青学、同志社…大学の都心回帰ラッシュの舞台裏と経営事情
Business Journal 12月28日(金)7時16分配信
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青山学院大学(「Wikipedia」より)
2000年代に入って顕著になり始めた大学の都心部への回帰が、13年以降も収まりそうにない。
主たる大学の動きを見てみよう。
「MARCH」の一角、青山学院大学が来春、文学部、経済学部など文系7学部の2年次、あるいは1年次までの課程を、予定より1年遅れたものの、相模原キャンパス(神奈川県相模原市)から青山キャンパス(東京都渋谷区)へ移行。1~4年生の学部一体授業をスタートさせるのをはじめ、拓殖大学が八王子キャンパス(東京都八王子市)の商学部、政経学部の1~2年生を、現在、3~4年生だけが学ぶ文京キャンパス(東京都文京区)の整備ができ次第、移行することを公表している。
中央大学も福原紀彦総長が6月の記者懇談会で、多摩キャンパス(東京都八王子市)にある法学部など社会科学系3学部の都心回帰を図る考えを明らかにしている。
また関西でも、同志社大学が来春4月を期して、文、法、経済、商の4学部の1~2回生を、現在の京田辺キャンパス(京都府京田辺市)から京都市の中心部にある今出川キャンパス(京都市上京区)に移す予定。立命館大学も、2015年度にびわこ・くさつキャンパス(滋賀県草津市)の経営学部と衣笠キャンパス(京都市北区)の政策科学部を、大阪府都心部に近い茨木市に移すことを発表。また龍谷大学も、同じく15年春に国際文化学部を瀬田キャンパス(滋賀県大津市)から社会科学系学部がそろう深草キャンパス(京都市伏見区)に移す。
これら京都の諸大学を突き動かしたのは、10年春に大阪と京都の中間高槻駅前に高槻アミューズキャンパス(大阪府高槻市)をつくり、社会安全学部を新設した関西大学の動きだといわれている。京都・滋賀の受験生を奪いにいったと見られたのである。
●各大学の具体的な動き
すでに大学の都心回帰は、2000年代初頭から相次いで始まっている。主なものを以下拾い上げてみる。
【首都圏】
・02年度:立正大学が熊谷キャンパス(埼玉県熊谷市)にあった経済・経営両学部の1~2年次課程と新設の心理学部全学年を、大崎キャンパス(東京都品川区)に移転。
・05年度:東洋大学が朝霞キャンパス(埼玉県朝霞市)にあった文系5学部の1~2年次課程を白山キャンパスに集約、さらに同大学は09年度に板倉キャンパス(群馬県有邑楽郡)にあった国際地域学部を白山第2キャンパスに全面移転。
・06年度:共立女子大が、八王子キャンパスにあった全学部の1~2年次課程を、全面的に神田一ツ橋キャンパス(東京都千代田区)に集約。
・08年度:跡見学園女子大が、新座キャンパス(埼玉県朝霞市)にあった3~4年次課程を文京キャンパス(東京都文京区)に移転。
【名古屋地区】
・07年度:名古屋学院大学が、経済、商、外国語の3学部を瀬戸キャンパス(愛知県瀬戸市)から熱田キャンパス(名古屋市熱田区)に全面移転。
・12年度:愛知大学が、法、経、経営の社会科学系3学部と伝統ある現代中国語、国際コミュニケーションの国際系2学部を、三好キャンパス(愛知県三好市)から、名古屋駅から徒歩10分の名古屋キャンパス(名古屋市中村区)へ全面移転。
なぜ、こうした動きが加速しているのか?
