2011 3 15 | **yuki no hana*

**yuki no hana*

日々精進***アクティブに、ポジティブに!

あの日から5日。

更新していいものか、迷ったけど、記録。


今日は、誕生日でした。

そして、職場の送別会で、張り切って作ったスライドショー流して、皆を笑わせて、そして泣かせるつもりでした。

わたしのたんじょーび、みんなに祝ってもらっちゃってすみません(^_^;)
なんて冗談とばしてるつもりでした。


当たり前のように来ると思ってた明日が、3/11から心の中で止まっている気がする。

僕は怖い
隠さず言おう
死ぬのが怖い

明日突然友達が消えて
世界が闇に包まれたら…


3/11

同期と先輩と小山で研修中の14:46。
大きな横揺れ、すぐに収まると思ってたら、どんどん強くなって、机にしがみつかないと椅子から振り落とされるんじゃないかと思った。
すぐに停電して周りが真っ暗になった。
カーテンを開けると、昼間なのに薄暗い気持ち悪いオレンジの空が広がってた。

そのまま、研修は中止になって車で帰宅。
1時間弱くらいの道程が2時間はかかった。
信号は消えてるし、瓦が落ちている家もあった。

余震を何度も車内でも感じた。

日勤終了間際に病棟に着いた。
病棟はばたばたしてた。停電して、自家発電で動いてた。在宅のレスピっ子が2人、そして、県内の被害が大きかったとこから数名、レスピっ子を受け入れるかもとのことだった。

とりあえずなんとかなりそうとのことで、私たちは帰宅。

スーパーに寄ると、停電のなかパンや、刺身、フルーツや惣菜など、売り切ってしまいたいものだろう、を格安で販売していた。

家に帰ると、冷蔵庫は動き、CDがテレビに直撃して割れてた。
出窓の壁際においてあるカゴが1mくらいずれてて、揺れの幅を知った。

停電していた。情報はツィッターのみ。それも、電源があるので頻繁に見れず。
23時頃、復帰。
テレビを付けると、津波が街を飲み込んでいくあの映像に目を覆った。

何かあったら持ち出す荷物をまとめて、食料のストックもひとまとめにした。

大きな余震があれば、すぐに出勤しなくてはとおもい、洋服のまま就寝。
いつもなら、寝たら地震が来ても起きないのに、わずかな余震でも目が覚めた。

3/12
休み

宙友と打ち上げの予定で希望休を取っていたので。

色々悔しい。

3/13-14
夜勤

夜勤すぐ、たまに入院する心臓っ子が都内まで搬送かもと。
救急車ならきっと大丈夫だけど、まだ余震の不安があったし、ぶじ行けるのか本当に本当に心配だった。

結局、うちで見ることになった、、わたしの部屋だったから神経擦り減った(^_^;)
無事朝を迎えたときには泣きそうだった。

こんなときに、あの子の体調わるくするなんてって、神様を怨んだりもした。

3/15
6:50-9:50計画停電

やれることならなんでもするから…


いつもメンバーでのごはんも、打ち上げも、飲み会も、先輩とディズニーも、最後のロミジュリも…

当たり前にくるはずのキラキラした毎日。
全部消えたのに、こうして生きて、なんの苦労もなく水もガスも電気も通ってる環境が恨めしい。

ふとした瞬間に被災地を思う。
被災地のこどもたち、大丈夫かな…
もちろんね、動けない高齢者はじめ、他に気に病むべきことはたくさんある。

ミルクや離乳食、、それから在宅のレスピっ子もいるかもしれない。

なにも感じていないように見えて、遥かにたくさんのことを感じてる彼ら。
大人をみてるから。

中越の時、被災したこどもたちにたくさんあったけど…本当になんでもわかってた。


自分の家族の安否もわからないのに、働き続ける医療スタッフもいるのに、自分はこんなに休んでてよいのかって思うし、笑ったり、べつのことかんがえたりすると、罪悪感。


自分にできるやり方で、、できることをしよう。

計画停電で思い知った通り、正確な情報がつたわることがいかに難しくて、いかに重要か。



pray 4 japan:)


たくさんの人がつながってる。
応援してくれてる。

日本も捨てたもんじゃないな!

胸が熱くなる。


いつまでも被災者ぶってたらだめだな…