豆腐にお砂糖かけてもあんまり美味しくないよね
 
 
先日、娘との会話で思わず
口からでた言葉
 
なんで豆腐と砂糖なのかは
自分でもわからないけど
自分でも言いながら、
 
「ほんとそうよね」
 
と思いました(笑)
 
 
娘は誰とでも仲良くなりたいタイプ
 
 
でもその分誰かに
つれない態度をとられると
悲しくなってしまうそうで
(私もそうだったのでわかります)
 
 
仲良くなりたいのは素晴らしいし
長所なんだけど、
 
 
そこにこだわると
 
こっちは好きでも
相手はそうでもなかったときは
どうしようもないし
 
そのたびに落ち込まないと
いけなくなっちゃう
 
 
 
豆腐にお醤油は合う
 
ピリッとラー油みたいな
昔の人は思いつかなかったような調味料も
やってみたら合うこともある
(豆腐に砂糖もスイーツにしたら
美味しいのかもしれないんだけど
あくまでたとえ話で(笑))
 
 
豆腐は豆腐の生かされる組み合わせ
砂糖は砂糖の生かされる組み合わせ
「場」や「人」「もの」があるよね。
 
そう思って思わず口から出たのが
上の
「豆腐にお砂糖をかけてもあんまりおいしくないよね」
の言葉(笑)
 
相手は「しょうゆ」を求めていたけど
娘は「さとう」だったのかもよ
 
それは好みの問題であって
「さとう」の○○ちゃんが悪いわけじゃないよ
 
 
 
 
最近縁あって
おもしろい統計学を
学んだのですが
 
それを学びながらも
同じように感じました
 
 
人としての良し悪しじゃなくて
仲良くするなというのでもなくて
 
持ってうまれた素材やかたち、
生産地というものがあって
合う合わないってのはどうしてもある
 
 
 
どっちも悪くないしそのままでいい
 
 
 
一流シェフの手にかかると
意外な組み合わせが味わったことのない
すばらしい味わいになることもあるけど
 
 
そこにはチャレンジや時間や
努力が必要になってくるよね
 
 
だから最終的には
合わせるかもしれないんだけど
 
 
簡単で、しかも間違いなく
ストレスなくおいしい組み合わせ
ってのもあるわけで(笑)
 
この場合、
自分のことを好きだと言ってくれる人
同じような考え、物事の見方やとらえ方をしてくれる人
今自分が置かれている立場が同じような人
 
 
豆腐&砂糖で食べてみて
おぇっ!ってなったときに
おっとっと、あなたはお豆腐だったんですね
 
と、
豆腐だったんだ!
 
 
ってただそれをそのまま認めて
 
できるなら相手にも
私は砂糖なんだ
ということを
ありのまま伝えて
わかってもらえたらなおいいね
 
 
そしたらお互いに
素材としては
組み合わせが悪くても
 
出会ったら、
 
 
「あら豆腐ちゃん」
「やぁ砂糖ちゃん」
「砂糖ちゃんって甘くて食べると元気がでるよね。すてきだね」
 
 
みたいに平和につながって
親切にしたり、協力したり
認めてほめることはできるね^^
 
 
組み合わせとして合わなくたって、
豆腐ちゃんの
存在を認めて
ほめることはできる。
 
 
 
なんなら、合う人を紹介もできる
「お友達のしょうゆちゃんだよ^^あなたに合うんじゃないかな」って
 
 
 
もし自分は砂糖だと伝えれなかったり、
伝えても
「砂糖苦手~><」
って一方的にいわれたら
 
そっと距離をあけて
自分という素材の味が生かせて
さらに美味しくなれる
小麦粉探したらいい
 
小麦粉さんだって
自分が相手を美味しくできて、
喜んでもらったら同じようにうれしいしね。
 
 
結局まったく同じことを話してるんだけども
(今気づいた(笑))
娘と話しながら、
 
自分自身が
そうそう!そうよね~と
再度確認することができたのでした。
 
 
 
実際に娘と話したのは
お風呂に入りながら
 
「豆腐にお砂糖はあわんじゃ~。
豆腐にお砂糖をかけてもあんまりおいしくないよね。
あんな感じで相性ってあるからね~。」
 
くらいの会話だったので、
 
 
 
後半の文は、その後に
私の心の中で広がった
自分への気づきを書いてます(笑)
 
 
いつも子供自身に起こった出来事に見せて
結局わたしへの
メッセージをくれる子供たちに感謝✨✨✨
 
 
 
最近よく感じること^^
 
 
 
それぞれが楽しく自分らしく
ありのままである世界
 
 
 
それってみんなとずっと一緒にいて
どの人とも合ったり、
合わせたりという世界とは
ちょっと違う気がする
 
 
 
言語化があまり得意じゃないから
このへんのとこも
うまくまとめたいんだけど
今はまとまらず、、、
 
 
またもし思いついたらアウトプットしよう