1日の終わりに哲学で運命愛を深めるひと時。 

令和哲学者Noh先生と5人の侍で催している第717回令和哲学カフェ

 

「韓関係のアモール・ファティ!〜 日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる 〜」

 

 

月曜日:長野 広樹さん

火曜日:黒田 麻衣子さん

水曜日:大川 真さん

木曜日:堀江 直樹さん

金曜日:長岡 美妃さん

 

30年単位で日韓の関係性を解釈していきます。

昨日は大川さんから、1928年~1960年の全体像のお話しのあと、飯原さんとシェリーさんから1928年~1937年の朝鮮の近代化についてのお話しがありました。

 

 

 

朝鮮総督府は日本人だけではなく、朝鮮の人も一緒に働いていたようです。

 

初代総督府、寺内正毅は”併合のは物質的な福利の増進だけでなく、精神同一して家族のようになることだ”という言葉を残しています。

 

文化活動に重きをいていた時代、満州事変勃発から経済的自立時代、そして内鮮一体の具現化、皇国臣民化、創氏改名時代という教育の流れがありました。

近代的教育の拡充では、それまで皆無だった女性への教育も施し、格段に教育水準が上がったようです。

併合初期、日本で行われていた方法は直接は取られておりませんでした。1931年には制限選挙による地方議会が開設。朝鮮朝日のでは、当選議員の約80%が朝鮮人だったと言われています。

経済では農業用ダム建設、水路建設、植林などを手掛け、年間経済成長率4%でした。一方で過酷な労働環境でもあったようです。

 

街の様子を写真で見ても近代化した様子がよく分かりました。

 

欧米は自分の国のことや世界秩序をつくるのに忙しく、朝鮮独立に対してそれほど意識を裂けなかったようです。

 

1929年にカーネギー財団から朝鮮半島に派遣されたアメリカ人記者らは、「日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国との間に渡り橋を架けてやった。・・・また朝鮮人の苦しみもあるかも知れぬが、日本は莫大な利益をもたらしていることは明らかである」などと、「李氏朝鮮時代よりも日本統治によって朝鮮人民は救われている」との評価をしている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

 

ネットでは当時の日本の統治が朝鮮文化をかき消したという情報も多くあり、それがすべてだと思っていましたが、客観的に歴史をみることの大切さを感じました。

 

民族・国家を超える超国家アイデンティティとは?というディスカッションでは、観点の障壁を超えた無概念出発をする必要性を感じました。

 

生れた瞬間から、自分が日本人だとか思う人はいません。

国家とは自分がつくり出した概念であり、時代や状況によって変化するものです。まず絶対視をしないこと。

そして、概念をつくり出す無概念に到達することができた時に、国家を超えることができると思いました。

 

 

世界経済が壊れていく中で、日韓共同体国家で、内需の活性化させるには、物ではなく認識技術が必要。

 

反日嫌韓は、もっと仲良くするためにあったとなるだろうという、Noh先生の言葉に感動しました。

 

内需を活性化させる認識技術を活用しよう。

今晩も楽しみです。

 

川名 哲人