久しぶりに
アウトプットしたくなったので
 
 
久々の投稿です☺️
 
 
 
 
 
今朝
 
 
 
【信じてるものを見る】
 
というタイトルの
津留晃一さん(故人)
お話が書かれた記事を
偶然目にしました
 
(15年前に津留晃一さんの本に出会い
かなり世界への見え方が変わりました)
 
 
最近すごく感じてたこと
でもあり、
 
共感。。。
 
 
 
 
 
いかに
記憶というものが
曖昧で不確かなものなの

であるのか

 

ということ
 
 
 
記憶は
事実ではなく
つくられたもので
 
そう記憶している人にとっては
実際に
「そう感じた」し
「そう見えた」もの
(だから本人にとってはリアル)
 
 
 
兄弟と話していたら
 
「父」や「母」や「他の兄弟」
 
に対するイメージ
や思い出が
 
全然違っていて
おどろいた事があります
 
 
 
何十年もたって
大人になってから
 
ひょんな話から
そうなったのだけど
 
 
 
たまたま話さなかったら
兄弟が
そんな風に
見てたんだ
 
ってことを知ることもなく
 
 
 
同じ記憶をもってる
 
に違いないと
死ぬまでずっと
思い込んでただろう
 
 
 
家族といえど
見てる世界
(=住んでいる世界)
は違う
 
同じ地球に住んでいると
思っているけど
 
かけているメガネが違うってことは
みんな違う地球に住んでいるってこと
 
 
 
家族って
まるで
 
同じ家で
異なる文化をもつ
他の国に住むが
シェアハウスみたいに
暮らしていた
仲間みたい
 
これって
 
家族だけではなくて
他の人達との関係にも
言えることで
 
 
初めから
外国(もしくは異国)から来た人だ
(たとえです)
と思っていたら
 
 
自分と違っていることしてても
否定ではなくて
違いを楽しめる のに
 
同じ人種だと思っているから
家族だと思っているから
 
 
自分と同じだ
と思っているから
 
 
なんで?
なんで??
なんで???
 
と答えの出ない
苦しみが生まれる
 
・・・のかな
 
 
どっちも悪くない
 
違う国からきた異国人
(異国人=見えている世界が違うという意味で
文化が違うので常識も違う?)
 
 
ネットでよく
いろんな人が
たたかれていたりするけど
同じ国の人だと思っていると
その国の常識に外れると
「非国民」みたいに
たたかれちゃったりする
 
同じ日本人ではあるけど
脳内では
見えている日本も
それぞれまったく違うので
違う日本に住んでいるのかもしれない
 
🌺異文化交流🌺
 
だと思うと
少し心に余裕ができる
のかもしれない