先日、あれはたしか冥王星がやぎ座に移動した日だったと思う

 

なんかぴりぴりした感覚は捉えていた。捉えていたがただ捉えたということだけで日々に追われていた私はそのまま放置。というかそのまま過ごしていただけ…

 

それをキャッチするのはいつもみーたんだ。

 

そのおかんのどうしようもない違和感をすかさずキャッチしたみーたんは

朝ぐずった。ひさびさにぐずった。

 

 

そこに朝の時間ギリギリが混ざり、ピリピリがピークすれすれを走ったその時

無理やり登校させようとくっそ重いみーたんのかばんとさらにくっそ重いみーたんを背負い背負い階段を降りようとしていたら

 

 

みーたんは渾身のぐずりで拒否したため階段から落ちそうになった。

 

そこでおかんはknockout。完全にサレンダー。

 

無我夢中でみーたんに怒りをぶちかました。

 

だっこしてたみーたんを階段にドサッとほおりなげ(そっちのが危ない)

「あーあーあーあっぶねえなーーーー!?!?!?!?
落ちるよーーーー危険やよーーーなにしてんのーーーーー
落ちたらケガするよーーーーーいたいいいたいよーーーーーー

 

みーたんの肩をわしづかみしてぶわっさぶわっさ揺さぶりながらすんごい剣幕だったはずでみーたんはぽろぽろ泣いていたし上二人はドン引きだったよね

その後なんとかこうにか子どもたちを送り出したけど。

 

もうこんなこと子育てならあるあるで、なんてことない日常の風景なんだろうなんだけど

前なら猛省自己嫌悪だったが今は違っていて。

 

これは完全にみーたん(こども)の無意識レベルでの解放案件でしかなく
私の無意識がみーたんにやらせたか、みーたんが生粋の癒し人の力をなんなく発揮する格好の機会になっているか…

 

はい、完全に前者ですね。

 

みーたんは見えない世界のいろいろを幅広く拾って癒しと浄化を担っているので

その一環だったんだよなあ…って思って

 

そう思えば思うほどやっぱり尊敬しかなくて感謝しかなくて涙しか出てこんわけです。

 

その尊い御仕事をそばで目の当たりにしているこの上ない幸せもんだよな。

 

 

ダウン症を持つ人々は魂の転生最終段階って聞いたことがあるんやが

愛だけを体現しに来た。

最後は愛に終わるんだな。愛に始まって愛に終わる。

 

 

みーたんはハイパー癒し人だと思うけど(たぶん範囲が広い)

 

親にとってこどもはもれなく全員が癒し人なんだよなと思う。

 

 

これはみーたんが生まれる前から、兄たちのときからずっとそう思っていた

夫なんか目じゃない、自分の親なんてもってのほか、

こどもにしか出せないものがいっぱいあるんだもんなーーーー

 

自分の場合は特に怒りだなって思う。

 

こんな感じたまま素直なままにストレートに感情を吐き出させてくれる

ってこんなありがたい存在おりまへん。かないまへん。有難すぎる。

 

ってなんか泣きながらこれ書いてるけど

怒りを出させてくれた時、めっっちゃありがとうってお礼を言うて(こころのなかで←本人に言うたれ)

そのあとちょっと泣いて(浄化)

でもそんなふうに甘えさせてもらってます。

 

 

大事なのはさ、その怒りがだれのものなのか?

たとえ
こどもがなんかやらかしたから怒った
風な出来事やったとしても

そのまえになんか兆候あったはずやし、そこはほんま区別と自覚はしとかないとあかんなって思ってる。

 

八つ当たりなのか、本当にその子を思って叱る なのかをちゃんと自覚しておくこと。

 

 

そんでこどもは愛が深いから八つ当たりやとしてもちゃんと受け止めてくれるから

 

そこに甘えてもいいし、やっちゃうのはおやも人間だからしょうがなさすぎるからいいねんけど

自覚だけはもっておきたい。

 


みーたんがぐずったあと、通学バスに乗るちょっと前

こちらをじーっと見つめて
こちらもじーっと見つめて

切なそうな顔でギューッとしてきてポンポンてしてきた

 

 

だから

こどもの愛におやが敵うわけあるかい。