1日の終わりに哲学で精神を深めるひと時。
令和哲学者Noh先生と5人の侍で開催している第841回令和哲学カフェ。
テーマ「精神とは」
人間の尊厳危機であるAI時代。
自分の考えで考えたい、核個人時代を生きる心の時代。
このままの人生で終わってしまう漠然とした不安を感じていたと述べる龍飛さん。令和哲学者のNoh先生と出会い、真実の答えと仲間との出会いにより、世界ワンワールドを目指し活動中。
月曜日:小林 隆人さん
火曜日:大場 龍夫さん
水曜日:池田 健吾さん
木曜日:一 龍飛さん
金曜日:長岡 美妃さん
昨日は木曜日担当の龍飛さんから、「陽明学」総集編のプレゼンテーションが行われました。
陽明学とは何か?陽明学と朱子学の違い
王陽明の生涯・日本伝来の背景
事上磨練とは?
陽明学と明治維新・まとめ
明治維新を起こした侍たちの精神、日本の文化、朝鮮・中国の儒教の立ち位置や日本への伝来、時代の状況、社会システム、文化、キリスト教との関係など壮大な内容でした。
幕末から明治にかけて活躍した志士たちの共通点は「陽明学」を学んでいたとのこと。
陽明学とは16世紀前半の中国で始まった、明の時代の王陽明(おうようめい)が始めた儒学。
知識を得ることを第一に考えた朱子学と違い、陽明学は、知識だけでなく実践する行動力も必要だと考えました。
儒学は2500年前葬礼や祭祀を司る民間宗教のようなものから孔子によって学問や思想のレベルにまで高めれた。
その教えて引き継ぎさらに発展させたのが、孔子の孫弟子のそのまた孫弟子にあたる孟子。
儒教の根本思想
「修己治人」(しゅうこ-ちじん)
「己を治め人を治む」
修養に励んで徳を高め、まずは自分という人間をつくり上げたうえで、世に出て、世の人につくり、世を治めていくこと。
漢の時代には国教に指定されますが、時代と共に形だけの物になっていき、仏教や道教、老荘思想などの影響力が高まり、儒教が衰退。そんな中、宋の時代に儒学の再編成が行われます。それをしたのが朱子だったため「朱子学」と呼ぶようになります。
後に国家の公認学問として「科挙官僚登用試験」に採用されたことから、広く学ばれるようになります。
居敬窮理(きょけいきゅうり)自分の外に正しいことがあるとして、徹底した観察や読書などによって完全知に到達するとした朱子学。
そこに対して異を唱えた王陽明。
自分の中の間違っていることを正していく「知行合一ちこうごういつ)」によって完全知に到達するとした陽明学。
王陽明父は官僚で秀才、本人もとても優秀でした。
体が弱く病弱だが、やるとなったら徹底的にやる気性の激しい性格。
官僚試験である朱子学に触れ、ずっと対象を観察し続けたら友達は3日で、王陽明は一週間で病気になり、次第に朱子学に疑問を持つようになります。
そこで任侠や騎射、文学や芸術に励む辞章、不老長寿を追求する神通力の世界である神仙、仏教など様々なことを追究。
少し遅れて官僚になります。
しかし、2年後に体調不良を理由にお休みにして、復帰します。
即位ばかりの皇帝を勝手に操り政治を動かしていた宦官、劉瑾に諌言をしたら、体罰を受け、辺地の竜場というところに左遷されてしまい、そこに行くまで命が危ない目に遭います。
竜場は人が住めるような場所でもなく、言葉も通じない厳しい環境の中で、瞑想をしていた時に、我が心こそ「理」であることに気づき「知行合一」を主張します。
劉瑾が失脚してから中央に復帰、その後順調に昇進し軍事責任も併任、伯爵の地位まで与えられます。
弟子に話した最後の言葉。
「この心光明なり。また復た何を言わんか」
(心は明るい光に溢れている、何を言い残すことがあろうか)
ちなみに陽明学は「心学」と呼ばれていたとのこと。
日本に陽明学を広げた中江 藤樹。
その意志は昌平黌の儒官(総長)佐藤 一斎に引き継がれ、そこから山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、若山勿堂、池田草庵、東沢瀉、吉村秋陽、安積艮斎、中村正直、林靏梁、大橋訥菴など幕末に活躍した志士たちがたくさん出ています。
「知行合一(ちこうごういつ)」
知とは行いの始めであり、行は知ることの完成。
知は循環する。
知が深まれば行いも尊くなる。
知と行は分けることができない。
言っていることと、やっていことが違うとうことがありますが、そもそもその発想自体が知と行が分かれているところから出発している。
朱子学を追究する中で「先知後行」(先人の知を知ってからでないと行いはできない)を実践する中で苦しくなり、疑問を持つようになったとのこと。
物事を二つに分けて考えることに問題がある。心と体、知と行などひとつである。
「致良知(ちりょうち)」
