レコード番号:VIJ-243(PRESTIGE) 1984年(国内盤)
このLPを中古レコード店で見つけて
うをー!!
と声をあげてしまうのは、大阪じゅうを探してもきっとボクだけではないかと思います(;・∀・)
いやぁ、ずっと探していたんですよ、このアルバム。
思い返せば去年の9月、初めて訪ねた中古レコード店で、ボクよりひと足早く来ていた他のお客さんにこのアルバムを(正確には70年代の再発盤)を買われてしまったというほろ苦い思い出が…
もっとも、その時にジョン・コルトレーンの”BLUE TRANE"が手に入ったので、まぁ、なんとかあきらめがつきましたけど(/ω\)
中古レコードを買い集めるようになると、レコード番号を利用した検索サイトというものを使うようになりました。
最初は自分が手に入れたレコードがいつ頃の、国内盤か輸入盤なのかといった確認のために使っていたのですが、そのうち、これは欲しい!というアルバムについて、どのようなバージョンが世に出ているかを調べるようになりました。
ある時、この”THE MUSINGS OF MILES”について調べてみました。
するとどうやら、
〇70年代にアルバムタイトルとジャケットを変えて再発された盤あたりが日本で流通量が多いらしい(先ほど出てきた、他の人に買われてしまったのがまさにこれでした)
〇2010年代に重量盤で復刻されたらしい
ということまでは分かりました。
ボクはレコードを集める際に、ジャケットの状態や帯の有無、再発かオリジナルかといった枝葉の部分には執着せず、とにかく盤の状態を最優先する
『聴ければええねん』(`・ω・´)
主義を貫くことに決めたこともあり、再発盤だろうが何だろうが節操なく(^^;)買い集めています。
しかし、最近、特に重量盤が定番となった2000年代以降の再発盤は流通量が少ないこと、ハナからコレクター向けに販売していることもあって持ち主が手放さず、中古を探してもなかなか見つからないんです。
それだけにこの、帯もついていて、しかも「ペラジャケット」と呼ばれる薄い紙のジャケットではなく、厚紙を使ったジャケットの再発盤の存在は涙が出るほどうれしいものでした。普段からよく利用させてもらっている大阪市内の中古レコード/CD店で見つけた時は思わずその場にひざまづいて感謝の祈りを捧げたくなったほどです、ホントに。
帰宅後に調べてみたら、ヴィクターが1984年に発売した『プレスティッジ・ジャズ・ゴールデン50』シリーズということでした。これは先述の検索サイトでも見つからなかったので全くの予想外でした。
帯はこんな感じ。
厚紙ジャケットだぞ、ペラじゃないんだぞ。レーベルもオリジナルと同じデザインだぞ。
ジャケット裏もオリジナルに準じています。もっともこれはCDでもかなり忠実に再現されていますが(^^;)
日本語ライナーノーツ。これが実は
『プレスティッジ全アルバムディスコグラフィ―』でして、
なんと3面にわたってびっしり。目が疲れる(;・∀・)
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後に『帝王』と称されることになるマイルズ・デイヴィスですが、若い頃から波乱万丈の人生であったことはファンにはよく知られています。
1947年には初のリーダー(自身名義)アルバムデビューを果たした彼も50年代初期にはヘロイン依存から低調な時期を送ります。
後に自身が「コールドターキー」と呼ぶ禁断症状をなんとか自力で克服して依存を乗り越えたマイルズは1954年にニューヨークのジャズシーンに復帰、当時はまだローカルレーベルだったプレスティッジからリリースした"WALKIN'"が高く評価されたことで自信をつけた彼は、自身の「ワーキング・グループ」‐固定メンバーによる、クラブへの出演を前提としたバンドを結成しようと画策します。
というのも、当時のジャズシーンではレコーディングやクラブへの出演ごとにジャズメンを招集しての演奏が当たり前でした。
しかしそれではどうしても場当たり的な演奏に終始してしまいますし、強力な指揮権でグループをまとめ上げることを目指しているバンドリーダーには、納得のいかない水準の演奏しかできなくなるリスクもあります。
