
ベジータの機嫌は最低最悪だった。
腹がすいているのだ、気持ち悪いほどに。
この二日ほど彼はほとんど何も喰べていなかった。
…いや。
そのせいじゃない。
生きる事に執着のないベジータである。
あれば喰うが無ければ喰わない。
ただそれだけのことである。
そしてよっぽど腹が減れば草の根でも喰う。
それがベジータだった。
この半月ほど食料を持って
北の山岳地帯にこもっていたベジータであった。
フリーザ軍の戦闘員として生きてきた
彼の習慣は地球に暮らしても変わることはない。
寝て、喰って、訓練を重ねる。
その繰り返しこそがベジータの生き方なのだった。
それ以外の生き方を彼は知らなかった。
そして大きなイベントとして戦闘があり
ベジータはトランス状態になる。
生と死との狭間で彼は全てを開放し
本能のままに暴れたのであった。
傷つけ傷つき一線を超える。
良心も後悔も存在しない世界で
ベジータの裸の自我は開放される。
黒いどろどろしたこの世界で。
もし。
この鎖のような生活が切れるときがあるとしたら、
それは彼が死んだときなのだった。
だからベジ―タは強さを求めた。
そしてただ喰って寝た。
死ぬまで生きる、そのためだけに。
数年後この世界には人造人間が現れる。
超サイヤ人の未来の少年でもかなわないという
恐ろしい人造人間が。
そして彼の未来では全てが死んでしまうのだと。
ベジータは思う。
そんなことはあるまい。
超サイヤ人は宇宙最強じゃなかったのか?
あのフリーザ親子だって倒したじゃないか。
あんなにあっさりと。
フリーザが弱いはずがなかったんだ。
それは俺が一番良く知っている。
そして。
あの未来の少年は今ごろ修行しているだろう。
サイヤ人の血を引くのだから。
そしてどんどん強くなっているはずだ。
いまこのときも。
そしてカカロット。
奴だって日に日に強くなっている…。
どんなに強い人造人間だって
修行を重ねた超サイヤ人が負けるはずがない。
超サイヤ人は
無敵だ。
日が西に傾いてゆく。
ベジータは夕日に顔を向ける。
血のように紅い光が目に痛い。
真っ赤な夕日がベジータの黒髪を紅く染めていく。
金星がかすかに光っているのがうかがえた。
そうだ。
ベジータは拳を握る。
畜生…。
俺はその超サイヤ人にさえ
まだなれていないんだ
夕日がすっかり沈む頃
ベジータはカプセルコーポに一人戻ってきた。
他人に逢うのが大嫌いな彼は
深夜に戻ってくることが多いのだが
今夜は違った。
それほど腹もすいていたらしい。
ベジータはどろどろに砂と血ががこびりついた
ブーツの汚れを落とす気もなく
ずかずかとキッチンに向かった。
ふと
ブルマの気配を感じた彼はいったん足を止めた。
そして顎に右手を当ててなにやら考えていたようである。
「まあいいか」
何がいいのか判らないのだけれど
ベジータはキッチンに入ることにしたようである。
ブルマは白いエプロンをしていた。
後姿を認めたベジータは室内を見渡した。
キッチンには甘ったるい香りが充満している。
なんともいえぬ慣れない臭いだ。
ベジータは思わず眉をしかめた。
テーブルの上にはなにやら
調理用具らしい物がやたら散乱しており
何に使うのか彼には見当のつかないものでいっぱいだった。
はっ。
地球の奴らはなんでこんな無駄なことをするんだろう。
飯なんか…腹に入ればいいんだ。
ベジータはため息をついた時ブルマが後ろを振り向いた。
「キャッ、何よベジータ!!」
大げさに驚くブルマ。
「…何よってなんだ。」
「帰ってきたらただいまくらい言いなさいよ。」
ベジータはちっと舌を鳴らした。
いらいらした調子で壁をたたく。
「何か食わせろ。」
ベジータはそれだけ言った。
「ちょっと待ってね、片付けるから。」
「待たん。
今日の俺は気分が悪いんだ。
さっさとだせ。」
「もう…」
ブルマはそういいながらも
ベジータのいうことは聞き流しているように見える。
「私はあんたの飼育係じゃないんだから
…命令しないでよねっ。」
「うるさい。」
業を煮やしたベジータは
すっと超大型冷蔵庫の方に手を差し出した。
「もうたのまん。」
「ちょっとベジータ!!」
「かってに喰う。」
ブルマは冷蔵庫の前に立ちはだかった。
「今日は何の日かしってるの!」
「ああ?」
ベジータはブルマのほうをじゃま臭そうに振り向いた。
「今日?
