WALKIN' | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

レコード番号:LPR-8851(Prestige)   1973年(国内盤)

 

 

一度しか使えないネタなので最大フォントで。

 

walkin'のブログに”WALKIN'”登場(`ω´)

 

…いやぁ、以前からずっと、いつかやってみたいと思っていたんですよね(/ω\)

 

 

 

 

 生涯現役を貫いたマイルズ・デイヴィス(Miles Davis)の、膨大なディスコグラフィのなかでも、マイルズだけにマイルストーン的な意義の大きいアルバムというものがいくつか挙げられますが、この”WALKIN'”はその筆頭に置かれてもおかしくないでしょう。

 

 実際にこのアルバムは1957年のリリース以来コンスタントに売れてきたらしく、中古レコード店をじっくり探すとそれなりの頻度で見つかります。

 

 ところがどれも高いんですよね('A`)

 以前にとある中古レコード専門店で見つけた60年代の盤は、なぜか前オーナーがジャケットに付箋&メモ書きをこれでもかと残しており、それでいて価格はトリプル英世越え。

 ボクは盤の状態さえ良好であればジャケットやライナー、帯などといった外装にはこだわらない

聴ければええねん主義(`・ω・´)

を貫くことにしていますが、それでも、やっぱり、付箋はカンベンです…

 

 このLPは神戸市内に遠征したときに元町高架下商店街のレコード店で、以前ご紹介した”THE MAN WITH THE HORN”と同じタイミングで見つけました。

  他に50年代マイルズのアルバムが数点あったものの、他のほとんどは80年代以降の作品ばかりでしたから、80年代マイルズのコレクターさんの放出した在庫をみた他のお客さんが少しずつ買取に出したことで集まったのかな、などと考えたりもします。

 

ジャケット裏の解説は現行CDでも踏襲されています。

日本語ライナー。よく見ると

正確を期したのでしょう、A面とB面でそれぞれ「マイルス・デヴィス重奏団」「マイルス・デヴィス重奏団」と表記されています。

 

 

 

 

 

 ニューヨークのジャズシーンで若手のひとりとして揉まれていたマイルズ・デイヴィスですが、1950年頃におク〇リに手を出すようになり、その依存症が演奏活動に大きな支障をきたすほどに悪化します。

 いったん郷里の東セントルイスに戻り、父親所有の農場の小屋にこもって禁断症状を独りで克服するという荒療治を経てなんとか依存症から逃れたマイルズですが、何でも簡単に手に入るニューヨークにすぐに舞い戻るのが自分でも不安だったらしく、リハビリを兼ねてデトロイトで半年を過ごします。

 

 そんな彼も1954年の2月にニューヨークのジャズシーンに復帰、キャピトル(CAPITOL)との専属契約が既に切れていた彼はブルーノートアルフレッド・ライオンプレスティッジボブ・ワインストックのふたりにレコーディングの話を持ちかけます。

 ブルーノートでも数曲のレコーディングを行った後、マイルズはプレスティッジと3年間の契約を結びます。

 

 4月に行った2日間のレコーディングのうち、”Walkin'””Blue 'n' Boogie”を録った29日はその出来のあまりの素晴らしさにワインストックや、レコーディングエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーも興奮していたといいます。

 6月にリリースされたこの”WALKIN'”はそれまでマイルズに酷評を下していた評論家からも高く評価され、後にマイルズ自身が

オレの人生と経歴のすべてをすっかり変えてしまった

(『マイルス・デイビス自叙伝 Ⅰ』宝島社 より)

と認めるほどの称賛を集めます。

 

 しかもちょうどこの頃キャピトルが、マイルズの残していたノネット(九重奏)による音源を”THE BIRTH OF THE COOL”(クールの誕生)というタイトルでリリースしたことも追い風となります。

 アクロバティックなソロの応酬に終始するビバップから意識的に離れ、ギル・エヴァンスによる綿密なアレンジに基づいた情感あふれるアンサンブルを志向したノネットの演奏は1949年から翌年までの間にレコーディングされていたものの、まるでマイルズのジャズシーン復帰を待っていたかのように世に出た”THE BIRTH OF THE COOL”はさらに多くのリスナーの目をマイルズに向けさせることになりました。

 

 

 改めてこの”WALKIN'”のパーソネル(参加ミュージシャン)を並べてみると;

Miles Davis – trumpet
Lucky Thompson – tenor saxophone (on side one)
J. J. Johnson – trombone (on side one)
David Schildkraut – alto saxophone (on side two)
Horace Silver – piano
Percy Heath – bass
Kenny Clarke – drums

(英語版Wikipediaより)

 

 J・J・ジョンソンやホレス・シルヴァー、ケニー・クラークといった、後に競ってリーダーアルバムをリリースすることになるモダン・ジャズのジャイアント達が一堂に会していることが分かります。

 言い換えればレコーディングの1954年当時ですでにある程度の演奏キャリアがあり、自身のスタイルを確立しつつあったメンバーを集めたことで演奏の質を維持した、いわば手堅くまとめたアルバムです。

 

 また、ミュージシャンのスポンテニアス(自発的)な演奏によるハプニングやケミストリーを重視したマイルズは度を越した回数のリハーサルや緻密な楽譜による厳格な指示を好まず、レコーディングでも初期のテイクを最良とするファーストテイク至上主義を後年まで貫いたことでも知られていますが、この”WALKIN'”にあたっては特にホレス・シルヴァーと念入りに意思疎通を図ったことを後に自伝で明かしています。

 

 

 一方でこの頃のマイルズは姉にその存在を教えられたというピアニストのアーマッド・ジャマルの演奏に惚れ込み、情感と間(ま)を活かしたスモールコンボ‐5~6人編成のタイトな編成のバンドによる演奏を志向するようになります。

 また、ソニー・スティットソニー・ロリンズといった同世代のジャズメンと交流を持ちながらも、おク〇リでグダグダな彼らではなくもっとクリーンで活きの良いミュージシャンと組むべく、有望なジャズメンを探し始めます。

 

 それがしばらく後にフィリー・ジョー・ジョーンズレッド・ガーランドポール・チェンバースそしてジョン・コルトレーンが集った第1次黄金カルテットの結成につながるのですがそれはまだ先の話。

 この”WALKIN'”はまだニューヨークのジャズシーンで苦闘を続けるいちトランぺッターだった頃のマイルズ・デイヴィスの、しかし非凡なまでのヴァイタリティと強いプライドの輝きを見てとれるアルバムであり、それが時の試練をものともせず、半世紀以上経った今でも鮮烈に響くという感動が多くのリスナーの心を捉えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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