当時すでに作曲も手掛けるようになっていたマイルズは自身の理想を体現できるメンバーを集めたグループを結成すべく、親しいジャズマンやクラブのオーナーに訊ねてまわります。そうして彼が目をつけたのが、ドラマーの「フィリー」・ジョー・ジョーンズと、ピアノのレッド・ガーランドでした。
管楽器奏者がリーダーとなるジャズのアンサンブルにおいて、ドラム、ベース、ピアノは「リズムセクション」、つまりリードプレイではなくリズムを構成し、伴奏に徹するのがセオリーでした。
そしてそのリズムセクションがスウィングするなかで、管楽器の「ソロイスト」が二人以上ソロをとるのが一般的でした。
つまり、当時のジャズグループは5人以上が基本だったのです。
実際、1955年にマイルズが結成した通称『第一期黄金クインテット』はその名のとおり5人組(クインテット)でしたし、マイルズ以外の管楽器奏者として、後にジャズジャイアントのひとりに数えられるジョン・コルトレーンが加わったのです。
アルバム”THE MUSINGS OF MILES”はその黄金クインテットが結成される直前の6月、P・J・ジョーンズとR・ガーランドとはすでに共演するようになっていたものの、ベースがまだ見つからず、知り合いだったオスカー・ペティフォードを加え、しかも他に管楽器のソロイストを加えない
ワン・ホーン・カルテット
で録音されたのです。
帯にも「ワン・ホーン」の文字が。
そしてこれが、膨大なことで知られるマイルズのディスコグラフィにおいて唯一のワン・ホーン・グループでの演奏の記録として後世に残されたのでした。
信じがたいことですが、
管楽器奏者がマイルズだけというグループでの演奏はこのアルバムだけ
ということなのです。
チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーといった先輩達の、技量勝負の色の強いビバップから離れ、情感を大切にした演奏へとシフトしていった頃のマイルズの演奏はとても耳になじみやすく、
「どジャズはちょっと、キツいんだよな(;´Д`)」
と抵抗を感じる人でもかなり安心して聴けるのではないかと思います。
また、初心者にはなかなかハードルの高いジャズのスウィングも、P・J・ジョーンズの安定感があり、ムチャなプレイに走らないタイトなビートのおかげでかなり敷居が低く感じられます。
そして、この時期のマイルズの片腕として伴奏にソロに大活躍なのがR・ガーランド。
ブルーズに根差したヒューマンなタッチで知られるガーランドは同時にバラードの名手でもあり、同じくバラードが得意なマイルズとの息はぴったりと合っています。
またスウィングにノッての、いわゆるスウィンギーなプレイにも非常に光るものがあり、演奏に軽快さと、当時に強い疾走感を持たせています。
このアルバムを録音したすぐ後にポール・チェンバース(ベース)そしてコルトレーンといった逸材を獲得し名演を次々と録音したこともあって、”THE MUSINGS OF MILES”はどうしても影の薄い感が否めません。
ですが、正装してキチンと椅子に座って聴くべき演奏もあれば、ソファに寝転がってコーヒーでもすすりながらのんびり耳を傾けるのにちょうどいい演奏だってあってしかるべきではないでしょうか。
ジャズを聴いていていつも思うのですが、ジャズは一部の選ばれし天才のものだけではなく、もっと裾野のひろーい、敷居もひくーいものではないでしょうか。
マイルズには後にバイブルとまで称させるようになった傑作が他にいくつもありますが、まずはこの”THE MUSINGS OF MILES”のような、あぁカッコいいな、聴いてて楽しいな、と素直に思えるアルバムから聴いてみるのもありですよ。
そして、他に多くのアルバムを手元に集め、いくつもの名演を聴いた後で改めてこのアルバムを聴きかえし、おお、このアルバムって、ガーランドって、フィリー・ジョーって、マイルズってやっぱりスゴイやんか(O_O)と改めて思う頃には、きっとジャズが一生の友となっているはずです。そういう点で”THE MUSINGS OF MILES”は、派手さこそありませんが名演のひとつといえます。
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