1日の終わりに哲学で運命愛を深めるひと時。
令和哲学者Noh先生とチームで開催している第725回令和哲学カフェ。
「韓関係のアモール・ファティ!〜 日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる 〜」
月曜日:長野 広樹さん
火曜日:黒田 麻衣子さん
水曜日:大川 真さん
木曜日:堀江 直樹さん
金曜日:長岡 美妃さん
1968年から30年単位で日韓の関係性を解釈。
昨日は1868年~1897年の中での甲申政変について深めました。
長野さんから全体像のお話しがあった後、チーム女の執念(笑)の本橋さんと善家さんからプレゼンがりました。
清は朝鮮を属国としていたい。
ロシアは不凍港が欲しい。
日本はロシアの南下と清に対して朝鮮を防波堤にしたい。
それぞれの思惑がうごめき、朝鮮に迫っていた当時。
日本だと室町から明治まで、約500年間の間朝鮮と統治していた李氏。
その衰退の大きな理由は、西洋の産業革命による文明に格差という外的なも。
王族の中での派閥争い、官僚である両班による無秩序化、私利私欲優先の支配構造という内的なものがありました。
1392年建国時は、明を宗主国としており、明より「権知朝鮮国事」に冊封されるのち「朝鮮国王」と封ぜられていました
。そして宗主国が清に変わります。
そんな李氏朝鮮は、開国派(朝鮮国王高宗の王妃閔妃)と保守派(高宗の実父、興宣大院君)に分かれて対立。
同時期、日本は大政奉還から明治維新に成功。
1875年8月、日本の軍艦雲揚は江華島水域に侵入して測量を強行したのに対して、朝鮮側が発砲した江華島事件が勃発。
朝鮮に対し治外法権と関税自主権の喪失という不平等条約を締結。(日朝修好条規)
それまで世界と限定的な国交しか持たなかった朝鮮が開国していく契機となりました。
日本と手を組んで近代化を進める閔妃から保守派の興宣大院君に政権が移り、再び閔妃に戻った壬午軍乱。
これによって、それまで独立を保ってい朝鮮王朝の内政・外交は清の傘下に置かれるような形になります。
親清派で近代化を進める閔妃に対し、日本と協力して独立した近代化を進めようとする金 玉均がクーデターを起こす甲申政変。
日本との親交が深かった金 玉均。
西郷従道、井上 馨、伊藤博文、福沢諭吉などと親交があったと言われています。
日本がイギリスになるのであれば、朝鮮はフランスにならなければならいと思っていたようです。
閔氏政権の保守的な旧勢力と背後の清によって、なかなか進まない改革。興宣大院君の拉致が内政干渉だという理由で、クーデターを起こします。
清がフランスと戦っている間に、清は大軍を向けられないだろうという目論み。日本を頼りにしていましたが、それほど援助が無かったこと。日本はクーデターをそれほど本気でやるとは思っていなかったようで、井上馨は2回目の資金援助をしませんでした。そして盟主とした高宗の優柔不断もありました。
清の大軍によって、3日で終わった金玉均政権。
清の軍隊は3,000人、日本は150人という兵力差でした。
クーデターに失敗した金玉均は、日本に亡命して、その10年後、閔妃の刺客に殺され、死体を切り刻まれるという一番重い殺され方をされます。
閔妃の政権に何度も返り咲く執念。
金玉均の近代化させたい執念。
自分から生まれた子供や成果物、考え、感情などにも執着が生まれやすいです。
執念、執着を理想的に活かすにはという、少し異色の?ディスカッションが楽しかったです。
私はゆとりと答えました。
自分の考えが絶対だとなると、それしか使えません。
考えの外に出ることでゆとりが生まれ、自分の執着を活用したい時に活用できると思いました。
さらに、執着するということは何か悔しい想いや無念などがあるとした時に、どんな問題意識を持っているのかが大切だと思いました。
Noh先生のお話しで、執念、執着イメージが大反転しました。
執念、執着をマイナス的なイメージが強いが、プラス的にとれば信念、理念ともとれる。
考えを一点集中させることは簡単ではないが、一点集中させることができれば、水が岩をも砕くように、ものすごい力がある。
そのためには正しい絶望からのアイデンティティの変化が必要。
それに成功した時に、体系化した考えを生産でき、活用できるようになる。
人類は今まで考えを効率的に活用する術を持っていなかった。それができる令和哲学の価値を感じました。
正しい絶望から体系化した考えを生産しよう。
今晩も楽しみです。
川名 哲人