こんにちは
このブログにお越しいただき
ありがとうございます
私の母は生前に自分に何かあった
時は、遺体安置からお墓まで面倒を
みてくれるサービスがあって早々に
登録していた
それは生前から聞かされていたが、
もっと未来のいつか、、、使うと思って
いたのに
そのサービスはとてもシンプル。
遺体を預かり、焼き場で焼いて、
骨壺に収め、契約しているお寺に安置。
永代供養
父はそのことは少し聞いていたらしいが、
父の両親の墓に父も母も入ると思って
いたのが、母は思った以上に自立心が
あって、自分なりに逝ってしまった
親戚も少ないし、もめることもほぼない。
こちらが寂しいくらいで、一周忌、三回忌
と父が自発的に私たちに声をかけてくれる。
それに比べ、今同居している義理の両親
はまた全然違う。
次男だった義父。長男にあたる叔父は
まだ元気だったりして、残された兄弟が
とても無念な様子。
あまり、仏様に手を合わせる人ではない
義父だったが、結局叔父や叔母の気持ちが
収まるように、古来ゆかりのしきたりを
Googleで調べつつ執り行う感じ
でも、やってみて思うのは、義父も義母も
兄弟が多く、普段私たちまで声がかかる
ことなく、兄弟会などはやっていた義両親。
だから、余計寂しい様子。
そういう時、喪主であるこちらが呼ばないと
兄弟でも来られない、というもどかしさが
あるようで、それをくみ取ってあげることが
法事という形になったんだなぁ、、、
そんな風に思うようになりました。
今回の法事も、いろいろあって、どうしても
親戚の考え方に引っ張られるので、
「ねばならない」
「失敗できない」
という全然ワクワクしない方向に向かって
しまって、自分でも混沌としてきた感じ
いけないいけない
一人でいる時間にはなるべく冥想したり、
気分転換をしたり
やっぱり「ワクワクすること」を考えて
いないと、元気が出ないし、体調を崩す
暑いから
気候の変動が大きいから
いろいろな環境の変化があるけれど、
一番は自分がそこに振り回されて、
見失ってしまうことで、体調を崩すことが
多いように思う
日々、色々な気づきがあって本当に感謝
色々な考え方を知ることができる環境にも
感謝すべきなのかもしれないですね