今月中には第1回目の会報やセブ島での活動を収録した映像などをDVDにして支援して頂いている皆様に発送しようと準備を進めています。

私も今まで撮った写真や皆さんから提供して頂いた写真でスライドショーを作ってみました。このホームページをご覧の皆様は見たことのある写真ばかりだと思いますが、BGMを入れてみますとまた違った雰囲気なので、お時間がありましたらご覧になって下さい。

DVDに収録する余裕があったら、これも入れて貰おうかなと思っています。 


      【フィリピンの子ども達・スライドショー】


※再生が始まったら一度ポーズボタンを押して、  
暫く読み込んでから再生するとスムーズにご覧になれると思います。

【セブ島の子ども達を学校へ】

 
 スクウォッター(squatter)

私的にはスクワーターと聞こえるのでその様に表記していますが、一般にはスクオッターやスクウォッター、正確にはスコッター(squatter)と呼ばれていまして、都心の廃屋他の敷地に住む不法定住者、又はそうした地区のことです。今回はこのスクウォッター(squatter)の事をお話したいと思います。

日本語では「不法居住者」「不法住居区」と訳され、本来はオーストラリアのニューサウスウェールズの公有地の不法占拠者を意味した事から発生した様で「squatter」は「しゃがんだ人」「しゃがんだ動物」という意味があるそうです。フィリピンの首都マニラの住民の約4割はスコッターと推測されていて、この国の都市部にはどこにでも必ずあるスラムです。
 




問題点として生活の為に必要な電気や水道を不正使用したり貧困層集中によって、その地域がスラム化し不法居住であることから公的支援は受けられず、就業や教育の面は著しく不利になり、衛生状態が悪いので感染病が蔓延するおそれがあると共に一度スコッターになると容易にその生活を脱出させることができず階層の固定化が生じ、その環境から犯罪に手を染めるものも出て治安の悪化につながります。
 




得に都市部の住民の4割以上がスクウォッター(squatter)ではないかとされるこの国は、貧困層への援助の充実や教育や就業の機会を与えるチャンスも少なく住環境や行政サービスの改善も遅れている事から、問題の解決は容易ではありません。
 




階層の固定化が生じると子ども達は学校へ行く事さえ出来ず、日々の生活の為に家族を助けなければ生きて行けません。そして何の知識もなく公用語の英語の読み書きさえ出来ないまま育ってしまうと社会への疑問や搾取にさえ気が付かない大人になってしまい、その悪循環がずっと続いてしまうのです。
 
私達は子ども達に教育の機会を与えて自立を促すだけではなく、出来れば貧困層の子ども達への教育者・支援者・指導者に成りうる人材を育てたいと活動をしています。そして貧困に苦しむ多くの庶民の皆さんが社会への参加が出来る様になる事を願っています。






【セブ島の子ども達をがっこうへ】
 

 

よく「ボランティアっ何ですか?」と聞かれるのですが、ボランティアって、いったい何なのでしょう?。ボランティアの語源はラテン語のVoluntas(ボランタス)で、自由意思を表す言葉ですが、これを人称化して自由意思で行動する人をボランティアと呼ぶ様になったのだそうです。日本語では「篤志家」とか「奉仕者」がそれにあたります。
 
広い意味での社会福祉と言いますか、身近な事や教育や医療なども含めて、自ら進んで報酬を期待せずに時間や労働を提供し社会的に貢献する人をボランティア、その一連の活動をボランティア活動と呼ぶ様です。つまり自発性と非営利という事と公益性があればボランティアという事ですね。
 

            


まず始めに自発的という事が大事なことで、ボランティアは誰に強制されるものではなく、動機として自らの意志、自由意志が基本です。そして利益を求めない無償性ということも言われていますね。自分から進んでやったとしても、労働の対価を求めるのであれば普通の仕事やアルバイトと同じです。
 
しかし自分の仕事を生かした活動であっても利益を上げなければ立派なボランティアです。たとえば床屋さんが身体の不自由な老人のお宅に出張して無料で髪を切ってあげる様な活動ですね。以前は老人宅に行くための交通費や弁当代を支給されたならばボランティアとは言えない、などと言う人もいて議論にもなりましたが、交通費やお弁当代は労働に見合った対価とは言えず、交通費とお弁当代が目的でそういう事をしているのかどうかを考えれば、それがボランティアか否かは自然に解る事だと思います。
 
   


そしてこれらの活動が、公益性や社会性を含むものであれば、これはもう立派なボランティア活動だと言えます。たとえば、ご自分の家族である子供の世話、またはご自宅の前を「自発的に無償で」掃除しても、それはボランティアとは言いませんが、お隣りさんやご近所の子供達の世話や掃除をするという風に範囲を広げて自発的に行うならば、これは立派なボランティアとなりますね。
 

   


また、これに先駆性や継続性というものが加われば「ボランティア活動」としての全ての要素に合致するそうです。先駆性とはボランティアが法律や制度の欠陥や不備を先取りして、これらの整備を待たずに(或いは期待できないので)独自に活動を展開していることを指すそうです。

しかし、先駆性というものはボランティア活動の社会的意義というべきもので、ボランティアの条件ではありません。また継続性という事も「出来ればそうあって欲しい」ということです。

という訳で、ボランティアという言葉を説明しようとするする定義は様々ですが、全てにおいての共通している点は「自発性」「非営利」「公益性」という事ですね。
 

         


思うのは、人助けとか社会奉仕などといった善行の活動そのものではなくて、ボランティアに関心をもって様々なスタイルで参加をしたり、様々な形で支援をされたりする人の「想い」こそが重要なのだと思います。

そして、その気持ちが形になった時、その事から逆に多くのことを学び感じている私達やあなたがいます。生命の尊さ、成長の喜び、環境の大切さ、人と人との繋がり、そして何よりも子ども達の声や笑顔が私達の活動の原動力となっています。
 

【セブ島の子ども達を学校へ】