私は何かに熱中する理由が、みんなやっていた楽しそうだからとか、乗り遅れるとかっこ悪いから、認められそうからなどでした。

 

このように何かに熱中する理由が、周りの雰囲気だけだと、ノリではいいかもしれませんが、けつまずいた時に打撃が大きく、大きな虚無感が残りました。

 

意思決定を環境に委ねており、自分で考えて取り組んでいるのではないので、内面の蓄積が置きにくく、失敗した時に「あいつに誘われたから」とか、環境のせいばかりにしていました。

 

そうなると、それほど深い反省もしないので、同じ過ちを繰り返すことになります。

1人では何も始めることができない、待ち人間になっていました。

 

逆に周りの人すべて反対されたとしても、自分一人でもやるくらいの理由と決意がある場合は、自分の意志決定に自分が責任を負っているので、主体的、能動的な楽しさになるのを感じます。

 

 

自分が何かに熱中している理由の源泉を探ってみると、新しい選択がみえてくるのかもしれません。

 

主体的なわくわくを創造していこう。

 

川名 哲人