一言でフリースクールといっても、いろいろである。

学校に復帰できることを目指すところもあれば、わくわくぴょこんのように、今の学校教育のあり方に疑問をもち、新しい形の学び・育ちの場を用意しようというところもある。

また、大きな見方をすれば、子どもの育つ場所も多様であり、自分の心地いい学び場所を選べるようになってきた。
学校や幼稚園であったり、教育支援センターなどとの両立であったり、フリースクールや家庭(ホームスクーリング)であったり・・・。

じゃあ、わくわくぴょこんは、学校のどんなところに疑問をもっているのか?
◎比較・競争を利用した育て方
→他人よりできるかできないかで、好きか嫌いかが決まってしまいがち。だって、いつもかけっこがビリならば、好きになんかなれない。だけど、それは実にもったいないこと。
わくわくの子どもたちは、好き勝手に笑いながらグランドを走りまわってる。見ているこちらもしあわせになれる。
劣等感や優越感は、本当の自分を見失うことにもなりかねない。

◎100点満点が第一の目標とされたテスト重視の勉強
→満点・完璧を求めるということは、失敗が許されないということである。
ミスを恐れて、たったひとつの正解を探すことになる。失敗は恥ずかしいこと、嘲笑の的であり、自分の考え・感情までも正解かどうかを気にしてしまうとしたら、それはもう笑いごとではない。
ぼくたちは、むしろ失敗こそ大きな学びだとも考えている。思い切ってやってみる。失敗した時は「じゃあ次からどうしたらいい?」と考え、新たな行動をしていくことで、ひとつずつ自信をつけていける。

◎産業革命時代から変わらない、組織に役立つ集団適応人間づくり という裏カリキュラムの存在
→注意されないよう、いつも先生の指示通りにだけ動くこと、チャイムにあわせて行動すること、周りの人たちとの協調性が個人の心よりも常に優先されてしまうこと。
いつもこういう環境の中にいたら、それこそ自分の感情は見えにくくなり、判断能力も鈍くなってしまう。

今の学校教育システムの中では、内なる自分の心の声が聞こえなくなってしまう、といったら言い過ぎだろうか?

わくわくぴょこんでは、自分の心に聴いて、自分で決めて行動して、その結果も自分で責任をもつ、という練習をしている。

迷った時は誰かに聞いたり、調べたりすればいい。それでも決めるのは自分だから、他人のせいにはできない。

話を始めに戻そう。
学びの場の選択肢はいろいろある。
フリースクールを選びつつ、幼稚園や学校に通うことを前提とするのも、「行けるときだけでも学校へ」というように両立を考えるのも、それはもちろん自由である。
ただ繰り返しになるが、わくわくぴょこんは今の学校教育のやり方に疑問を持ち、まったく違う方法を選んでいる。


うちに通うことで、子どもが「学校には行きたくない。」と感じるようになることもあるだろう。
だがその一方で子どもは、親の思いも敏感に感じ取る。そして親に愛されたいゆえに、本当の気持ちを言い出せないこともある。
(お母さんは学校に行って欲しいと思ってるのに)
「学校に行かない自分はダメなヤツ。」
「他の兄弟まで(行きたくない)って言い出したら自分のせいだ。」
といって小さな胸を痛める。
そういった子どもの苦しみや葛藤を、どれだけ周りの大人たちが感じ取れるだろうか?
学校に通う子どもたちに、行きたい理由を尋ねると、殆どの答えが「友だちと遊べるから!」というものだ。ぼく自身そうだった。


人は人の中で育っていく。一緒に楽しんだり、ぶつかったり、話し合ったりして学びあい、育っていく。
確かに学校は、友だちを見つけるのに手っ取り早いのも事実。

だけど友だちと出会う場所は、今や学校だけではない。
自分から動けば、そこらじゅうにある。
スポーツクラブ、各種習いごと、趣味のサークル、図書館、児童館、近所の公園・・・。社会に目を向ければいくらでもある。

ただ、「常に集団の中にいない子は、わがままで、協調性に欠け、人づきあいのできない人間になってしまわないか?」という不安の声も聞く。
でもどうだろう?
たとえば30人クラスにいる子どもたちが、一日に何人の子たちと会話をするのか?
ぼくたち大人が日頃、20人、30人の人たちとともに過ごし、意見を発表したりする場面がどれだけあるのか?
人間同士のつき合いは、つきつめれば、”ひとり対ひとり”。大人も子どもも同じである。ひとりの人ときちんと向き合い、表現し、コミュニケーションできれば、困ることはない。

そういった「コミュニケーション能力」とともに必要なのが「孤独力」なんだと思う。

大人も子どもも、人と交じり合いながらも、時にはひとりになって、「自分の心は何て言ってる?」と静かに見つめ直し、自分の納得のいく行動をする勇気。

誰もがみんな、「天才」を持って生まれてきたという。
それに気づくためには、とことん自分の興味あることに没頭できる時間が必要である。
自分の心に、のんびりじっくり向き合う時間も必要である。

わくわくぴょこんでは、そういった一人きりになる時間も、人との関係でトラブルがあった時に話し合う時間も、充分、たっぷりとることができる。なにしろカリキュラムや「しなければならないこと」が何もないのだから。
楽しみながら自分の「天才」を活かして、周りに喜んでもらえたなら、それがやがて将来のしごとにつながっていくのだ!
すべての人がそれぞれの「天才」を活かして毎日を過ごす社会。
考えただけでわくわくする。

