「うらやましい」

 

という感情を

じっくり観察してみると

 

 

 

 

「うらやましい」と言ってるけど
 

本当はその人と同じ体験を

全然やりたいと思ってなかったりする

 

 

 

 

隣の芝は青く見える

 

 

 

なのかも

 

 

 


同じ体験をするって

 

その人が体験した大変なことも

全部やるということ

 

 

人がキラキラしているように見えるとき

自分が観たい世界の中で

勝手な虚像をつくってる

 

 

その人の、

そこに至るまでの陰の努力や苦労、

さまざまな経験、

そして本当の現状を知っているわけじゃない

 

 

 

切り取られた一面をみて
自分の内面を投影させてみている

 

 

「本当の相手」「ありのままの相手」

を見ているわけでなく

 


それを

見たいように見ているのは「自分」

 

 

 

 

 

 

相手を使って
自分に対して

「今のままじゃだめだよ」

と責める材料にして

 

 

 

自分が出来ていないことの証拠集めをして
「証明」したいし、確認したかったり

 する場合もあるかもしれないし

 

 

 

 

うらやましいと思った相手

のように

本当になりたかったわけじゃなくて

 

 

うらやましいと思った相手

しあわせそうにみえた相手

 

が感じているであろう感情

 

 

を自分も感じたいのかもしれない

 

 

 

 

ただ「笑顔」になりたかっただけだったり

友達と深くつながりたかっただけだったり

安心したかっただけだったり

 

 

するかもしれない

 

うらやましいという感情から

 

叶えてない

本当の願いが見つかることもある

 

 

 

 


本当は動きたくなんかないことも

 

 

 

本当はゆっくりしたいって思ってるのに

 

「このままじゃいけない」

という罪悪感から

 

 

活動的な人をみて
「うらやましい」って思ってたり

 

 

そんなときに

 

 

 

「ゆっくりしたかったんだ」
 

って本当の気持ちに気づいたら

 

頭とこころが一致して
こころからほっとする

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当は自分はどうしたい?」
「どんな感情がほしい?」

 

 

自分のこころのほうへ寄り添おう
自分に軸をもどそう