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先日、イスラエルへ旅行しました。今回も個人の1人旅でした。学生時代に卒業旅行でヨーロッパに1人で個人で行って以来、1度もパックツアーを利用したことはなく、1人か、家族での2人旅です。

旅行したことを知人に話したところ、その人は、「自分はヨーロッパは全部行った」と言っていましたが、それはすべてパックツアー。行程もホテルもすべてできていて、ただそれに乗っかるだけって、行ったというだけのこと。

個人で、しかも、1人で行くとなると、事前にかなりの下調べをして、ホテルをどこにとるか、航空会社はどこにするか、空港や鉄道の駅からホテルまでどうするか、とか、どこで食事するか、電車や路線バスの乗り方はどうか、とか、あらゆることをクリアーして行くのです。それだけ大変なことはあっても、個人の1人旅でしか得られないことは山ほどあるので、旅は個人の1人旅かせいぜい家族との2人しかありえないです。

日本の若者も見かけましたが、男の2人連れや3人連れでした。そんなのだったら、1人で来たほうがずっとよい。3人連れとか、面倒くさい。なんで1人で来ないのかね。

1人で行くと、あらゆることに気を配りながら、じっくりと見たいものは見て、きままに行動しながら、入りたい店に入る。常に危険との隣りあわせなので、隙を見せず、迅速に行動する。

パックツアーで行くくらいなら、行かないほうがましだと思っているし、個人の1人旅とパックツアーとは、異次元の世界と考える。

私もある程度の年齢なので、40歳を超えたあたりから海外の航空路線は、ヨーロッパ内の短距離を除いて、ビジネスクラスにしている。今回も航空券だけで往復で40万円かかり、これはエコノミークラスの12万円の3倍以上だった。費用対効果という点では、赤字であるが、自分へのご褒美という思いで、利用した。

 

ある中学校の入学式に出席してきました。アナウンスによると、入学する生徒1人当たり2.5人分の保護者席があるとのことでした。なのに、保護者席が足りなくなっていました。?

入学式や卒業式は、母親だけが出席することが前提ですが、その日が土曜日などで父親の仕事が休みの場合には父と母2名で出席することもありかもしれないです。ですが、祖父母や弟妹兄姉まで連れてきて、1人の入学生徒に6人もついてきたり。こういうことが狂っていることだとわからない連中が少なくないので、きちんと制限すべきだと思います。祖父母や兄弟姉妹は関係ないから立ち入り禁止です。父母が2名で来ても過保護ですが、それ以外は論外。ひどい。

1週間くらい前、偶然BS11で、映画「戦場のピアニスト」を観ました。今から10年くらい前の映画です。第2次世界大戦中、ナチスドイツに占領されたポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人のピアニスト「シュピルマン」が、絶滅収容所行きから脱し、隠れて生活していましたが、1944年8月のワルシャワ蜂起で銃弾が行きかう中、ドイツ軍の将校「Wilm Hosenfelt」に救われたという実話です。シュピルマンよりも、ドイツ軍の将校の印象が強かったです。その将校はソビエト軍の捕虜になり、諜報部に属していたと疑われて拷問され、ユダヤ人を何人も助けたと言っても一笑に付され、捕虜収容所で病気になり、1952年に亡くなりました。

それにしても、ソビエト(今のロシア)、ひどい国です。良いことをした人を拷問してしまいには殺してしまった、それが1人や2人ではないのです。

ユダヤ人を何人も救ったスウェーデンの外交官ワレンバーグも、スパイだと疑われて、ソビエトに殺されました。最悪です。

この映画を観てしっくりこないのは、やはり、ドイツ軍将校がソビエトに殺されたという結末があるからでしょう。

当分の間、旅行はできそうもないので、28年前と25年前の旅行の写真をアップ。

はじめの4枚は、1988年(昭和63年)8月の西ドイツの写真。この頃は日本からヨーロッパへ行く飛行機のノンストップ便ができて間もなかったので、行きはアラスカのアンカレッジ経由、帰りは初めてロンドンからのノンストップ便でした。成田空港に着いて表示を見ると、

POLER ROUTE(北極回り)と出ていました。直行便は楽なんだな、と思いました。

航空運賃は、今の倍以上で、成田とロンドンの英国航空エコノミークラス往復が30万円もしました。

1 当時の西ベルリンの中心Zoo駅 駅名表示にDRとあるのは、Deutche Reichesbahn

つまり、東ドイツの鉄道、という意味です。まだドイツ統一前でした。

2 西ベルリンから東ベルリンへ徒歩で入る検問所 チェックポイントチャーリー

ここで、西ドイツ25マルクを東ドイツ25マルクに両替させられて、緊張の中、東へ。  

右の建物は壁博物館で、今はものすごく立派になっています。  

 

3 ヴュルツブルグ               

 

