私は隠れ高校野球ファンです
今回の記事は私のただの思い出話です
と~っても退屈で長いので・・・読まないほうがいいですよ
私の通っていた高校は甲子園常連ってレベルではないけどそれなりに野球が盛んでした
それに加えチアリーディング部だったので野球応援には必ずかり出されました
運がイイことに、私が高校生の時に春、夏甲子園にも出場
ちなみに卒業後、まだ甲子園出場してません
高校時代に甲子園に行けたことはとっても貴重な思い出です
通常ひとつの県からは代表で1校が甲子園出場しますが、
東京都は学校の数がとても多いので東京を西と東で区切り
それぞれ1校ずつ、計2校が甲子園出場できるのです
私の高校は西東京地区でした
ハンカチ王子の早稲田実業なんかと一緒
私の高校は、一応地区大会では強豪校なのでシードで毎年3回戦からの参戦でした
私たちにとっては1回戦目
甲子園を目指す高校としては初めの一歩です
一方相手校からしたら、1戦目、2戦目を勝ち抜いて強豪相手に戦うんです
相手校の応援席には入りきれないほどの応援に来た生徒、保護者
だいたいの試合は大差で私の高校のコールド勝ちです
5回で10点差、7回で7点差・・・だっけ?
とにかく試合途中でも大差がつくと試合が終わってしまうのです
選手たちは、9回まで戦えなかったことと野球部引退の想いでグランドに泣き崩れてしまいます
自分の高校が勝ったことより、相手の選手たちをみるとなんとも言えない気持ちになりました
そんな試合が2.3回あるのです
でも素晴らしいのはここから
負けた学校の選手たちが、自分たちの為に作った千羽鶴や団旗を勝った学校に譲ることがあります
勝った高校はそれを次の試合でベンチに飾って試合をします
そして負けてしまった選手たちは、次の日から勝った高校の応援席に来て一緒に応援してくれます
私は高校野球のこんなところが大好きなんです
あとね、ただ単純に応援が楽しいんです
私が2年の時の応援団長(ベンチ入りしない野球部)がとにかくかっこよくってキャーキャー言ったり・・・
吹奏楽部の応援演奏で『必殺仕事人』のテーマがあるんですが、
そのイントロのトランペットがめっちゃくちゃ上手く演奏された時はスタンドが沸くんです
みんな『誰?いまのトランペット』って振り向いて拍手
そして大会が終わって2学期になると、不思議に野球部が非常にモテます
もちろん私もそんなミーハーの中の一人でした
スライディングして汚れたユニホームとか、すっごくかっこよくみえたんです
そうそう、初めて甲子園に行ったのが一年生終わりの春の甲子園
一般生徒は夜行バスで甲子園に向かうのですが、チア部&吹奏楽部&スタンドの野球部は前泊でした
わが校の旅費は一般生徒は8000円ですが、チア部&吹奏楽部はタダ
甲子園に行くと学校から生徒の家に寄付金のお願いが届くので、大抵のおうちは寄付します
その寄付金から私たちの旅費が出てるので、全くのタダというわけではないけど・・・
ちなみにベンチ入りの野球部は最低30万寄付しないといけないそうです
お昼に高校をバスで出発して、夕飯は高速を降り大津プリンスホテルでディナー、
そして夜泊まったのは新神戸オリエンタルホテルでした
高層階に宿泊したのがすっごく嬉しくって、朝方まで寝ずに遊んでました
甲子園球場のそばを移動している時、近くにいたおじちゃんが大阪弁を話していました
その時初めて方言を聞いた私たちは『あの人たち大阪弁喋ってる~』なんて騒いでたら、
そのおじさんに『大阪で関西弁しゃべらんで・・・・ナンタラカンタラ』みたいに怒られました
熱闘甲子園なんていうから、甲子園てとこはす~っごく暑いんだろうと思っていたら
思いのほか風が吹き抜けてとっても涼しいところでした
西東京大会の準々決勝からは神宮球場で行われるのですが、神宮球場のほうがずっと暑い
ただ、甲子園球場はと~っても広くってアルプスからは試合がよく見えません
見えるのは外野手
バッターなんて、目の悪い人には何やってるかわからないほど遠かった・・・
今年の大会は90周年の記念大会で、出場できる学校が増えました
東京と同じように、神奈川・千葉・埼玉・大阪の出場校が多い県では2校ずつ出場できるトカ・・・
私の母校は、元巨人&元メジャーリーガー超有名野球選手の息子が野球部に入部するも
今やシード校ですらなくなったらしく、4回戦敗退
西東京地区からは、日大鶴が丘が出場
私の住む北神奈川地区からは慶應義塾高校が出場です
彼の出身校も野球の名門校で、元巨人&現ヤンキースのあの人の出身校なんですが
こちらも出場できなかったそうで・・・
どの学校を応援するか考え中です
受験前で事務所おやすみさせてもらって勉強しなきゃいけないのに・・・
ついながながとブログを書いてしまいました。(´д`lll)
午後はちゃんとお勉強しなきゃ