何か意味があるのか?」
「ほら、これよ」
ブルマの差し出したのは
両手のひらにおさまるほどの大きさの
美しい青い包みであった。
金色のリボンがかけられており
中からは甘い香りが漂っていた。
しかしベジータはその慣れない臭いに
ますますいらついていた。
「いらん」
「いらんって…何よ、ベジータ!
うけとんなさいよ!」
「なんで俺が貴様から物をもらわなきゃならないんだ?」
「チョコレートよ。
まさかバレンタインデーも知らないの?」
「・・・」
ベジータは黙って右手を振り上げた。
その指先が青い包みにあたって
包みは壁面に音を立ててうちつけられた。
「酷いわ、ベジータ!」
「黙れ!
俺に偉そうな口を聞くな!
ぶっ殺すぞ、貴様!」
「ベジータのバカバカバカ!」
「うるせぇ!!」
「だいきらい!バカ!!」
「…」
思いもかけない反応だった。
ブルマの声が震えている。
ベジータは黙り込んでブルマの顔を改めてみた。
ブルマは本当に泣いていた。
目にいっぱい涙をためて泣いていた。
ベジータはふしぎそうに呟いた。
「なんで泣くんだ?」
ベジータはそういうと
しゃがみこんでいるブルマのそばによった。
そして彼女の背中に腕をまわし顔を覗き込んで呟いた。
「泣くな・・・」
ブルマの耳元にベジータの息がかかる。
「お前が泣くと俺は困る…」
とても優しいベジータの甘いささやき。
ブルマはほのかに頬を染め目を閉じた。
そして胸をときめかせながら彼の次の言葉を待った。
「泣いてる時間があるなら
まともな物を食わせてくれ。」
バッチーン!
(ブルマの平手がベジータに飛んだ音。)
「やっぱりあんたはそうなのね!
バカバカバカー――!!!」
「役に立たない女だ。」
ベジータは冷蔵庫をひょいと持ち上げる。
自分の部屋に持ちこむつもりなのだ。
転倒防止のチェーンをひきちぎって。
200キロ近くある重量も彼には何の問題もなかった。
「これはもらっていくぞ」
「ベジータなんか大嫌い!」
「うるさい!」
ドカッ!
足で自分の部屋のドアをぶち抜く。
ベジータは冷蔵庫をその場に置くと
いらいらしながら早速中を物色しはじめた。
ドアを開いたベジ―タは思わず声をあげた。
「なんだ―!!!!!
めぼしいものが全然ないじゃないか。」
バター、洋酒、ミルク?
生クリーム、ナッツ、砂糖漬けの果物。
「…喰えるもんが無い」
「そりゃあ今日はブルマがお菓子ばかり作ってたからだ。」
突然背後から聞きなれた声がした。
「カ、カカロット!!」
黒髪のカカロットは闇の中からあらわれたのだった。
「貴様どうしてここに…
そうか、貴様が喰っちまったんだな。」
カカロットはつばを飲み込んだ。
まんざらはずれではなかったらしい。
「今日はパーティだったんだぜ、おまえんちで。
ブルマにたくさん食べさせてもらったさ、
おらも悟飯も。
お菓子ばっかだったけどな。」
「俺には関係の無いことだ。」
「おめぇが帰ってこねえんでブルマがさびしがってさあ…」
「それで貴様が慰めてやってたって訳か。
いい気なもんだ。」
「なんだよー。」
「すきにしたらいいさ
貴様の方がブルマと仲がいいんだからな。」
「変な言い方すんなよ、ベジータ。
おめえがこのまま帰ってこなかったら
おら、おめえを迎えに行こうと思ってたんだ。」
「ふん、おれにかまうな。」
ベジータはつばを吐いた。
「そういうわけにはいかねえ。
おら、ブルマがさびしそうなのはつれえんだよ。」
「適当なことをいうんじゃねえ。」
「…そうだ、ベジータ
おめぇブルマからチョコレートもらったか?」
「そんなもんもらうか。」
カカロットは意外そうな顔をした。
「もらわなかったのか?」
「違う・・・その辺に捨ててきた。」
カカロットは目を丸くした。
「おめえ、本当に悪人だな!」
「うるさい」
「…いやもしかしたら」
カカロットが手をたたいた。
「おめえバレンタインデーってのを
聞いたことねえんだろう!」
黙り込むベジータ。
カカロットはにやりと笑った。
「おめえは地球にすんでたわけじゃねえから
知らなくってあたりめえだな。
バレンタインデーてのは
女が好きな男に愛の告白をする日なんだぜ。」
「こ・・・告白だとっ!」
「そうさ。
好きな男にさチョコレートを渡すんだ。
普段どんなに気の強い女だって
こういうことは大好きみたいだぜ。」
ベジータはカカロットの顔を見詰めた。
まるで10代の少年のような瞳で。
「貴様はどうなんだ。カカロット」
「おら?