4 ミュンヘンの中心部から国電(Sバーン)で40分ほどのところにあるシュタルンベルグ湖

この十字架は、東京ディズニーランドのシンデレラ城のモデルである、ノイシュバンシュタイン城を作ったルードビッヒ2世が、ここで身を投げたことによります。

   

ここからは1991年(平成3年)夏、ドイツからポーランド

このときは、7月末から19日間、旅行しました。エールフランスでパリに飛び、ベルリン、ライプチヒ、ワルシャワ、クラコフ、ウィーン、ブダペストと周り、ウィーンに戻って、パリへ行き、帰国。行きの成田パリ間のエコノミークラスは空席がかなりありました。

ライプチヒからワルシャワへは、午後4時発の夜行列車で翌朝の8時まで、16時間、垂直の座席で。クラコフでは駅前のホテルが、朝食なしトイレ共同で1泊1500円。

ベルリンの壁が崩壊して2年もたたない頃なので、東ヨーロッパの旅行者はほとんどなく、クラコフから50キロほど離れたところにあるアウシュビッツへは、クラコフの駅前に止まっていたタクシーで行き、運転手と一緒に周って、またクラコフまで乗せてきてもらうのがふつうで、私は、英語を話せる運転手がいなかったので、ドイツ語を話せる運転手のタクシーで、片言のドイツ語で会話しました。この距離を往復して、US40ドル(5600円)でした。運転手は、私の質問によく答えてくれましたが、たった一つ、ユダヤ人についての質問には、聞こえないふりをしました。答えたくなかったのですね。質問して申し訳なかったです。

今のように、アウシュビッツでさえ団体が押し寄せる時代と違い、当時のアウシュビッツは閑散として、ゆっくりと見学でき、第2収容所ビルケナウは私がいた時間はたぶん10人いたかどうかというくらいすいていました。車は私のタクシーの他には1台か2台。本当に見学したい人しか来ていなかった。クラコフからは夜行列車のクシェット(簡易寝台)でウィーンへ。

 

私がアウシュビッツのことを知ったのは1987年、その後、東武百貨店船橋店で「アウシュビッツ展」が開かれ、NHKテレビで放送された「夜と霧をこえて」を見たりして、行ってみたくなり、地球の歩き方「東ヨーロッパ編」を買って、本当に行けるのか自信がなかったのですが、覚悟を決めて出発しました。

まだこの頃は、ナチスについてはユダヤ人関係のことしか知らなかった。ところが、2006年に「白ばらの祈り」という映画をきっかけに、抵抗運動のことを知り、ドイツ国民で、犠牲になった人たちのことを知りました。白バラというのは、ミュンヘン大学の学生のグループを中心とした、ビラを配ったり郵送したりした人たちで、中心の6人とハンブルググループの8人は処刑、

残りの人たちも苦難を味わいました。その中で、難を逃れ、長生きした人たちがいます。

Jurgen Wittenstein (1919~2015)  Lilo Ramdohr(1913~2013)

Traute Lafrenz(1919~現在もアメリカに)

この方々についての細かいことは省きます。

5 ライプチヒ中心部            

   

6 バッハが聖歌隊の指揮者を務めたトーマス教会  

  

7 ポーランド クラコフ中心部           

 

アウシュビッツは第1収容所と第2収容所があり、第2は第1よりもはるかに広いです。

現在、第1収容所跡は建物の中に展示があります。第2収容所跡はほとんどのバラックはすでになく、展示はありません。第1と第2の間は3kmほど離れていて、連絡バスがあります。   

8 アウシュビッツ(第1収容所)

 

9 チクロンB(毒ガス)の缶             

 10 眼鏡の山  

11 収容者の写真                 

 12 ガス室の模型 

 

13 第2収容所(ビルケナウ)のバラック(寝台)  

   

14

 

15 ビルケナウの監視塔からの景色

  

16 ビルケナウ ガス室の廃墟 ドイツ軍はここから撤退する際、証拠を隠滅するためにガス室を爆破しました。なので、当時の形はとどめていません。

 

 

この1週間に、仕事で地元と東京を2往復。1回目は日帰りで、2回目は3泊4日。

2回目は間に1日フリーな日ができたので、久しぶりに東京を巡ってきました。

1 新国立美術館前にて 上野の西洋美術館には何度も行きましたがここは初めてでした。展示室の感じは美術館らしくなく、西洋美術館の方がよいです。
 

2 ルノワール展の入場券 当日券1600円もしました。30分もかからないで見終わってしまいました。

3 図録は高かったので、薄い本で我慢。

4 泊まったホテルの部屋

5 泊まったホテルのユニットバス
 
6 靖国神社へ散歩 ここも初めてでした。東京に住んでいても行かないですね。
 
7 靖国神社
 
8 靖国神社
 
9 靖国神社
 
10 靖国神社


靖国神社の近くの「一口坂」交差点、その一角にある9階建ての縦長のビルにかつてあった、「秀英教育センター」に中学3年生のとき、通っていました。もう、今から40年近く前のことです。そこは、東京学芸大学付属中学(竹早・世田谷・大泉・小金井)の生徒が多く通い、レベルの高い塾でしたが、1980年頃、事業拡大に失敗して、なくなってしまいました。東京近辺にかつてあった塾や予備校は、日本進学教室、英進予備校、駿優予備校、両国予備校など、たくさんあります。1978年に初めて東京に進出した河合塾、その振り出しの「河合塾駒場校」(実際には駒場ではなく、小田急線の東北沢にあった)もだいぶ前に閉鎖されています。

