こんにちは、ハルチです。

ジャックラッセルテリアの
ちーちゃん(6歳)
と、暮らしています。



​洗面所で足を洗われるちーちゃん



萩尾望都さんのポーの一族という漫画があります。


手元にあるので、時々、読み返します。


もう何回も読んでるのに、最初に読んでから20年以上(?)経つのに、今、琴線に触れた。


おかげで、喉にささった魚の骨がとれたような気分です。








魚の骨は、我が家にきたばかりのちーちゃんを見にきた友人の言葉です。


比べたらかわいそうだよ


ちーちゃんの話をするときに、さくちゃんの話もするので、友人はそう感じたようです。


返す言葉もありません。


友人は子供の頃、兄弟と比べられて悲しい思いをしたそうです。


友人をいやな気持ちにさせてまで話すことではないので、さくちゃんの話は控えるようになりました。


一方で、ちーちゃんにかわいそうなことなんてしていないという気持ちもありました。


無自覚なのかもしれないけど。


人間の話ならわかります。


比べられたら、劣等感をもったり、不快に感じたりするでしょうから。


でも、犬にそんな意識あります?


当人が意識しないからって比べていいのか?


でも、それで不当な扱いをしてるわけじゃないし。


ずーーーっとひっかかって、色々考えて、約5年。


せっかくうちのコになったのに、ちーちゃんをかわいそうなコにしたくないじゃないですか。


でも、友人にかわいそうじゃないよと説明できる言葉がみつからない。

 







ポーの一族という漫画があります。


すごく粗く説明すると、


エドガーには亡くなった妹がいて、いつもその子のことを思ってる。

アランはそれに嫉妬して、自分だけをみてほしいと責める。

その時、エドガーが思ったことが……



    

どうしてほうっておける?
もうひとつにとけこんでいるんだよ


こういうことなんだよな、と思いました。


もう何回も読んでるのに、この言葉は知っていたのに、今になって、わかった。


肉体がなくなって触れられず、ぬくもりも感じられなくて、新しい思い出を作ることはできないけど、それでもほうってはおけない。


いつでも気にかけてる。


なくなったというけど、無くなってないんだよ。


これを説明するのはすごく難しい。


改めて友人に話すことはないと思う。


ただ、ずっと喉にささった骨が取れてよかった。




おねむのさくちゃん



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