坂東武者の鑑と云われた畠山重忠公、平家追討に義経とともに戦いました
家柄も良く桓武平氏の流れをくむ秩父平氏の出です
重忠の父、重能が秩父郡吉田郷から男衾郡の畠山郷に移り住んだと云います
旧川本町畠山郷にある畠山重忠公史跡公園にある墓所と産土の井戸がある
義経とともに降りたヒヨドリ越えの逆落としで愛馬・三ヶ月を担いでいる姿
重忠の菩提寺。 白田山観音院満福寺(真言宗豊山派)の山門
重忠公の史跡公園からすぐの所にあり、のどかな雰囲気の漂うお寺です
重忠公を祀る観音堂。重忠公が守り本尊にしていた千手観音がご本尊です
二俣川で戦死した重忠親子の墓石。観音堂の裏手に板碑と石碑が建っている
吉田郷から移り住んだ時に五所宮を勧進して井椋神社を創建したのが始まりという
裏手を流れる荒川の「鶯の瀬」と云われる浅瀬。 増水した荒川の浅瀬を鶯が重忠公の水先案内をしたと云う河原。 井椋神社の裏手に石碑が立っている
中州もあってのどかな流れの荒川。 奥秩父から流れて来る荒川だが何度も何度も水害に見舞われていたが普段は穏やかな姿の流れです
重忠公の史跡巡りを薄曇りの中でしてきました。鎌倉殿の13人が楽しみです
史跡公園になっている所が館跡と云われています。 境内に建つ霊廟