都心回帰を計画する大学の1つ、拓殖大学の福田勝幸理事長は、昨年6月の就任挨拶の中で「都心回帰の大学間競争に勝ち進んでいきたい」と抱負を語っている。この言葉で明らかなように、ここ数年続いている都心回帰ラッシュは、移転しないと学生確保ができず、生き残りが難しいなど、多くの大学経営者が認識しているからにほかならない。
「都心回帰の大学間競争」とは、具体的には、先ごろ付属高校への裏口入学問題で解任された中央大学の久野修慈・前理事長の言葉を借りれば「ライバル校との間での優秀な学生の争奪戦」ということになろう。学生の質を高めるには量を集め、そこから選抜する必要がある。学生にとり通学に便利、アルバイトや就職活動に便利、学術・研究の情報収集に便利であるとともに、イメージ的にもよい都心キャンパスの設置、あるいは新設/移転は、そのために不可欠な環境整備ということになる。
特に実務家教員などを集めたり、社会人大学院を開設したりする場合にも、都心のキャンパスは有利に働く。例えば東京近辺の便を考えてみても、多摩西部や神奈川県のキャンパスであれば、千葉、埼玉県からの学生には不便だし、埼玉方面だと神奈川、千葉方面からの学生には不便。必然的に学生集めも偏らざるを得ない。対して都心であれば、いずれからもそこそこ便利であり、より幅広く、多くの学生を集められるのである。
大学にとり一般企業の粗利に当たる「帰属収入」のおよそ8割は、受験手数料、入学時納付金、それに授業料から成り立っており、受験生の確保、入学者の確保は死活問題といってよい。ブランド校となると、それ以上に国家試験への合格者数、有名企業への就職者数が課題となり、そのためには優秀な学生の確保が必須となる。“団塊世代”時代の200万人ならともかく、いまや18歳人口120万人時代。それだけに優秀な人材を数多く確保するのは、きわめて難しくなっている。
●定員確保という経営的問題
ほかにも都心回帰が相次ぐ理由として、1~2年生と、3~4年生のキャンパスが分断されていると、早期の専門教育ができづらく、ひいては法科大学院や経営大学院、あるいは会計大学院といった専門職大学院と学部との連結が難しくなり、ただでさえ経営的に厳しい大学院の定員確保ができづらくなるなどという経営的問題も、都心回帰の背後にはある。
別の視点から大学の都心回帰を促進しているものとして、行政や社会環境の変化も見逃せない。
90年代以降、文部科学省は都心部の空洞化といった現象もあり、既存キャンパスにおける校舎高層化による学部新設や定員の増加を認めた。結果、明治大学駿河台キャンパス(東京都千代田区)のリバティタワーや法政大学市ヶ谷キャンパス(同)のボアソナードタワーなどが建てられ、学部の新設等と相まって両大学のイメージアップにつながり、受験生増加をもたらしたと評価されている。これらが嚆矢となり、00年代のキャンパス移転ブームをもたらしたと見てよいだろう。
加えて02年、首都圏既成市街地工場等規制法、並びに近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止され、同法の対象とされてきた大学も用地取得の制限がなくなり、校舎の高層化だけでなく、キャンパス隣接地の用地取得も可能となった。もちろん、バブル崩壊以降の地価の急落も大きく後押ししたことはいうまでもない。東洋大学の白山第2キャンパスなどは、こうした制度変更により新規に買い入れた土地につくられたものである。
●都心回帰の大きな効果
では現実的に、都心回帰は大学経営にそれほど大きな効果をもたらしたのであろうか?