わくわくぴょこんは、幼稚園・学校ではない新しい学び・育ちの場をつくり上げていくフリースクールです。


学校に復帰できることを目指すところもあれば、わくわくぴょこんのように、今の学校教育のあり方に疑問をもち、新しい形の学び・育ちの場を用意しようというところもある。

また、大きな見方をすれば、子どもの育つ場所も多様であり、自分の心地いい学び場所を選べるようになってきた。
学校や幼稚園であったり、教育支援センターなどとの両立であったり、フリースクールや家庭(ホームスクーリング)であったり・・・。

じゃあ、わくわくぴょこんは、学校のどんなところに疑問をもっているのか?
◎比較・競争を利用した育て方
→他人よりできるかできないかで、好きか嫌いかが決まってしまいがち。だって、いつもかけっこがビリならば、好きになんかなれない。だけど、それは実にもったいないこと。
わくわくの子どもたちは、好き勝手に笑いながらグランドを走りまわってる。見ているこちらもしあわせになれる。
劣等感や優越感は、本当の自分を見失うことにもなりかねない。

◎100点満点が第一の目標とされたテスト重視の勉強
→満点・完璧を求めるということは、失敗が許されないということである。
ミスを恐れて、たったひとつの正解を探すことになる。失敗は恥ずかしいこと、嘲笑の的であり、自分の考え・感情までも正解かどうかを気にしてしまうとしたら、それはもう笑いごとではない。
ぼくたちは、むしろ失敗こそ大きな学びだとも考えている。思い切ってやってみる。失敗した時は「じゃあ次からどうしたらいい?」と考え、新たな行動をしていくことで、ひとつずつ自信をつけていける。

◎産業革命時代から変わらない、組織に役立つ集団適応人間づくり という裏カリキュラムの存在
→注意されないよう、いつも先生の指示通りにだけ動くこと、チャイムにあわせて行動すること、周りの人たちとの協調性が個人の心よりも常に優先されてしまうこと。
いつもこういう環境の中にいたら、それこそ自分の感情は見えにくくなり、判断能力も鈍くなってしまう。

今の学校教育システムの中では、内なる自分の心の声が聞こえなくなってしまう、といったら言い過ぎだろうか?

わくわくぴょこんでは、自分の心に聴いて、自分で決めて行動して、その結果も自分で責任をもつ、という練習をしている。

迷った時は誰かに聞いたり、調べたりすればいい。それでも決めるのは自分だから、他人のせいにはできない。

話を始めに戻そう。
学びの場の選択肢はいろいろある。
フリースクールを選びつつ、幼稚園や学校に通うことを前提とするのも、「行けるときだけでも学校へ」というように両立を考えるのも、それはもちろん自由である。
ただ繰り返しになるが、わくわくぴょこんは今の学校教育のやり方に疑問を持ち、まったく違う方法を選んでいる。


うちに通うことで、子どもが「学校には行きたくない。」と感じるようになることもあるだろう。
だがその一方で子どもは、親の思いも敏感に感じ取る。そして親に愛されたいゆえに、本当の気持ちを言い出せないこともある。
(お母さんは学校に行って欲しいと思ってるのに)
「学校に行かない自分はダメなヤツ。」
「他の兄弟まで(行きたくない)って言い出したら自分のせいだ。」
といって小さな胸を痛める。
そういった子どもの苦しみや葛藤を、どれだけ周りの大人たちが感じ取れるだろうか?
学校に通う子どもたちに、行きたい理由を尋ねると、殆どの答えが「友だちと遊べるから!」というものだ。ぼく自身そうだった。


人は人の中で育っていく。一緒に楽しんだり、ぶつかったり、話し合ったりして学びあい、育っていく。
確かに学校は、友だちを見つけるのに手っ取り早いのも事実。

だけど友だちと出会う場所は、今や学校だけではない。
自分から動けば、そこらじゅうにある。
スポーツクラブ、各種習いごと、趣味のサークル、図書館、児童館、近所の公園・・・。社会に目を向ければいくらでもある。

ただ、「常に集団の中にいない子は、わがままで、協調性に欠け、人づきあいのできない人間になってしまわないか?」という不安の声も聞く。
でもどうだろう?
たとえば30人クラスにいる子どもたちが、一日に何人の子たちと会話をするのか?
ぼくたち大人が日頃、20人、30人の人たちとともに過ごし、意見を発表したりする場面がどれだけあるのか?
人間同士のつき合いは、つきつめれば、”ひとり対ひとり”。大人も子どもも同じである。ひとりの人ときちんと向き合い、表現し、コミュニケーションできれば、困ることはない。

そういった「コミュニケーション能力」とともに必要なのが「孤独力」なんだと思う。

大人も子どもも、人と交じり合いながらも、時にはひとりになって、「自分の心は何て言ってる?」と静かに見つめ直し、自分の納得のいく行動をする勇気。

誰もがみんな、「天才」を持って生まれてきたという。
それに気づくためには、とことん自分の興味あることに没頭できる時間が必要である。
自分の心に、のんびりじっくり向き合う時間も必要である。

わくわくぴょこんでは、そういった一人きりになる時間も、人との関係でトラブルがあった時に話し合う時間も、充分、たっぷりとることができる。なにしろカリキュラムや「しなければならないこと」が何もないのだから。
楽しみながら自分の「天才」を活かして、周りに喜んでもらえたなら、それがやがて将来のしごとにつながっていくのだ!
すべての人がそれぞれの「天才」を活かして毎日を過ごす社会。
考えただけでわくわくする。

わくわくぴょこんは、幼稚園・学校ではない新しい学び・育ちの場をつくり上げていくフリースクールです。
