夫たちに説明をして帰宅した後、泥のように眠った。

 

 

子供と離れて過ごした2日目の夜だった。

 

 

 

次の日の朝、私はまた病院に居た。

3日間、点滴と3時間おきの10mlのミルクだけで過ごしている我が子。

 

機嫌がいいようには見えない。

かといって、ぐずぐずしているわけでもない。

 

きっと、もう騒ぐ体力がないんだろうな。

 

でも、私も顔を見ると抱いて欲しいと両手をこちらに向けてくる。

たまらなく愛しい。

点滴に気を付けながら我が子を抱く。

 

 

、、、軽い。

 

 

ただでさえ小さな我が子が、

入院して数日で、どんどん軽くなっている。

不安で仕方なかった。心配で仕方なかった。

頑張ろうね、頑張ろうね、と声をかけ、隣で横になり、

私はひたすら悔しさで涙を流していた。

 

 

母子カウンセラー飯田が病室へ入ってきた。

 

 

 

 

 

 

飯田「こんにちは。最近、お母さんの体調はどうですか?少し顔色が良くなりましたね。」

 

 

 

 

私「はい、おかげさまで。。子供と離れて、私一人で寝るなんて、出産してから初めてだったから、、すっごく寂しいです。」

 

 

 

 

飯田「そうだね、お子さんも寂しかったと思うよ。お母さんに会えてこんなに嬉しそうにしてる!!」

 

 

 

 

飯田さんはとてもやさしい目で我が子を見た。

つい数日前まで、苦しみや辛さしか感じなかった私が

少し子供と離れただけで

暖かい気分になっている。

子供と離れないと気が付かないなんて、本当に情けないけど。

 

こんな子育てしかできないけど、、

私と我が子は互いに必要として生きている。

 

 

 

 

 

 

 

私「あの、私、今日から一緒に付き添い入院してもいいですか?」

 

 

 

 

もう逃げないと決めた。

我が子が自分の人生を、自分で選択できるようになるまで

必ず私が見守ってみせる。

 

きちんと、受け入れようと決めた。

 

我が子が疾患を抱えてこの世に生まれてきたこと、全てを。

 

 

私は贅沢だった。

 

自分が何一つ病気というものを経験せず、手術なんて経験もない。

 

私の人生は、これが普通だった。

 

 

自分と違う人生を歩もうとしている息子を、母親である私が色眼鏡で見ていたことに気が付いた。

 

我が子にとっては我が子の生活が普通そのもの。

だったら普通に暮らしてゆけばいい。

 

 

 

 

飯田さんは「お母さんから言ってくれてよかった。先生にも伝えておきます。」と優しく笑ってくれた。

 

 

 

 

 

同時に、夫にも連絡をした。

 

夫から返事が来たのは、次の日の夕方だった。