おらはちゃんとチチからもらったさあ。
おめえ、ブルマのチョコレートほんとに捨てたのか?」
「…」
「しょーがね―なあ。
おらがブルマに謝っといてやろうか?」
「いい。」
「え」
「俺にもうかまうな。」
「なんで?」
「好きだの嫌いだの
そんなことが一体何になる?」
「なんでそんなことを言うのかなあ?」
ベジータはにやりと笑った。
「貴様は知らないだろうがサイヤ人の女も
戦士でなければただの道具だ。
俺の母親だって
俺を産んだことで役目を失って処分されたんだ。」
「なんだって?」
「貴様だって、
貴様の母親だって
貴様を産んだところで殺されているさ。
バーダックは下級戦士だがそれでも戦士は戦士だからな。
メスなんだよ、繁殖用のサイヤ人は。
サイヤ人は生まれたときにその使い道が決まるんだ。
選ばれた一握りの俺たちのような戦士か
貴様のような下級戦士か。
女もそうだ。
戦士でなければ繁殖用のメスだ。」
カカロットは黙り込んだ。
明らかに驚いた風だった。
「そうなのか・・・?」
「そうさ。
サイヤ人は目的のためなら親でも子でも殺すんだよ。
子を産んだメスは子どもに愛着を感じ
戦士としての成長にマイナスしかあたえない。
だから戦士の母親は、殺すんだ。」
「ベジータ・・・」
「なんだ」
「おめぇそれをずっと知っていたのか?」
ベジータは薄笑いを浮かべた。
「そのとおりだ。
だから俺はメスには興味がないのさ。
地球の女が
サイヤ人の子を産む資格があるとは思えんからな。
俺はなそんなつまらんことよりも
強くなることで頭がいっぱいなんだ。
俺はもっともっと修行する。
そして貴様を殺してやるさ。」
カカロットはため息をついた。
「かわいそうなやつだ、おめえは。」
「な、なにおっ!」
カカロットはベジータのほうに腕を伸ばした。
そしてベジータの背中に腕をまわすと
しっかりとベジータを抱きしめた。
「や、やめろっ!」
「やめねえ。
…ベジータ。
そんなにおらを殺してえのか?
