妹尾太郎兼康の二男宗衛判官衛とかなんとかぬかしているけど、妹尾太郎兼康に息子は瀬尾小太郎宗康の1人しかいない。
そして、この息子の子供が代々を繋げて現在に至る。
壇ノ浦の戦いで安徳天皇の身近にいたとされた人物は、妹尾太郎兼康では無く、源義朝だった。
安徳天皇は源義朝に連れられ、生き長らえたという古文も見つかっている。
ということで、彼の語る物には絶大的な大嘘が隠されているのだ。
次からのブログでは、彼とのメッセージのやり取りを公表しようと思っている。
理由として上げられるのは、男性の先祖が妹尾太郎兼康の二男宗衛判官衛とかなんとかぬかしているけど、妹尾太郎兼康に息子は瀬尾小太郎宗康の1人しかいない。
そして、この息子の子供が代々を繋げて現在に至る。
壇ノ浦の戦いで安徳天皇の身近にいたとされた人物は、妹尾太郎兼康では無く、源義朝だった。
安徳天皇は源義朝に連れられ、生き長らえたという古文も見つかっている。
ということで、彼の語る物には絶大的な大嘘が隠されているのだ。
次からのブログでは、彼とのメッセージのやり取りを公表しようと思っている。
瀬尾一族の祖先の流れを紐解けば、物語と現存する三種の神器が合わない。
現在ある三種の神器の内、レプリカが2点、本物が1点。
大層に塚などを設け、さも現存しているかのように見せている。
鏡、勾玉、剣の内、現在見つかっているのは勾玉だけだ。
つまり、妹尾太郎兼康が壇ノ浦の戦いで、安徳天皇に関わった事実が存在しないから、鏡がレプリカなのだ。
もしこの源氏物語が本当の歴史なら、鏡は今も存在する事に他ならない。
軟弱な頭脳の俺にも良く分かる(笑)
それに、妹尾太郎兼康親子が成敗された時代と、安徳天皇が亡くなった時代に2年のズレがあること。
2年前に死んだ者が、2年後には歴史上の人物になっている。
それに最も不思議な物、それは、何時の時代に誰の手によって書かれた物か分からない家系図。
誰かが書いていた、1千年前に亡くなった人物の代々が、たった35代であること。
始まりが500年前の人物で28代~なので、少なくとも50代は続いている計算になる。
現存する系図をみても、妹尾太郎兼康から数えて現在まで少なくとも100代は続いている。
途中不明な部分が多いが、大体は合っているだろう。
しかし不思議なのは、御先祖様の名前が妹尾太郎兼康ではなくて、妹尾小太郎宗康な事だ。
で、私なりの結論は、妹尾太郎兼康は作り物だったのではないだろうか?
つまりそんな奴、安倍晴明みたいに最初から居なかったのではないだろうか。
源氏物語を完全な物にするため、あちらこちらの時代を造り、人物を造り今に繋げたというのが真実なのでしょう。
桃太郎伝説と同じように、年代も人物も合わない物語は、この岡山には多数あります。
現在ある三種の神器の内、レプリカが2点、本物が1点。
大層に塚などを設け、さも現存しているかのように見せている。
鏡、勾玉、剣の内、現在見つかっているのは勾玉だけだ。
つまり、妹尾太郎兼康が壇ノ浦の戦いで、安徳天皇に関わった事実が存在しないから、鏡がレプリカなのだ。
もしこの源氏物語が本当の歴史なら、鏡は今も存在する事に他ならない。
軟弱な頭脳の俺にも良く分かる(笑)
それに、妹尾太郎兼康親子が成敗された時代と、安徳天皇が亡くなった時代に2年のズレがあること。
2年前に死んだ者が、2年後には歴史上の人物になっている。
それに最も不思議な物、それは、何時の時代に誰の手によって書かれた物か分からない家系図。
誰かが書いていた、1千年前に亡くなった人物の代々が、たった35代であること。
始まりが500年前の人物で28代~なので、少なくとも50代は続いている計算になる。
現存する系図をみても、妹尾太郎兼康から数えて現在まで少なくとも100代は続いている。
途中不明な部分が多いが、大体は合っているだろう。
しかし不思議なのは、御先祖様の名前が妹尾太郎兼康ではなくて、妹尾小太郎宗康な事だ。
で、私なりの結論は、妹尾太郎兼康は作り物だったのではないだろうか?
つまりそんな奴、安倍晴明みたいに最初から居なかったのではないだろうか。
源氏物語を完全な物にするため、あちらこちらの時代を造り、人物を造り今に繋げたというのが真実なのでしょう。
桃太郎伝説と同じように、年代も人物も合わない物語は、この岡山には多数あります。
