映画という虚像,八甲田山 | 昭和を懐古する部屋(パニック障害と共に歩むじじぃの話)

先日,新聞の書籍コーナーで紹介されていた下記の新刊に目が止まり,少々立ち読みをしてきました.図書館に購入され次第,予約しようと思います(出版業界の方,スマンです).

 

伊藤薫():八甲田山 消された真実,山と渓谷社,2018/1/17

 

世界山岳史上,最大の遭難事件(しかも最新装備を備えるはずの軍隊が)です.ご存知,新田次郎の名著でもありますが,ほとんどの方と同じく(きっとそうですよね),事件のことは1977年公開の映画「八甲田山」で知りました.その映画ですが,冬山の映像美といい,役者の身を挺した演技といい,芥川也寸志のサウンドトラックといい,昭和の邦画の中ではピカイチの作品だと思います.

 

しかしストーリーは簡潔で,来るべき日露戦争に備えて極寒の冬山横断(縦断かな)訓練を競うように敢行した弘前第31連隊と青森第5連隊が舞台で,ほぼ無被害で目的を完遂した弘前隊と,210名中199名が死亡した青森隊の運命を対比して描いております.ここまでは客観的事実なのですが,映画の序盤から,両隊の運命を予感させるようないくつかの出来事が伏線として張られております.

 

ひとつだけ説明すると,ほぼ全滅した青森隊は,冬の八甲田山は超危険だとして道案内を申し出た村長(加藤嘉)に対して「戦をする者がいちいち案内人など頼んでおられるか,(中略),案内料が欲しいだけのバカな奴らだ(by隊長役の三国連太郎)」等と民間人に対して言いたい放題.一方の弘前隊はというと,当初から民間人の協力を仰ぐ計画で案内人(秋吉久美子)を先頭に秩序正しく行軍し,目的地に到着後は案内人に敬礼(by隊長役の高倉健)して感謝と敬意を表しています.まぁ要は,傲慢で無計画な青森隊は当然その報いを受け,弘前隊はその逆に描かれるという,話自体はとてもベタな構成です.

民間案内人↓

秋吉久美子,キレイな人です.

弘前隊隊長↓

高倉健,案内人に感謝の敬礼,しかし史実は?

 

健さんの演技と台詞回しは,まぁアレなのですが,少なくとも,謙虚で節度ある隊長役のキャラにはピッタリとはまっておりました.逆に名優三国さんは,完全な憎まれ役でしたね.予想通り冬山で立ち往生して,部下を叱責するセリフ“神田大尉(北大路欣也)を呼べ!”の声が今でも耳に残っております.

青森隊隊長↓

三国連太郎,「切腹」の家老役といい,この人は善悪ともに似合う.

 

しかーし,事実はさにあらず.ほぼ全滅した青森隊のことはまぁイイとして(ここはスルーして下さい),問題は弘前隊のことですよ.まず案内人についてですが,冬山を前にしり込みする地元民(当たり前です)を無理矢理案内人として駆り出しており,そのほとんどが凍傷被害にかかっている(手足の指切断の人も).しかも,途中で引き返すことを進言した案内人を叱責するばかりか,何と軍に先行させて進路を捜索させており,しかも彼らが逃亡しないように人質まで取って鉗口令を布いている.鉗口令を布いたということは,自身の悪辣さを認識しているってことだよね.

 

以上は,原作の新田次郎著にも記述されていることですが,伊藤著では,さらに詳細な資料を加えて検証しておられました.もちろん,生き残った案内人の証言なるものが根幹であり,今や真実は闇の中なのですが,別の複数資料とも突き合わせていくつかの角度から検証しており,なかなか説得力のある力作だと思います.

 

映画“八甲田山”のラストでは,芥川也寸志のサウンドトラックとともに,青森隊の生き残りや弘前隊の多くの将兵が日露戦争の極寒の地で飲まず食わず敢闘し戦死した,とのエピローグが流れ,それを見た当時の昭和おやじは,“明治の軍人は昭和の軍人に比べると立派だなぁby司馬史観)”などと単純に思ったもんです.物事,そんなに単純な訳ないよねぇ.

 

ということで,“歴史的事実に基づいた映画”には必ず裏があるという話でしたが,前回の自虐史観といい今回の八甲田山といい,昭和はそんなに遠くないな,と思う今日この頃です.