お久しぶりですね~。これ書くの。
毎日GOOD ON THE REELのことばっかり考えて、楽しく過ごしてます←


こんなに、心不全のことばっかり考えてるなんて、私病気かな、そんな風に思えるぐらい、休みの日なのに、心不全の緩和ケアについて考えてる。
昼ごはんも食べずにこんな時間になってしまった。
というか、昼ごはんに割く時間がもったいないよ。
別におなかすかないから、一日2食だって大丈夫だよ、たぶん。

でも、本当に心不全緩和ケアに対してはいろいろやりたいことが、たくさん出てきて、勉強してると、ほんとに次々とわき出てきて、追いつかないし、どれからやっていったらいいかなって感じで困ってる。
でも、まあ、それは目の前のことからひとつずつ片づけていこうかなと思ってる。

ここにきて、まだ4か月。
こんなよそ者が、なんか大それたこと言ったって、たぶん聞く耳持ってもらえないし、ましてや私は誰かを取り込んで物事を進めていくのが苦手だから、、。
今年一年は、自分が受け持ちになった患者さんの症例をきちんと取って、緩和ケアの視点からの看護を考えて実践していけたらなと思う、、
のだけど、でも病棟の看護は、私ひとりで実践できるものじゃないから、そうなるとやっぱり、プライマリーとしての考えを周りに提示しないといけないんだよなぁ。
それが実は一番苦手だったりする。
でも、そこは乗り越えていかなきゃいけない壁かな。
 

それにしても、こないだ退院調整担当のスタッフに言われた一言にはびっくりした、という驚愕したわ…。
「私がやるから、そんなにかかわらなくていいわよ。」って。
……???????ってなったわ。
だって、私プライマリーなのに、かかわらなくていいってどういうこと?
心不全症状は改善して、在宅か療養病院か、施設かを検討する時期になって、その患者さんにとっての、今一番の看護問題が、介護者役割緊張状態の時に、介護者となる家族にかかわるのは当然のことだし、必要なことでしょうよね?
家族の介護力を知るのに、家族構成やら家族の関係性を知ることはもちろん必要だし、転院先の病院に対してどういう思いを持ってるかも知る必要があるし、家族と患者が納得できないまま、転院やら施設の入所が決まったって、そうしたら、家族や患者が病院に見捨てられたって感じることにつながっちゃうじゃんね。
そういうところまできめ細かく対応できてればもちろん言うことはないけど、一人で何人もそういう退院調整が必要な患者さんの対応をしていて、ましてや今回の入院が長引いて、DPCの日数超えたっていう事実から、転院を早急に考えなくちゃいけない状態で、そこまで対応できてるとは思えない。

いや、こんなこと思ってても実際言えないし、争い事は嫌いなので、まぁそのうちゆっくり改善できていけたらいいんだと思うんだよね、この体質を。

心臓カテーテル検査やら、経皮的冠動脈形成術やらの入退院とか、検査だし受けで、病棟はめまぐるしくて、心不全の看護師しかできないケアに、なかなか目が向かないのも当然だと思うんだけど、これから先、心不全パンデミックが起こるんでしょう?(院長が言ってた。)
その時に備えないと。
でも、院長がいくら言っても、なんか実際に、診察・治療してる内科の医師たちがそのために動いてるようには見えないんだけどね。
いや、ごめんなさいね、医者を悪く言うつもりはみじんもないんだけど。
もし、詰まった冠動脈を開通させて、あとは内服で経過コントロール。
しか考えてないんだったら、さびしいなって思っただけ。
そこに患者さんはいないから。

看護には、もっともっといろんなことできるなって、ほんとに今そう思ってるんです。
4か月でこんなに自分が変わるものかね。
3月までは死んだ魚の目をしていたのに(笑)。

自分で決めたことだから、何か障害があっても、今度は前に進めると思うんです。
これから先も、自分で決めたってことが、きっと自分の原動力になるはず。


ぼやっと書くよ。曖昧に。



自分が今までやってきたフィールドと、全く感覚が違うんだ。
これで大丈夫、と思ったことが正しくない。
その判断ができなきゃ、リーダー務まらないって、分かっとるわ!


