DeNA、陸上参入!エスビー食品受け入れでキヨシと瀬古合体!!
スポーツ報知 1月7日(月)9時29分配信
2011年にプロ野球・横浜ベイスターズの親会社となったソーシャルゲーム大手「DeNA(ディー・エヌ・エー)」(本社・東京都渋谷区)が、1954年創部ながら今年3月末に廃部予定のエスビー食品(本社・東京都中央区)の陸上部を受け入れる方針を固めたことが6日、分かった。複数の陸上関係者が明かした。マラソンで84年ロサンゼルス、88年ソウルと連続五輪出場の瀬古利彦スポーツ推進局長(56)らスタッフ、選手ら12人全員が移籍する形。今週にも正式発表される見通しだ。
2011年にプロ野球に参入したDeNA(D社)が、今度は陸上界に進出する。D社が名門のエスビー食品陸上部を受け入れ、運営する方針を固めたことが分かった。同部は3月末で廃部が決まっているが、同4月の新年度から選手、スタッフ12人全員がD社の所属となり、瀬古利彦局長が総監督として陣頭指揮を執る。
D社はスマートフォンなどを使ったソーシャルゲーム「モバゲー」などを運営するIT企業。99年に設立されたベンチャー企業だが、わずか8年後の07年に東証1部に上場した。11年12月には横浜ベイスターズをテレビ局のTBSから約100億円で買収。大きな注目を浴びた。12年4~9月期の営業利益は約387億円と、前年比30・3%増の増収増益となるなど急成長を続けている。
D社では社会貢献の一環として、自然保護活動やインターネットの健全化に向けた活動を重視してきた。スポーツ分野でもプロ野球の球団経営を行うと同時に、早くから別のスポーツビジネスの可能性を追求。復活を目指していたエスビー側との思惑が一致した。さらに、近年のマラソンブームもD社を後押ししたとみられる。
参入1年目となった横浜での手応えも、陸上界への参入を後押ししたとされる。中畑清監督(59)を迎えた12年は、奮闘しながら5年連続最下位に終わった。しかし、地域密着を理念に掲げ、着実にファン拡大に向けた活動を行ってきた。横浜スタジアムとの本拠地使用契約の見直しや球団マスコットの変更、チケットの値段改定など次々と改革に着手。観客動員数も3年ぶりに増加するなど実績を残したことで、「陸上界への参入も可能」と判断したようだ。
D社に“移籍”するエスビー食品陸上部は昨年8月、経営合理化の一環として同部の廃部を発表。その後、瀬古局長らが選手の受け入れ先を模索していた。
1954年創部という名門は80年代には中村清監督(故人)の下で瀬古局長、84年ロサンゼルス五輪で女子マラソン初の五輪代表となった永田七恵(旧姓・佐々木=故人)、84年に続いて88年ソウル代表だった新宅永灯至(ひさとし=当時は雅也)、同銀メダルのダグラス・ワキウリ(ケニア)ら多くの名選手を輩出。現在も箱根駅伝に出場し、北京五輪長距離代表だった竹沢健介(26)、ケニア代表としてロンドン五輪1万メートル5位のビダン・カロキ(22)ら6人の有望選手が所属する。
全日本実業団駅伝で84年から4連覇するなど黄金期を迎えた。だが、01年以降は個人競技が中心となり、駅伝への出場はなかった。広告塔として露出を求める企業と方向性が合わず、合理化の対象となっていた。選手とスタッフは新天地で競技に集中していく。
スポーツ報知 1月7日(月)9時29分配信
2011年にプロ野球・横浜ベイスターズの親会社となったソーシャルゲーム大手「DeNA(ディー・エヌ・エー)」(本社・東京都渋谷区)が、1954年創部ながら今年3月末に廃部予定のエスビー食品(本社・東京都中央区)の陸上部を受け入れる方針を固めたことが6日、分かった。複数の陸上関係者が明かした。マラソンで84年ロサンゼルス、88年ソウルと連続五輪出場の瀬古利彦スポーツ推進局長(56)らスタッフ、選手ら12人全員が移籍する形。今週にも正式発表される見通しだ。
2011年にプロ野球に参入したDeNA(D社)が、今度は陸上界に進出する。D社が名門のエスビー食品陸上部を受け入れ、運営する方針を固めたことが分かった。同部は3月末で廃部が決まっているが、同4月の新年度から選手、スタッフ12人全員がD社の所属となり、瀬古利彦局長が総監督として陣頭指揮を執る。
D社はスマートフォンなどを使ったソーシャルゲーム「モバゲー」などを運営するIT企業。99年に設立されたベンチャー企業だが、わずか8年後の07年に東証1部に上場した。11年12月には横浜ベイスターズをテレビ局のTBSから約100億円で買収。大きな注目を浴びた。12年4~9月期の営業利益は約387億円と、前年比30・3%増の増収増益となるなど急成長を続けている。
D社では社会貢献の一環として、自然保護活動やインターネットの健全化に向けた活動を重視してきた。スポーツ分野でもプロ野球の球団経営を行うと同時に、早くから別のスポーツビジネスの可能性を追求。復活を目指していたエスビー側との思惑が一致した。さらに、近年のマラソンブームもD社を後押ししたとみられる。
参入1年目となった横浜での手応えも、陸上界への参入を後押ししたとされる。中畑清監督(59)を迎えた12年は、奮闘しながら5年連続最下位に終わった。しかし、地域密着を理念に掲げ、着実にファン拡大に向けた活動を行ってきた。横浜スタジアムとの本拠地使用契約の見直しや球団マスコットの変更、チケットの値段改定など次々と改革に着手。観客動員数も3年ぶりに増加するなど実績を残したことで、「陸上界への参入も可能」と判断したようだ。
D社に“移籍”するエスビー食品陸上部は昨年8月、経営合理化の一環として同部の廃部を発表。その後、瀬古局長らが選手の受け入れ先を模索していた。
1954年創部という名門は80年代には中村清監督(故人)の下で瀬古局長、84年ロサンゼルス五輪で女子マラソン初の五輪代表となった永田七恵(旧姓・佐々木=故人)、84年に続いて88年ソウル代表だった新宅永灯至(ひさとし=当時は雅也)、同銀メダルのダグラス・ワキウリ(ケニア)ら多くの名選手を輩出。現在も箱根駅伝に出場し、北京五輪長距離代表だった竹沢健介(26)、ケニア代表としてロンドン五輪1万メートル5位のビダン・カロキ(22)ら6人の有望選手が所属する。
全日本実業団駅伝で84年から4連覇するなど黄金期を迎えた。だが、01年以降は個人競技が中心となり、駅伝への出場はなかった。広告塔として露出を求める企業と方向性が合わず、合理化の対象となっていた。選手とスタッフは新天地で競技に集中していく。
