目に見えないけど
 
 
 
何となく合う
何となく合わない
 
 
 
 
一人ひとりに備わった
感覚センサー
 
 
 
 
一般的な
いい人だから
よいものだから
とか
 
全然関係ない
 
 
 
 
の自分」
 
エネルギー(波長、波動、周波数!?)
が合うか合わないか
 
 
 
こないだまでめちゃ合ってたものが
いきなり合わなくなるときがある
 
 
 
その分野においては
エネルギー補給が完了
 
して
 
 
転換期だったり
バランス調整だったり
 
 
 
合わないな
と思ったら
一時的に離れていい
 
 
 
なんとなくの感覚は
エネルギーの
バランス調整
 
 
 
 
いい人だけど
なんとなく違和感感じる人は
 
 
 
目に見えない心の中で
こちらをジャッジしていてたり
あちらから
なんらかの目に見えないけれど
逆にこちらをジャッジしている
波動が飛んできてる
 
ときもある
 
 
 
直感的に感じて気づくと
なんとなくの違和感が
教えてくれたりする
 
 
 
違和感を感じる
合わない対象が
 
=良くない、悪い
 
 
 
 
ではなくて
 
 
 
 
否定するわけでも
それが悪いわけでもない
そのままで完璧
 
なのだ
 
 
 
 
わがままかな、どう思われるかな
と思わずに
自分の違和感に罪悪感なく従って
離れることで
 
 
実は相手にも
無意識にエネルギー出させなくていいメリット
があったり
 
 
 
お互いに本当は
一番よい
 
 
 
人のこと気にして
自分が誰かにさしそう(エネルギーコード)に
なったときもそう
 
 
 
離れることでエネルギーの矛先をかえる
 
 
 
最近いろんなことから
自分の心の中から
よく浮かぶのが
 
 
 
離れる
手放す
という愛もある
 
 
 
 
手放さないのも愛だけど
手放すのも愛だよね
 
どちらかが愛で
どちらかが愛でない
 
なんてことなくて
 
どっちも
どっちにも
「愛」はあるんじゃないかな
 
ということ
 
 
お互いに
ありのままでいることを尊重
 
 
 
ステーキ食べるのにスプーンがおいてあって
違和感感じてナイフとフォークを求める
 
スプーンはスープを飲むときには最高だし
大切で素晴らしいもの
 
でも、
「今」はナイフとフォークを欲してる
 
 
 
 
違和感があるおかげで、
スプーンを手放し
ナイフとフォークを選べる
 
 
 
 
スプーンは
なんで自分を選んでくれないんだー!
とか、自分なんて、、、
と思う必要も全くなし(笑)
 
 
 
スプーンが嫌いなわけでも
認めてないわけでもない
 
 
 
 
「今」は違うってだけ
 
 
 
そして必要なとき求められるときはくるし
価値はかわらない
 
 
 
離れる側にも
離れられる側も
 
この感覚があると
よりお互いに
自由で楽しくなるね
 
 
 
こどもたちは大人以上に
違和感の感覚に敏感で
自由
 
 
 
猫なで声で何かいっても
こっちにコントロールしたい意図があると
簡単に見破る
 
 
 
「わがまま」に見える子が
ちゃんとナイフとフォークに導いてくれて
バランス調整してくれる
救世主かも