おらは全然かまわねえ。
でもなあ…
大切なのはそんなことだけじゃねえぞ。
おめえの知らないことの中にも
いっぺえ素晴らしいことはあるんだ。」
カカロットは一呼吸おいて続けた。
「素直になれよ、ベジータ。」
それからどのくらいの時間がたったのだろう。
一人深夜キッチンに向かうベジータの姿があった。
ベジータはキッチンに足を踏み入れると
明かりをつけた。
キッチンはベジータが冷蔵庫を持ち出したときのままの状態で、
そこにはブルマの姿はもうなかった。
予想通りのことだった。
ベジータは心当りのある場所に目を向けた。
そこにはあの青い包みがそのまま落ちていた。
自分が跳ね飛ばしたそのままの姿で。
ベジータは黙って足を運ぶ。
そしてその包みを拾い上げた。
軽く小さい包みだ。
これが何だというのか・・・。
良くみれば趣味の良い金色のリボンがかがやいている。
金糸に僅かに銀糸が混ざってそれは上品に輝いていた。
まさにブルマが選んだデザインだと
ベジータは思った。
ベジータはその場に座り込んだ。
ブルマの泣き声が聞こえる気がした。
手袋を脱ぐベジータ。
白く長い指が現れた。
その指が注意深くその青い包装紙をむき始める。
かさかさと小さい音がした。
黒い品の良い箱が現れて
その蓋をあけると中からトリュフが現れた。
小さい丸い形である。
生クリームを混ぜたガナッシュという生チョコを
クーベルチュールにくぐらせたチョコレートだ。
勿論ベジータはその菓子の名前すら知らない。
こんな物を作ることに果たして何の意味があるんだろうか。
バカな女だ…。
ベジータはその包みをもう一度手に取り直すと
立ち上がった。
そしてそっとキッチンの明かりを消した。
窓から星空が見えた。
漆黒の夜空に流れ星が一つ流れた。
ベジータはじっとそれを見詰めていた。
自分の部屋に戻ったベジータ。
足を踏み入れる。
冷え切った空気が肌を刺激した。
カカロットはあれからすぐパオズ山に帰っていった。
ふと立ち尽くす。
窓から差し込む月明かりの中に人影が見えたからであった。
「ブルマ…」
ベジータは思わず声を出した。
それはブルマだった。
パジャマ姿のブルマ。
ベジータをみるとかすかに微笑んだ。
「良かった、まだいてくれて。」
「…」
「だってベジータ、
一度飛び出したらまた長い間帰ってこないものね。」
「…」
「あいたかったのよ。
私、ずっと」
ベジータは動かなかった。
動けなかったのかもしれなかった。
しばらくの沈黙の後
ようやく彼の唇が動いた。
「俺とあってどうするんだ? 」
「理由なんか要るの?
私はあなたにただあいたかったのよ。」
「それになんの意味があるんだ・・・。」
「意味なんか必要ないわ。」
そのとき。
ベジータはきゅっと唇をかみ締めた。
彼の記憶の扉がいま開こうとしていたのだ。
それは女性の姿。
甘いミルクの香りのする
暖かい女性の姿だ。
ベジータの記憶がよみがえる。
閉ざされていた思い出がいまよみがえる。
ベジータは目頭を熱くした。
彼の脳裏に美しい女性の姿が浮かび上がったからだった。
長い黒髪の
細くて小さい女性の姿が。
切れ長の美しい瞳の
淡いピンクの唇の女性の姿が。
その女性は
幼いベジータの手をとって確かに言ったのだ。
透き通ったやさしい声で。
懐かしい甘い香りがよみがえった。
「さようなら、ベジータ。
あなたを愛している・・・」
その手のひらはベジータの体から引き剥がされる。
彼女の目から大きな涙のつぶが一粒落ちて
ベジータの頬を冷たくぬらした。
「…元気でいてね。」
いかついサイヤ人の戦士に追い立てられながら
確かに彼女はそう言ったのだった。
…母上。
あなたは泣いていたのか。
ベジータは言葉を飲み込んだ。
目の前にいたブルマの姿が
ベジータの記憶をよみがえらせて
ベジータの母親の姿がブルマと重なり
にじんだ。
なんということだ…。
ベジータは小さく呟いた。
「…貴様たち地球人の考えることは
俺にはさっぱり理解できない。」
ベジータはブルマから視線をはずした。
それだけ言うのが精一杯だった。
「でも」
「なあに?」
「俺は貴様といるのがそう嫌いでもない。」
「ベジータったら。」
ブルマが優しく微笑んだ。
ブルマはベジータに向かい合った。
ベジータの首に両腕を回し
彼の汗臭い身体に顔をうずめた。
ベジータも目を閉じた。
ブルマの体温が彼の皮膚を通して伝わってくる。
絹のような彼女の髪が彼の顔にかぶさって来た。
ベジータはそっと彼女の身体に腕をまわした。
少し力を加えれば壊れそうな
そのもろい身体を壊さぬように
彼はブルマの肉体を丁寧にさすっていく。
「あっ。」
ブルマが大きく息を漏らした。
その声にならないうめきにベジータは身体を熱くした。
「ベジータ…」
「…何だ?」
「唇にチョコレートがついている。」
「…そうか」
「たべてくれたの?」
「まあな。」
嬉しそうに微笑むブルマの身体を
ベジータは強く抱きしめた。
ベジータの指がブルマの肌に食い込み
ブルマは小さく声をあげた。
「覚悟しろ。
…次は貴様を喰ってやる。」