何も起こっていない
真我について語られた言葉も
共鳴も、もちろん合同共鳴も、
現象なんですよね。
だって、
どこまで何が起ころうと、愛が愛のままなんだもの。
愛の内容である現象は
結局、愛のまま。
共鳴での無限の深まりも、愛のまま深まり、結局愛のまま。
いつでもひとりある・・の ここ、「私がいる(I am)」は、「存在(Be)」の確かな感触。
この「存在」が、すべてがひとつである源・実体「在る」。
すると、人間という限定を超えているから、「ひとり」ではなく、ひとつですね(*^^*)
今度会った時、こんな会話を交わしたい。
「結局何にも起こっていませんね(愛が愛のままですね)」
存在の喜びを分かち合いたい。
もちろん、現象という愛のさえずりも、愛のままだから、食事や会話も楽しむけれど
愛が愛を食べ、愛が愛を話し、愛が愛を聴く・・
やっぱり何にも起きてない(笑)
お会いする前も お会いしている間も その後も 愛のまま 存在している。
もちろんここには
愛が愛を書き、愛が愛を読んでいる・・
何にも書かれておりません(笑)
存在が喜びですね
だからこそ、現象の形にとらわれず、現象のすべてに喜びがありますね。
今ここで、愛のままにて
★真我・空・愛の共鳴「ゼロ意識共鳴 お試し個人セッション」受付中
ランキングに参加しています。よろしければ、応援クリックをお願いします(^^)