はぁ、今まで自分が積んできたものってなんだったのかな。
今はとっても無意味に見える。その山が。ガラクタ。

ここのところ、自尊心が低空飛行。
自分を認めたいところだけど、認められるところ見つからないんですよ、まったく。

感情が態度や言葉にすぐ現れる人は、一緒にいてすごくシンドイ。
相手が不快に思わないように考えすぎてパンクする。ここで、これをしたら、こう思ってくれるかな、いや、こうなったらこうかもとか、その労力仕事に向けたいのに、ほんとに無駄だ。

でも、自分には自信がないし、手を差し伸べてくれる人もいないから、自分でどうにかするしかないんだけど、まぁ、たぶんホルモンバランスによるものかもしれないから、あと2、3日すれば、なんとも思わなくなってる可能性もある。


ジムに行って痩せようと思うのも、ピアノに行ってピアノを弾くのも、自分を認められる部分を見つけたいからだけど、結局自分より綺麗な人なんて山ほどいるし、ピアノが上手な人も山ほどいる。

そんな、見たことも会ったこともない誰かと比べる意味なんてないけど、比べて悲しくなるんだ。

隣にある小さな幸せにも気づかないし、少しの優しさも出てこない。
いつもそこにあるのに。見えなくなる。

自分一人で完結できる生活が楽と思ってしまうことは、相手にとっての裏切りなのか。自分の意思で一緒にいたいと思ったのに。

きっと、相手が誰であっても、出てくる感情は変わらない。私が私だから。

外から見たら幸せでも、綺麗に飾ってニコニコしてても、まったく気持ちがついていかないことなんて、よくある。

笑顔を絶やさないとこが、素晴らしいことと思ってたけど、偽った笑顔が鏡に映るたびに気持ち悪いわ。

まだ笑えるだけましか。

別に病んでるように見えるけど、そうでもない。人が外側から感じるものと、内面は必ずしも一致しない。書きたいことを書いてるだけ。
書いてるからって、余計悲しくなったり虚しくなったりはしない。


雨が止んで、日が出てきた。
寒くてジメジメした心と体をちょっとでもあっためてくれるかな。







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イルミネーションは、夜見ると綺麗だけど、昼間は電飾が木に絡みついてて、ちょっとかわいそうに見えるのは私だけでしょうか?

もう少しで、今年が終わるみたい。

年賀状書いたり、大掃除したり、でも、地元の友達とも会いたいし、でも、なんとも大晦日と元旦は日勤…だから。
この仕事してる限り、連休は期待できない。悲しい。

ほんとに、働き方を変えるっていうことを考えたい。
すれ違いすぎてなんだか、一緒に暮らしてる気がしないし、こっちが一緒に過ごす時間を作らなきゃ!と思ってても、以外とあんまりそういうこと考えてなかったり。

すれ違っているのです。


最近やっと仕事も落ち着いてきました。
小児科のこともちょっとだけ、わかってきたみたい。
子供達は病気になっても成長するし、たくさんの選択肢のある未来がある。
それを、一番に考えて治療していく、小児科の先生をとっても尊敬してる。

そんな中でも、病気と戦った末に、息をひきとる子もいる。
これは、まだ私には包みきれない。辛い気持ちになっちゃうから、その子のために、家族のためにって、考えるまでいかないんだ…どう声をかけたらいいか分からないし、どんなケアをしたらいいのかも、分からない。
でも、そんな中でももがいているのです。
こんなことしか、言ってあげられない、こんな当たり前のことしかしてあげられない。けども。

はぁ、難しい毎日だ。

なんとか、今年が終わる。

GOOD ON THE REELとammoflightにだいぶ救われた年でもありました。
ammoflightは来年解散しちゃうけど…悲しい。

誰かに頼りにされながら、頼りながら、今年が終わって、また来年も、誰かに救われながら、誰かの救いになれるように、過ごしたいね。



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