1日の終わりに哲学で運命愛を深めるひと時。 

令和哲学者Noh先生とチームで開催している第710回令和哲学カフェ

 

「韓関係のアモール・ファティ!〜 日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる 〜」7期開始。

 

デジタル認識による、教育ビジョン同盟プロジェクトが熱い。

集団武士道の男性性と女性性を経て、日韓関係へ。

 

 

月曜日:長野 広樹さん

火曜日:黒田 麻衣子さん

水曜日:大川 真さん

木曜日:堀江 直樹さん

金曜日:長岡 美妃さん

 

昨日は長野さんから、1868年~1897年の全体像のお話しがありました。

 

この年代は、朝鮮が近代化への道をあゆみはじめ、他の列強国からの影響も受けながらも、日本との関係が深まり、独立国となっていく転換期。

 

 

王の息子が4代続いて生まれず、直系ではない王族から王を輩出していました。

朝鮮では中国が認める王であれば、王ができましたが、そうでなければ、中国と戦うことになるので、王ができないという状況。

 

自分の王族も統制できなれば、国を統制することもできません。自分の国家を守ってもらうために、ますます外に助けを借りるようになっていきます。

 

清は朝鮮を属国としていたい。

ロシアは不凍港が欲しい。

日本はロシアの南下と清に対して朝鮮を防波堤にしたい。

それぞれの思惑がうごめき、朝鮮に迫っていました。

 

 

そんな李氏朝鮮が500年続いる時に、日本では明治維新によって近代化に成功。

朝鮮半島の中では開国派(朝鮮国王高宗の王妃閔妃)と保守派(高宗の実父、興宣大院君)に分かれて対立。

壬午軍乱(1882)興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現在のソウル)で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱を経て、天津条約(1885)を締結。

そして日清戦争(1894)の勝利によって、日本はアジアの代表に躍り出ます。

下関条約(1897)によって、当初の思惑通り、大韓帝国、独立(1897)と発展していきます。

 

 

清に依存して国を維持しようとした朝鮮。

今の日本はどうでしょうか?

 

日本は何かに依存するのはなく、独立していくのにはどうすればいいのかという、Noh先生の問題提起とお話しにより、依存をして存在することが、いかに不安定なのかを実感。

戦争不可能な人を育てることができる教育立国として、日本が独自の道を確立していくこと。

人間1人1人も何かに依存して、存在するのではなく、源泉動きそのものになることの必要性を心底感じました。

 

どんな問題意識を持って情報と出会うのか。

意義深い問題意識を持って、情報に出会っていこう。

 

今晩も楽しみです。

 

川名 哲人