この点について、東洋大学の永島忠美理事長は、記者の「(予備校などに聞くと)東洋大学は『日東駒専』ブランドから一歩抜け出たとの評があるが」との質問に、次のように応えている。
「駅伝などスポーツでの活躍もあるが、文京区白山という都心に本部キャンパスを持ち、加えて受験生に関心の高い学部学科の新設・再編成を積極的に進めてきた。そうした取り組み、改革が評価されているのはありがたい」
同大では12年の受験者数こそ対前年度でマイナスになったが、08年以来、順調に受験者数を伸ばしており、偏差値も上向きのようだ。竹村牧男学長は「従来、うちの大学を受験してくれないレベルの高校からの受験生が増えてきている」と、かなりの手ごたえを感じていることを明らかにしている。他の都心回帰を現実化させた諸大学も、同様の評価をしているようだ。
逆に、都心回帰に後れを取ったために、苦境に陥った大学も散見する。代表例は中央大学だ。都心回帰積極派の久野前理事長が解任されたため今後どうなるかだが、同大学関係者は「新理事長の足立(直樹、凸版印刷会長)さんも、理事会で都心回帰を決めたときのメンバーですから、政策が変わることはない」と語っている。
ただ中央の場合、問題は駿河台の旧校地を手放しており、用地買収から始めざるを得ず、資金手当ての問題を含めて回帰決定までに時間がかかることが予想される。その点で、この間の競争に後れを取るのではないかと心配する同大関係者は少なくない。
●慶應SFCの現状
都心回帰の動きの中で、もうひとつ注目されるのが、かつて大学評価の地殻変動の震源地となった慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC、神奈川県藤沢市)の総合政策、環境情報の2つの学部の今後である。現在、他大学で学長を務める同大学の元教授は次のように痛烈だ。
「SFCの2学部の凋落は目に余る。大きな声では言えないが、いまや内部進学(付属高校からの進学)希望者がほとんどいなくなっている。偏差値も下がり気味だ。学部が一貫した学問体系でできておらず、卒業しても何が専門か答えられないことも弱点で、企業からの評価も高くない」
他学部の学生からは「何しろ藤沢のチベットと言われるほど僻地だから、受験生が行きたがらないのも当然だ。他学部学生との交流も難しいし」などという声も聞こえてくる。
中央にしてもSFCにしても、日本の大学にしては文教の場として理想的な環境と設備を持ってスタートしたはずだが、都心回帰の嵐の中で、次なる対策が不可欠となっていると言っていいだろう。
いずれにしろ、受験生の大学・学部選択の主要因の一つが都心回帰であることははっきりしている。そのことに絡んで大学の明暗が分かれているわけで、そうした現実が各大学の都心回帰の動きを突き動かしていると見て間違いなく、それだけに今後とも追随する動きはやむことはないと見てよい。
(文=清丸恵三郎)
Business Journal 12月28日(金)7時16分配信
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青山学院大学(「Wikipedia」より)
2000年代に入って顕著になり始めた大学の都心部への回帰が、13年以降も収まりそうにない。
主たる大学の動きを見てみよう。
「MARCH」の一角、青山学院大学が来春、文学部、経済学部など文系7学部の2年次、あるいは1年次までの課程を、予定より1年遅れたものの、相模原キャンパス(神奈川県相模原市)から青山キャンパス(東京都渋谷区)へ移行。1~4年生の学部一体授業をスタートさせるのをはじめ、拓殖大学が八王子キャンパス(東京都八王子市)の商学部、政経学部の1~2年生を、現在、3~4年生だけが学ぶ文京キャンパス(東京都文京区)の整備ができ次第、移行することを公表している。
中央大学も福原紀彦総長が6月の記者懇談会で、多摩キャンパス(東京都八王子市)にある法学部など社会科学系3学部の都心回帰を図る考えを明らかにしている。
また関西でも、同志社大学が来春4月を期して、文、法、経済、商の4学部の1~2回生を、現在の京田辺キャンパス(京都府京田辺市)から京都市の中心部にある今出川キャンパス(京都市上京区)に移す予定。立命館大学も、2015年度にびわこ・くさつキャンパス(滋賀県草津市)の経営学部と衣笠キャンパス(京都市北区)の政策科学部を、大阪府都心部に近い茨木市に移すことを発表。また龍谷大学も、同じく15年春に国際文化学部を瀬田キャンパス(滋賀県大津市)から社会科学系学部がそろう深草キャンパス(京都市伏見区)に移す。
これら京都の諸大学を突き動かしたのは、10年春に大阪と京都の中間高槻駅前に高槻アミューズキャンパス(大阪府高槻市)をつくり、社会安全学部を新設した関西大学の動きだといわれている。京都・滋賀の受験生を奪いにいったと見られたのである。
●各大学の具体的な動き
