ローマ暦では1年が355日しかないのですから、どんどんとずれて行ってしまいます。
それを見かねたユリウス・カエサル(英名:ジュリアス・シーザー)がユリウス暦を制定します。
紀元前45年のことでした。

このユリウス暦は1年を365日としました。そして4年に1回閏年を設けて、366日としたのです。
1年にすると365.25日と平均太陽年にかなり近くなります。
紀元前45年にこれだけの精度を出せたのですから、たいしたものです。

そしてここで西暦が登場してくるのですが、西暦の前にひとつ疑問が湧いたのです。
後述しますが、西暦自体は6世紀になって作られたものです。
それでは、それよりも以前はどんな紀年法だったのか気になったのです。
それでローマ暦を調べたわけです。

そうして分かったのが、ローマ暦は最初のうちは元号みたいに有期限のものでした。
といってもその期限が1年です∑(゚Д゚)
毎年年初に就任する2名の執政官の名前を並べて呼んだのです。
「山田さんと佐藤さんの年」みたいな感じに( ̄Д ̄;;

途中からローマ建国紀元が使われるようになりました。
これは西暦換算で紀元前753年を元年とする紀年法です。
AUCまたはAVCという年号をつけてあわらしました。

そしてユリウス暦に暦法が変わってからディオクレティアヌス紀元が使われるようになりました。
といってもこれは284年からのことです。
それまではローマ建国紀元を使っていたのではないかと考えられます。
年号はA.D.です。西暦と同じですが、意味は違うようです、、、。
紛らわしい^^;


ディオクレディアヌス紀元は525年まで使われていたのですが、どうもこのディオクレティアヌスという皇帝はキリスト教を迫害していたようで、後のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが、そんな名前の紀元は使えん!
ということでイエス・キリストの誕生したと思われる年を元年として西暦を作ったのでした。
(何年もあとになって実は違っていたということが分かっちゃう訳なんですけどねヽ(;´Д`)ノ)
それも西暦元年はディオクレティアヌス紀元よりも前なので、全く塗り替えてしまったということにしてしまったのです。

そして実際に西暦が使われるようになったのはもっともっとずっとあとのことなんですけどね。

これでだいぶ歴史の中での暦がつながってきましたヾ(@°▽°@)ノ



[参考サイト]

Wikipedia:ユリウス暦
Wikipedia:末期のローマ暦
Wikipedia:ディオクレティアヌス紀元
Wikipedia:西暦