こんな夢を見た。
僕は小学校に入学したての一年生だ。学校にはあまり行かない。いつも肩に子猫をのせている。(イメージは『母をたずねて三千里』のマルコです〈笑)。あれはポケットモンキー?)
その日は久しぶりに登校した。だがクラスのみんなは、全校集会かなにかで教室にはいない。僕と相棒の子猫の二人きり。適当な席に座り、黒板や周りの掲示物をボンヤリ眺めている。
(みんなが戻ってくる前に帰ろっかなあ・・・。)
ふと廊下の方を見ると、窓の外には両親が車に乗って待っている。(不思議なことに二人とも、60を過ぎた今の姿である。しかもこの二人、僕に見つからないようにこっそり様子をうかがってるらしい。僕も気づかぬふりをして、教室に視線を戻す。
そうこうしているうちに、クラスメイトたちのにぎやかな声が近づいて来る。
「おー!ひろたけ!来たなあ。」「わいわい。」「ガヤガヤ。」
みるみるうちに取り囲まれる僕。そして最後にやさしい女の先生が入って来て、
「よう来たねえ。みんな待っとったよ。」
ここが一番つらいとこだった。クラスメイトも先生も大好きなのだ。やさしい言葉をかけられるのがすごく嬉しかったけど、それだけに友だちと離れるのがつらかった。本当の気持ちが伝えられなかった。ただ時間通りに進められていく形式がたまらなくイヤだった。みんな揃って運動場に並んだり、体育館で話を聞いたり、全員一緒にくるくると目まぐるしく、そして時にはじれったく進められていく学校での一日がイヤだったのだ。
しばらく黙ったまま考えていた。
(やっぱり帰ろう!)
勇気を出して立ち上がった。子猫のいるのが心強かった。廊下に出て、窓の外の両親に声をかけると、
「自分で帰れ!」
といつものように笑いながら年老いた親父が言う。予想外の返事に一瞬たじろいだが、
(ふんっ。歩いたって30分かそこらだわ。自分で帰るでええわ。なっ!〈猫を見る〉)
相棒を肩にのせて、僕は教室を出た。
ここで夢は終わった。クラスでいじめられているわけでもないし、担任教師が嫌いなわけでもない。勉強もどちらかといえばできるほう。むしろ楽しい友だちと別れるのがつらくて、自分の道を選べない状態。これは大学時代に実際に味わった感覚だ。
大学以外にも興味はいろいろあった。一年間休学して海外に行ってみるとか、農業体験してみるとか・・・。でもできなかった。クラスの仲間たちはほとんどが一人暮らしだった。それも歩いてすぐのところで、長屋的コミュニティーがそこにはあった。しょっちゅう誰かが家にいて、飲んだり、歌ったり、告白したり、大笑いしたり、そのまま雑魚寝したり・・・。とにかく楽しかった。そんな仲間と離れるのもつらかったし、学年がずれて最後の一年、ひとりぼっちになるのもイヤだった。『みんなと一緒』というヘンな安心感。とにかく、当時の僕には『孤独力』が足りなかったし、『やりたいこと』も単なる憧れでしかなかったんだと思う。でも後悔はない。だって、自分がその時一番したいことを選んでたんだから。
ただ、世界は狭かった。想像力も足りなかった。それは、クラスメイト以外の人間の存在を想像できなかったのだから。例えば僕が海外に出ていれば、同じように日本を飛び出したおもろい若者と出っくわしただろう。例えばあの時、農業体験するためにヤマギシの村で暮らしたならば、そこには人生最大の決断をして、まるで脱藩覚悟した幕末の志士のような志高い人たちが待っていたことだろう。(ちなみにヤマギシにも疑問点があるから、今はノーサンキューなんだけどね。)
怖かったんだよなあ、一人になるのが。『みんなと一緒』っていうのがよかったんだよな。もう一つの道の先で待ってくれている、新しいすてきな仲間たちがいるなんて思いもよらなかったもんなあ。今なら「必ず出会える。」って自信もって言えるんだけど。てんつくマンの自主上映会をした時がそうだった。何もわからないまま「やりたい!」っていう思いだけでスタートしたのに、びっくりするぐらいたくさんの仲間と出会え、輪がひろがっていった。それも地元の人間から日本全国の人にまで!不安もあったけど、28歳で初めてタイに行った時も、ツアーでなかったからこそ、おもろい日本の若者と出会えた。すべて、はじめは一人の思いつき、一歩の行動から始まった。そして、みんなつながって、今がある。15歳年上で3人の母親である明美との結婚、自給自足を目指した自然農、自由な学校、古民家解体業の応援、フリーマーケットへの出店・・・。
楽しいなあ。自分の興味・関心で動いた結果が今ある。僕は社会人になってはじめて、そんな体験をした。でももしも、今もまだ学生の頃と同じ感覚でいるならば、僕の周りには家族と職場の人間しかいなかったのかもしれない。
ひるがえって夢の中の僕。我ながら頼もしいかぎりだ。よう決断した!(親バカ?いや自分バカ?)それにしても、あの場面で立ち上がることができたのは、現実の僕がサドベリーバレースクールや兵庫や大阪、香川にある自由な学校、そして日本中にいるたくさんのホームスクーラーたちの存在を知ってしまったからに違いない。それも彼らがほんとに目を輝かして毎日を生き、人生を謳歌しているさまを見てしまったんだから。もう不安はない。
最初は一人。でも一人じゃない。必ずつながっていく。いや最初から見えない糸でつながっているのかもしれない。そう考えたら『わくわく』する。最初の一歩も、『ぴょこん』って軽く飛び出せそうな気がする!