『人に嫌われる自分をゆるす』
このことが
最近頭によく浮かぶので
ブログに書きます
人に嫌われることが
好きな人いないんじゃないかな。
人とあたたかいエネルギーを交換出来たら
ホッとするし、
誤解されたり、
嫌われたり、
無視されたり、
そんな冷たいエネルギーを向けられたら、
いや〜な気持ちしますよね^^;
だから人って、
意識的にも
無意識的にも、
イヤなエネルギーから逃げて
あたたかいエネルギーほしくて
「人に嫌われないように行動」
しちゃったり
「人に嫌な思いさせないように行動」
しちゃったり
そうしちゃうのも
ごくごく当たり前の話かなー
と思います
①『嫌われないようにする』
という考えは
バッチリ
「相手」のこと
意識しちゃってるので
相手とつながって
握手してるような状態
逃げたい逃げたいといいながら
自ら相手の手を離してない
こんな状態
じゃあ、
②相手のこと気にしないように
考えないようにしよう
これも、
「気にしないようにしよう」
と思うそれ自体が
「気にしてる」から
「気にしないようにしよう」
と努力してるから
「気にしてる」ベース(笑)
ふとしたときに思い出したりするから
「考えない考えない」って
切り替えるとか
(これも体験談です(^^))
これもやっぱり
「相手」を意識してるし
エネルギーつながって引き合ってる
もしも
自分を嫌ったり
嫌な気持ちにさせられた相手を
忘れられないなら
出来事に変化を起こすのに
相手が必要な方法ではなく
自分だけで変えられる方法
それはもう
『人に嫌われる自分をゆるす』
しかないな😅
と思います。
つまり、
人に手をつかまれたり
ひっぱられてる(例えです)
そんな自分を
あー、手をつかまれてるなー
ひっぱられてるなー
離して
離して
と
自ら相手の手を握り返しながら
言うんじゃなく
つかまれ、ひっぱられてる自分を
認知し、
それでいいよー
と力を抜くと
相手は、
突然しりもちついて
手がぱっと離れたり
自分も
エネルギーを無駄に消費したりして
疲れず、
また、
相手がもし離してくれなくても
握られている自分でOKだと
自分は自分に許してるので
握られていてもなんの問題はないので
(自分は手をはなしてる)
「離して!」
と
相手をめっちゃ意識しながら
思ってるときの
緊張感やおそれ、イラ立ちからも
解き放たれます
(心が自由に)
そう考えると
自分を許す
って
深いなって思う
何か悪いことしちゃった自分を許す
ってのは、
意外に想像しやすいし
簡単かもしれないけど
何か自分にとって
不都合な体験
や
シチュエーション
立場など
に置かれたとき
自分にとってうれしくない
その状況に陥ってる自分を
自分がゆるしてあげる
ってこと
人に怒りをぶつけられた自分
不当なあつかいを受けた自分
やつあたりされた自分
一位じゃなくて三位になった自分
選ばれなかった自分
特別扱いされなかった自分
人から誤解された(されてた)自分
嫌なことされた人を忘れられない自分
なりたくもない病気になった自分
不摂生をしたせいで太った自分
友達が少ない自分
容姿端麗じゃない自分
高学歴じゃない自分
劣等感がある自分
ヒステリーな自分
願いが叶わない自分
自由がない自分
散々話を聞いたあげく
逆襲にあいダメージうけた自分(笑)
、、、
(実体験を基に体験したことある自分を回想中😁まだまだ出そうだけど🤣)
自分をゆるしたとき
引き合ってた力がゆるんだとき
現実も
ゆるむとき♥
状況を変えようとして努力をやめた瞬間
状況が変化したりするというパラドクス
なんかアマノジャクな人みたい(笑)
これも
人間関係のからくりの1つですね😁
ブログに書いているのは、私というフィルターをとおした「気づき」です。自分自身向けてのメッセージでもあります。出てきた気づきは紛れもなく私個人の中から出てきた私のものですが、「気づき」に至れたのは紛れもなく、たくさんのリーダー、メンター、今までに読んだ本、参加したセミナー、まわりの環境、人、体験、たくさんの方や自分が出会ってきたすべてのおかげです。そして、すべてを自分の中にとりこみ、咀嚼し、熟成させ、熟成期間を経て、私の中からインスピレーションとして取り出されたもので、私が個人で気づいたと思ったことすら、すでに気づいている人や誰かが言ってることかも知れないし、おそらく「私のものは一つもありません」。私はもともとみんな一つであるという考えを信じているので、魂の成長のために他があり、お互いがお互いに情報や気づきを相互に与え合う関係であるのだと思います。そして潜在意識はつながっているので、私の気づきは誰かの気づきであり、遠く離れた誰かと同時に気づいていて、誰かが気づいてくれたから、私が気づけたのかもしれません。私が言うことが100%正しいわけではなく、信じる必要もありません!が、私が、誰かの気づきに気づきをもらったように、私の気づきが、誰かの何かのきっかけとなったり、必要な情報であるなと思われた方に伝わったらうれしいです。