学習しなくても、もともと持っているものが良知。
知は心の本体、心はひとりでに知る能力を知っている。
私意の妨げに打ち勝つことで、良知に至れる。
良知は万物の精霊。完全無欠の状態だと表現。
「事上磨練(じじょうまれん)」
事上磨練とは、観念の中ではなく、実際の行動の中で知識を磨き、精神を練ること。
王陽明が生きていた時代の修行法は、中国における座って心身を鎮める瞑想法「静坐」が主流でした。
静坐のような静時の工夫だけでなく、動時の修養が併用される必要性を説きました。
ある役人が自分の仕事が忙しく、王陽明の教えを実践する暇がないと言いいました。
そこに対して、自分の仕事から離れた学びではなく、その中で学ぶことが大事で、逆にそこから離れた学びはあまり役に立たないと説きました。
箕子によって建国されたとされる箕子朝鮮(歴史学的には漢代(前206年-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の領域(漢四郡)に移住した漢人たちによって造作された神話・伝承であり、史実ではないとするのが一般的)
その時に朝鮮に儒教がもたらされます。
明が女真族の清に滅ぼされると、朝鮮の中で、我々こそ中華の流れを汲んでいるという小中華思想が盛んになります。
朝鮮や中国が朱子学を学ぶことが官僚になることと直結。
支配階級である王も支配に有益なため奨励していました。
対して日本は遣唐使によって仏教や律令、音楽学、歴史学、天文学と共に儒教が伝来しますが、当時財力のあった仏教に対して、財力のなかった儒教はそれほど浸透しませんでした。
その後、宋の禅僧によって儒教がもたらされ、禅僧による教養として伝達されます。
伝達する人が王なのか禅僧なのか。社会システムの中に浸透してるのか教養なのかで、大分違いますね。
日本はなぜ近代化ができたのでしょうか?
儒教には身分制や封建制的な要素があり過去志向が強いため、近代化を阻害する側面がありました。
日本は儒教の濃度がもっとも薄く、受け入れることができた。
日本の支配層は刀、力の象徴である武士だったため、現実的に危機に備えました。
清や朝鮮の支配層は筆、理論に象徴される、士大夫やソンビだったため議論をしようとしました。
まとめ。
朝鮮は、早い時期から儒教が入っている。
常に国を守らなければならないから明確さが重要。
論理を追求する文化。
日本は、儒教の伝来が遅いので固まっていない。
島国なので敵が少なく、柔軟性があり、感覚を追求文化。
新渡戸 稲造や高杉 晋作が陽明学とキリスト教との親和性を語っているのに驚きました。
朱子学は農業が中心、客観、自然の秩序に依存。宇宙自然の法則をマスターしたい。俗世を離れて、概念を通して理解を深める。
陽明学はビジネス、個人の主観、1人1人の決断。心をマスターしたい。日常生活の中で自分を超えていく。
陽明学を受け入れた日本の懐の大きさを感じました。
令和哲学では宇宙自然と心のマスターは別物ではない。
依存せず自ら存在しているものを「有」
依存して存在するものは、バブル、錯覚、泡沫「無」と規定。
脳機能(有)を心機能(無)を明確にに分離・分解・蒸留できるデジタル言語によって有(脳)と無(心)が不二であることが理解可能になりました。
それによって、勝算ビジョンと未来確信を持つとができ、認識疾患を治療し、集団のカルマエネルギーを超えて日韓兄弟国家をつくっていくことができる。
陽明学においては、救世主が登場しないとされていますが、キリスト教とイコールと言っているのかというテーマでのディスカッションが行われました。
出演者の方々のお話しを通して、神を心としてとらえ、心からの知行合一ができる存在を救世主と言えるのではないかと感じました。
とんでないテーマのディスカッションテーマにびっくりしました。
純度100%の心がコロナパンデミック以上に広がるには何が必要なのか。
今晩、Noh先生が語るとのことでした。
知行合一をしていこう。
今晩も楽しみです。
川名 哲人
Dignity2.0国際カンファレンスは、世界で初めて世界基軸教育を提唱し、2021年の大阪初開催以来、毎年国内外から4000名にのぼる企業・団体・個人が参加しています
今年も大いに盛り上がりました。来年は仙台で開催予定です。
2023年10月31日発売
Noh Jesu著「これからの生き方Best Being」
第12回 デジタル認識が世界を変える アモール・ファティ祭「運命を突破して生きる」
12月16日(土)20時~22時(毎週第三土曜日20時~22時)
7万年間隠されてきた「人類文明のアセンションの秘密」を明らかにする。尊厳ロマリアプロジェクトです。
全国で開催されています。