1日の終わりに哲学で運命愛を深めるひと時。
令和哲学者Noh先生とチームで開催している第729回令和哲学カフェ。
「韓関係のアモール・ファティ!〜 日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる 〜」
月曜日:長野 広樹さん
火曜日:黒田 麻衣子さん
水曜日:大川 真さん
木曜日:堀江 直樹さん
金曜日:長岡 美妃さん
1868年から30年単位で日韓の関係性を解釈。
1898年~1927年は、清国の従属国だった李氏朝鮮が、独立国のなります。そこから徐々に日本の保護下に入り、日本に統治されていく30年間。
その中で、昨日は黒田さんと竹谷さんからのプレゼンにより、日本の朝鮮統治時代について深めました。
1904年第一次日韓協約(日本人の外交顧問を置く)
1905年第二次日韓協約(朝鮮の外交権を日本に委譲)
第三次日韓協約(朝鮮の内政権を日本に委譲)
1909年6月伊藤 博文辞任
1910年7月第二次日露協約(満州の日本権益・韓国併合合意)
伊藤 博文は日韓併合に大反対でしたが、理解され難く致し方なくそうなっていきました。
日韓併合に関しては、朝鮮の中でも、賛否両論あったようです。
日本は教育、医療、インフラ整備などに取り組みました。
この頃の日本の様子は下記のような感じです。
1905年日露戦争後で国家予算を使い果たし、賠償金がもらえず戦後不況へ。
1912年明治天皇崩御により「大正」へ改元。
1914~1918年第一次世界大戦により「天の助け」と言われるほどの好景気に。
1918年本格的な政党内閣の樹立、藩閥政府から政党内閣へ、大正デモクラシー、民主主義や自由主義を求める運動が勃発。
朝鮮に対しては、莫大なお金を投入しています。
1907~1910年まで毎年、立替金・直接支援金合わせて2000万~3000万を調達。
日本政府は、毎年2000万円くらいの資金を日本から朝鮮に持ち出し。
併合後最初の10年は、朝鮮人の所得税は免除、朝鮮在住の日本人が重税を負担。
1910年明治天皇より、臨時恩資金3000万円が与えられている。
大韓帝国の借金累計2651万円が棒引きになった。
工業化の途についたばかりの当時の日本が、産業基盤がまったくない朝鮮を抱え込むことは日本の存亡にも関わる一大事でした。
これらの話を聞いて、日本は朝鮮の近代化に本気で取り組んでいたことを実感。
大日本帝国、朝鮮の中での日韓併合に賛成派・反対派、民衆、政治家などに分かれての寸劇がとても勉強になりました。
日韓併合反対派は、自分たちの内政と外交権を奪われ屈辱。自分たちが主導して近代化したい。。
日韓併合賛成派は、このままではロシアの植民地になる。これまでと同じように、近代化に失敗している清を宗主国としていては危険。日本の力を借りて近代化するのがいい。
日本からすれば、今の朝鮮に任せておけば、ロシアか清の属国になっていまう。成長するまで支援する必要がある。
それぞれの立場からの見解や意見を述べており、よく調べてかみ砕いているのが、すごいなと思いました。
国家の枠組みを超えるには、何が問題なのかを分かる事、自分は不可能性。その状態では人の話も聞くことができない。問題意識を共有すること、それができたらディスカッションが可能になり、ビジョンがみえてくる。
その時代のクローズ界から出て、無限大持続的にイノベーションを提供できるイメージを持つこと。それからそれをどうやって体系化していくのかという次元にいけるというNoh先生のお話がありました。
問題意識の共有の大切さを実感。
現実的なシステムや理想で1つになる前に、問題意識で1つになることで、共に変化していける道が開けるのだと感じました。
人類共通の問題を規定できている令和哲学の価値を実感。
問題意識を深めよう。
今晩も楽しみです。
川名 哲人