何ヶ月ぶりかわからいぐらい時間は経っていますが、まだ見ていてくれている方の為に久しぶりにブログを書きたいと思いました。

 

私の中では最近、もの凄い速さで色々な「気づき」が起きています。

 

誰かの本の中でよく目にする言葉なんですが「常識を疑え」という言葉があります。

 

本当に私たちの知っている常識なんて、いい加減なものです。

 

「当たり前過ぎてみえない」気づきが深まってくるとだんだん当たり前の思考と向き合うようになります。

 

この当たり前すぎる思考がやっかいなんです。

 

私は以前まで、気づきをしている視点で「全部OK」となんだと気づき、それを実践してきました。

 

でも、そこに完全な大きな落とし穴があったんです。

 

しかし、気づきが深まり最近、大きな気づきが起きて、それが間違っていたということに気づいたんです。

 

間違いという言葉もそうです。間違っていると言うと、気づきをしている人は「この世の中は全部完璧なのに何が間違いなんてあるものか!」と声を大にして言われると思います。

 

そう、実際に間違いではなく、間違っていると認識し思っている自分がいるだけです。

 

間違っていると思っている、しかし間違いなんて存在しない?←まさにはてなマークでした。

 

よく自分の感情や思考を見てください。

 

間違っていると思った時→世界は完璧だ!なので、間違いを受け入れなければ→じゃ、間違えでないことにしよう

 

とこういう図式が生まれます。

 

問題はこの後なんです。

 

間違えていると自分は思った、または感じたことが本当は何にも変えれない真実なんですが、世界は完璧と言う思考を持っているので、間違えをなんとかする方法を取ろうとするのです。

 

普通ではここに気づきません。

 

世界は完璧。

 

自分が間違えと思った事も完璧。

 

じゃどうしてその感じたとこ、思考をそのまま受け取らないんでしょうか?

 

私の中にあったのは「真実はいつも1つ!!」と言う思考でした。

 

全部完全で完璧な世界。

 

『真実はいつも1つ!!』この大きな基準となつ思考に何十年も振り回されてきたんです。

 

この真実なるものが、どこまであいまいなものか、気づきをしているみなさんなら、もう、お気づきだと思います。

 

全部完全で完璧な世界だからこそ、生きている人間あるいは生物の数まで真実はあり、何億個あっても完璧な世界であるのではないのでしょうか?

 

私たちは名探偵ではなく、迷探偵として存在しているのです(笑)

 

それすらが、完璧で完全なんです。

 

 

 

 

お久しぶりです。
昨年は色々と気づきの年となりましたが、2016年も変わらず素晴らしい年であると思います(笑)

ブログでも書いていたように、昨年母が亡くなり、本当に色々なことが起こりました。

亡くなって日が経つにつれ『あたりまえ』ってなんてないってことなんて本当にないんだと実感します。

当たり前に過ごしてきて、初めて母親がいなかった誕生日・お正月。

その存在こそが『ギフト』だったと言うことが。

元気な体に、子供たちの寝顔。

日常あたりまえ過ぎて見過ごしがちになっていますが、本当にどれだけのギフトの中で、私たちは暮らしているのでしょうか?

母と過ごした時間、そして話した内容。

母亡くなってからの方が、よく思い出すんです。それも鮮明に。

色んな会話を思い出し、その中の会話の中でどれほど私たち姉妹を愛してくれていたのか。

『あたりまえ』のように過ごしている時間も、ちょっと見方を変えるだけで、その時間は一生に一回だけの素敵な時間になるのです。

いつも、ひねると出てくる水。

雨風をしのいでくれている家。

思った通りに動いてくれるからだ。

あたりまえのことなんですが、このあたりまえが全て私たちへ宇宙からのギフトなんです。

通常持っていてあたりまえのものが、あたりまえではなく、でもあたりまえの世界に存在しているのです。

いつもと同じあたりまえの時間も、たまに見方を変えてみると、色々なものから愛情を感じると思います。

そう、毎日がギフトなんです。

今日は9月24日に亡くなった母に対しての個人的な手紙を書いてみました。



母へ


あたしはあなたから産まれたこと、この世の中に産み出された本当に感謝しています。


そして、この上ない愛情を注いでもらったとこ、感謝してもしきれません。


あなたが、癌と分かった時、あたしは絶望しました。


こんな絶望的な気持ちになったのは、産まれて初めてかも知れません。


最初は現実が受け入れることが出来ず毎日悲しくて仕方ありませんでした。


入院をして死ぬまでかなりの時間をもらい、その長いような短い時間、色々なことと向き合いました。


その時間があったからこそ、あなたの死を自然の流れと受け入れることが出来たと思います。


あなたはあたしにとっては、最高の母親でした。


決して世間で言う理想の母親とはかけ離れたタイプでしたが、あたしにとっては最高の母です。


8月の終わりからは動くこともままならなくなり、あたしは早く楽になってと何度も思いました。


あなたの闘病生活の姿、本当に辛かったです。


あたしは臆病だからあなたの介護もできませんでした。


しかし、悔いは全くないです。


あたしが、毎日普通の生活をする。


それが、あなたがあたしに望んでいたことだと知っていました。


色々もっと話したいこともありましたが、今は全部わかってくれてると思いますし、あなたが癌だとわかってからの時間、とてもいい時間だったように思います。


今までありがとうございました。


あなたにもらった愛情は、これからもあたしたち姉妹が受け継ぎ、そして子供たちに与えていきます。


いっぱい愛してくれてありがとう。


そして、あたしも愛していました。