百貨店についていうと、吉祥寺近鉄は大塚家具に代わり、東急日本橋店はコレド日本橋に、銀座松坂屋はラオックスに?,、数寄屋橋阪急は東急プラザに、日劇は有楽町マリオンに、有楽町そごうはビックカメラになっています。池袋などにあった、「緑屋」というデパート、どうなったのでしょうね。

今回の旅行の写真 最終回です。

ウィーンからの飛行機が台北に朝の5時、まだ暗い中に到着し、空港近くのホテルへの5時45分発のシャトルバスに乗れて、ホテルには朝の6時前にチェックイン。追加料金を払って、午後2時半過ぎまで、8時間半、部屋のベッドで熟睡。3時発のシャトルバスで再び空港へ行き、夕方の飛行機で帰国しました。

1 台北の空港近くのホテルの部屋から 飛行機、空港の敷地が見えます。

2 台北から日本への飛行機 雲の上には虹がかかったような感じ。

3 機内食(和食)

4 機内食(デザート)

5 機内食 デザートの和菓子

帰路、ウィーンから台北まで、12時間 180度のリクライニングでないので、どうしても疲れが残ります。

この、遅れの多い航空会社、今回の帰り、ウィーンから台北の区間、何と、定刻よりも45分早く、朝の5時に着きました。さすがに入国のところはガラガラかと思ったら、身なりも、え?という感じの人で混雑。シンガポールから着いた格安航空会社「スクート」の朝の3時20分に着く便の客みたい。

ウィーンからの客と近距離の格安の客、明らかに違うのだから、別の場所にしてもらいたい。

1 飛行機の先頭の部分です。

2 機内食 1皿目 これだけ?という感じです。

3 機内食 2皿目

4 機内食 3皿目

4 機内食 デザート

5 到着2時間前の機内食 朝食

スロベニアの首都、リュブリャナから、夕方のアドリア航空でウィーンへ。はじめ、エコノミークラスで予約していましたが、ビジネスクラスへのアップグレードの誘いに乗って、ビジネスクラスへ。

たった50分のフライトで、安くない金額を払いました。

リュブリャナの空港のラウンジは割とすいていて、ゆっくりできただけでもよかったです。

思いがけずジェット機で、しかもビジネスクラスは3席だけ。前方の1Aと2Aと2K。席の幅はエコノミークラスと同じで、隣りの席があいていました。機内食はシンプルで、サラダとケーキ。ジュースのほかにコーヒーをいれてもらいました。金額に見合ったサービスではないものの面白かった。

1 リュブリャナからウィーンへのアドリア航空で預けた荷物のタグ。ビジネスクラスのPRIORITY

  ウィーンへ到着したら、真っ先に荷物が出てきて、待ち時間は0でした。

2 ウィーン空港近くのホテルの部屋。

3 2と同じ

4 2と同じ

5 ウィーンの空港の外

ウィーンのSchwechat空港、1986年冬にオリンピック航空でここからアテネへ、1991年夏にここからエールフランスでパリへ飛びました。この空港に飛行機で着いたのは今回が初めて。25年ぶりに来て、すっかり変わっていました。

旅行の写真の続き。スロベニアの首都、リュブリャナです。

1 イースターの日、数少ない、開いていた店で買ってきたピザ。

2 イースターの翌日、唯一開いていたスーパーマーケットで。

3 泊まったホテルの部屋。シンプルです。

4 部屋

5 部屋

6 リュブリャナ中央駅の近く。ここから2時間に1本しかないバスに乗って、空港へ。

  首都の中央駅の前とは思えない、のどかな風景。

旅行の写真の続き。スロベニアの首都、リュブリャナです。

1 街の中心、三本橋のある広場。それにしても、ヨーロッパの街には、こういう広場があるのですね。

2 街の中心の広場にある、聖フランシスコ教会。この日はイースターで、中に入ってみると、ミサをやっていました。

3 真ん中の丘の上にリュブリャナ城があります。

4 リュブリャナ城へのケーブルカー乗り場。

5 聖フランシスコ教会の裏にある、グランドホテルユニオンexective

このホテルに泊まりたかったのですが、駅から少し遠いので、もう少し近いホテルにしました。

6 泊まったホテルの正面玄関