街で偶然友達に会い、話しかけたら全くの別人だと言われたら

半信半疑だけど それを信じるしかないと思うのです

ただの友達が、ある日突然魅力的に見えたりしたら、それは何かしら外的な作用をうけて心に変化が生じた結果なのだと思うのです

つまり度合いは異なれ、すべては思い込みとか信じることから始まるのではないかと思ったりしました

跳び箱だって、跳べないと思っているうちはいくらいつまでたっても跳べないし、大好きだった人でも疑いの気持ちがめばえたらいつの間にか憎むべき人になったりもするわけです。こわ…

でもきっかけというのは、望まずともその辺にたくさん転がっているものなので、そのひとつひとつに悩んでしまう人もいれば、器用に必要なものだけを選んでいく人もいるわけです

いろんな方向からいろんな作用をうけて、今ある姿でいるわけで、結局自分が信じられなくなった瞬間に、人てあちこちに流されてしまうものなのではないかな、と感じたのです

でもどうしても弱ってしまうときだってあるものなので、そんなときに支えてくれる人がいるとよいと思います

うん。
今日読んでいた小説のワンシーンで芽生えた感情は一言で『衝撃』。

誰からも愛され、望まれ、欲しいものは全て望めば手に入る人がいて、
その人が一番望むものって何でしょう。

作者がそこから伝えたかったものが、現段階では未明ですが、

「人の望みを知ることに精一杯で、自分の望みにまで気が回らない。」

それが、その人の答えでした。

妙に納得してしまいました。

常にシーンの中心にいることを、『望まれている人』(あくまで望んでそうなっている人とは違います。)って、実は一番孤独で、虚しかったりするのではないかなぁと思ったりしたわけです。

誰からも望まれてしまうって、むしろ可哀相かもしれません。

自分の望む物がわからなくなるくらいなら、自分が望む人に望まれるのが一番幸せで、そもそも人ってそれくらいのキャパしかないのではないかな。。

結局その人物は小説のなかで、「自分でも気がつかない位、突然背中を一思いに突き刺されて即死したい」という唯一の望みを叶えて死んでいくわけです。

朝一で読むにはひぇーって感じです。

でも、それは幸せな死でした。それは間違いないんじゃないかなと思います。