すでに大学の都心回帰は、2000年代初頭から相次いで始まっている。主なものを以下拾い上げてみる。
【首都圏】
・02年度:立正大学が熊谷キャンパス(埼玉県熊谷市)にあった経済・経営両学部の1~2年次課程と新設の心理学部全学年を、大崎キャンパス(東京都品川区)に移転。
・05年度:東洋大学が朝霞キャンパス(埼玉県朝霞市)にあった文系5学部の1~2年次課程を白山キャンパスに集約、さらに同大学は09年度に板倉キャンパス(群馬県有邑楽郡)にあった国際地域学部を白山第2キャンパスに全面移転。
・06年度:共立女子大が、八王子キャンパスにあった全学部の1~2年次課程を、全面的に神田一ツ橋キャンパス(東京都千代田区)に集約。
・08年度:跡見学園女子大が、新座キャンパス(埼玉県朝霞市)にあった3~4年次課程を文京キャンパス(東京都文京区)に移転。
【名古屋地区】
・07年度:名古屋学院大学が、経済、商、外国語の3学部を瀬戸キャンパス(愛知県瀬戸市)から熱田キャンパス(名古屋市熱田区)に全面移転。
・12年度:愛知大学が、法、経、経営の社会科学系3学部と伝統ある現代中国語、国際コミュニケーションの国際系2学部を、三好キャンパス(愛知県三好市)から、名古屋駅から徒歩10分の名古屋キャンパス(名古屋市中村区)へ全面移転。
なぜ、こうした動きが加速しているのか?
都心回帰を計画する大学の1つ、拓殖大学の福田勝幸理事長は、昨年6月の就任挨拶の中で「都心回帰の大学間競争に勝ち進んでいきたい」と抱負を語っている。この言葉で明らかなように、ここ数年続いている都心回帰ラッシュは、移転しないと学生確保ができず、生き残りが難しいなど、多くの大学経営者が認識しているからにほかならない。
「都心回帰の大学間競争」とは、具体的には、先ごろ付属高校への裏口入学問題で解任された中央大学の久野修慈・前理事長の言葉を借りれば「ライバル校との間での優秀な学生の争奪戦」ということになろう。学生の質を高めるには量を集め、そこから選抜する必要がある。学生にとり通学に便利、アルバイトや就職活動に便利、学術・研究の情報収集に便利であるとともに、イメージ的にもよい都心キャンパスの設置、あるいは新設/移転は、そのために不可欠な環境整備ということになる。
特に実務家教員などを集めたり、社会人大学院を開設したりする場合にも、都心のキャンパスは有利に働く。例えば東京近辺の便を考えてみても、多摩西部や神奈川県のキャンパスであれば、千葉、埼玉県からの学生には不便だし、埼玉方面だと神奈川、千葉方面からの学生には不便。必然的に学生集めも偏らざるを得ない。対して都心であれば、いずれからもそこそこ便利であり、より幅広く、多くの学生を集められるのである。
大学にとり一般企業の粗利に当たる「帰属収入」のおよそ8割は、受験手数料、入学時納付金、それに授業料から成り立っており、受験生の確保、入学者の確保は死活問題といってよい。ブランド校となると、それ以上に国家試験への合格者数、有名企業への就職者数が課題となり、そのためには優秀な学生の確保が必須となる。“団塊世代”時代の200万人ならともかく、いまや18歳人口120万人時代。それだけに優秀な人材を数多く確保するのは、きわめて難しくなっている。
●定員確保という経営的問題
ほかにも都心回帰が相次ぐ理由として、1~2年生と、3~4年生のキャンパスが分断されていると、早期の専門教育ができづらく、ひいては法科大学院や経営大学院、あるいは会計大学院といった専門職大学院と学部との連結が難しくなり、ただでさえ経営的に厳しい大学院の定員確保ができづらくなるなどという経営的問題も、都心回帰の背後にはある。
別の視点から大学の都心回帰を促進しているものとして、行政や社会環境の変化も見逃せない。
90年代以降、文部科学省は都心部の空洞化といった現象もあり、既存キャンパスにおける校舎高層化による学部新設や定員の増加を認めた。結果、明治大学駿河台キャンパス(東京都千代田区)のリバティタワーや法政大学市ヶ谷キャンパス(同)のボアソナードタワーなどが建てられ、学部の新設等と相まって両大学のイメージアップにつながり、受験生増加をもたらしたと評価されている。これらが嚆矢となり、00年代のキャンパス移転ブームをもたらしたと見てよいだろう。
加えて02年、首都圏既成市街地工場等規制法、並びに近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止され、同法の対象とされてきた大学も用地取得の制限がなくなり、校舎の高層化だけでなく、キャンパス隣接地の用地取得も可能となった。もちろん、バブル崩壊以降の地価の急落も大きく後押ししたことはいうまでもない。東洋大学の白山第2キャンパスなどは、こうした制度変更により新規に買い入れた土地につくられたものである。
●都心回帰の大きな効果
では現実的に、都心回帰は大学経営にそれほど大きな効果をもたらしたのであろうか?
