先日
 
講座で聞いてて
なるほどなー
と思った話し
 
 
何事も良いことだと思いすぎる
ことがジャッジになりうる
 
ということ
 
 
 
私は人と「本音」で話すのが好き
 
 
だから
「本音」で話せるって素晴らしい
 
し、人とは本音でつきあいたいと
思っている
 
 
 
 
だけど、
それを良いことだと思いすぎると
 
 
「本音」で話せない人への
ジャッジとなる時がある
んだなと言うこと😅
 
 
 
「本音」で話せる
「本音」で話せない
両方をオッケーとした上で
 
 
私は「本音」で話すのが好き
自分の人生は、できうるなら
「本音」を話せる人と
「本音」を話してくれる人と
楽しくつきあっていきたい
 
以上。
 
 
みたいな、軽やかさ✨✨
 
 
 
確かにこんな軽やかさを持ってる人と話すと
ほぐれるし、なれたら素敵だろうなぁと思う
 
 
私が話したいのは
本音でぶつかるのは
つながりたいし
もっと理解したいし
愛したいから
その人をあきらめたくないから
でもあるので😅
 
 
だから
そこの奥にある気持ちを
感じてうけとってくれる人に出会えると
涙がでるくらい嬉しかったりする
 
 
 
それもエゴたよなぁとも思う
 
 
 
そしてそんなエゴのある私を
かわいいなぁとも思うので
自己否定はしたくないのですが☺️
 
 
 
この辺の気持ちをひもとくと
 
やっぱり
 
人とつながりたい
自分も出てくる
(でも基本一人も大好き)
 
 
 
離れているからといって
愛はなくなるものではない
 
私の場合、
これを感じ
気づく出来事が
よくありました
 
 
 
「おこらない」のがいい
「人の話をきく」のがいい
 
 
とか、一見よさそうなことも
 
それがいい!という
価値観を握りしめた
スタンスから、
 
その人が「いい!」と思っていることを
ゴールにして話されたときに
感じる違和感を
前々からずっと持ってて
そこのあたりを
うまく説明ができていなかったのですが
 
 
それは
 
何かを素晴らしいと

いいすぎるとき

 
必ず同時に
反対側はよくないと無意識に否定しているという
ジャッジの感情を無意識に感じるから
 
ということがわかって
言語化されて
すっきりしました
 
 
私自身の体験でいうと
ポジティブなメッセージをもらってるのに
否定されてるように感じることありました
 
たぶん言っている内容ではなくて
内面にひそんでいるジャッジを
感じていたんだと思います
 
 
 
私はいいものに出会うと
「これはいい~!」とテンション高めに
宣伝するタイプなので
 
いいと思うものを「これいいよ!」と
宣伝すること自体には
問題がないと思いますし
そこがいいときもありますが
 
心の中で
「それよくないよ。。」←こっちが大きい場合
「こっちのほうがいいよ」
 
 
だと
「よくないよ」のジャッジの波動のほうが伝わってしまう
 
 
否定せずに、いいものはいいと
堂々とほめたらいいのですよね。
 
いいもの←こっちのみにフォーカス
 
私も今まで人に無意識でやってきた経験があるから
そう感じるし見せられるのだという。
結局は人に感じさせてる「自分」
を見せられてるだけパターンでもあると思います
 
 
 
表にでてるものじゃなくて
どんな気持ちで言ってるか
 
ニュートラルな気持ちで
自分の好みや価値観を話してるのか
 
ジャッジで
主張してるのか
(内面に怒りを持ってる)
 
表向きは同じでも
現実化されるのは
 
この、ほんと目に見えない繊細な世界
のほう。波動、波長
自分の在り方
 
 
 
大抵、後者で言ったときは
何かしら現実ですぐ答えあわせ
私も別の誰かにジャッジされることがおきるー😅
 
 
 
もうわかりやすく
しかもすぐ現実化するから
 
 
自分が今まで出してきてたり
今出してるものを
確認しやすくてありがたい
(痛いときもあるけど)
 
 
 
 
ありがたいアドバイスも
素晴らしい話だと聞かされても
 
アドバイスや内容じゃなくて、
話してる人から発せられる何かを感じたり
違和感感じたら、
 
その
自分自身の反応を見てブロックや
自分自身を確認
させられる
(そしてその時その人のおかげで自分の反応を見れるのだから、
本当のところその人が悪いわけでも
その人が変わらなきゃいけないわけでもない
↑私の中の反応を気づかせるためにいてくれる!?)
 
その人←特定の人でもないし、今だれかいるわけではないです
今までの出来事で日々変わります
 

時には痛いと感じることもありますが

たいていその後当分時間がたって

「あー、そのおかげだなぁ」

と感じることも多いです。

 

ありがとうございます。