この点について、東洋大学の永島忠美理事長は、記者の「(予備校などに聞くと)東洋大学は『日東駒専』ブランドから一歩抜け出たとの評があるが」との質問に、次のように応えている。
「駅伝などスポーツでの活躍もあるが、文京区白山という都心に本部キャンパスを持ち、加えて受験生に関心の高い学部学科の新設・再編成を積極的に進めてきた。そうした取り組み、改革が評価されているのはありがたい」
同大では12年の受験者数こそ対前年度でマイナスになったが、08年以来、順調に受験者数を伸ばしており、偏差値も上向きのようだ。竹村牧男学長は「従来、うちの大学を受験してくれないレベルの高校からの受験生が増えてきている」と、かなりの手ごたえを感じていることを明らかにしている。他の都心回帰を現実化させた諸大学も、同様の評価をしているようだ。
逆に、都心回帰に後れを取ったために、苦境に陥った大学も散見する。代表例は中央大学だ。都心回帰積極派の久野前理事長が解任されたため今後どうなるかだが、同大学関係者は「新理事長の足立(直樹、凸版印刷会長)さんも、理事会で都心回帰を決めたときのメンバーですから、政策が変わることはない」と語っている。
ただ中央の場合、問題は駿河台の旧校地を手放しており、用地買収から始めざるを得ず、資金手当ての問題を含めて回帰決定までに時間がかかることが予想される。その点で、この間の競争に後れを取るのではないかと心配する同大関係者は少なくない。
●慶應SFCの現状
都心回帰の動きの中で、もうひとつ注目されるのが、かつて大学評価の地殻変動の震源地となった慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC、神奈川県藤沢市)の総合政策、環境情報の2つの学部の今後である。現在、他大学で学長を務める同大学の元教授は次のように痛烈だ。
「SFCの2学部の凋落は目に余る。大きな声では言えないが、いまや内部進学(付属高校からの進学)希望者がほとんどいなくなっている。偏差値も下がり気味だ。学部が一貫した学問体系でできておらず、卒業しても何が専門か答えられないことも弱点で、企業からの評価も高くない」
他学部の学生からは「何しろ藤沢のチベットと言われるほど僻地だから、受験生が行きたがらないのも当然だ。他学部学生との交流も難しいし」などという声も聞こえてくる。
中央にしてもSFCにしても、日本の大学にしては文教の場として理想的な環境と設備を持ってスタートしたはずだが、都心回帰の嵐の中で、次なる対策が不可欠となっていると言っていいだろう。
いずれにしろ、受験生の大学・学部選択の主要因の一つが都心回帰であることははっきりしている。そのことに絡んで大学の明暗が分かれているわけで、そうした現実が各大学の都心回帰の動きを突き動かしていると見て間違いなく、それだけに今後とも追随する動きはやむことはないと見てよい。
(文=清丸恵三郎)
