先日投稿した

祈りのパワーという記事に続き、

今日は、

どうして、祈りのパワーのすごさを感じるようになったか

その理由について、

書きたいと思います。

(写真はイメージです



人間やってれば、何もない人なんていません。

人それぞれ色々あります。

ですので、

ご興味ない方は、遠慮なく途中からでもスルーして下さいね。





私は、

20代の時に、頭がおかしくなりそうな程、あることで思い詰めて、

一日だけ修道院に宿泊させて頂いたことがあります。

今思うと、チャンチャラ可笑しいと思えますが、

「俗世間と距離をとり、
生きながら死んだように生きれないか」と、

ない頭で考えた結果、

修道女になる

と思い詰めました。

髪を剃る覚悟がなかったので、尼寺でなく、修道院…

なんとも身勝手なお話です。



ある教会に飛び込んで、

クリスチャンでもないのに、思いの丈を受け止めてくれた牧師さんに出会いました。

ただただ全肯定で受け止めて下さいましたが、

私にとって、耳が痛いことも言って下さって、目が覚めた思いでした。

あの時は、私の2回目の誕生日だと今も思っています。

後から調べたところによると、

牧会カウンセリング

という、プロテスタント系の聖職者の方による全人的なカウンセリングの手法があるそうです。

彼女もそれを学ばれているはずなので、そのような対人支援のスキルだったのだと思うのですが、
生半可な気持ちで、小手先のテクニックで、できるものではありません。

なんせ時間や回数は無制限で、お金も取らないのですから。

時間、回数も無制限で、お金も取らないとなると、

依存を生じさせる

とか、時間、場所、料金という枠を設定することが、カウンセラー自身を守ることに繋がる等

カウンセリングをかじったことがある方なら、様々なデメリットを思い付くと思います。

その依存を始めとするデメリットも全てひっくるめて、

その人を受け止めるんです。

もちろん、キリスト教の考えが根幹にある上でできることですし、24時間いつでも話を聞いてくれる訳では勿論ありません。

そうあるべきだと言いたい訳ではありませんが、

これがカウンセリングの元型だと思っています。  

カウンセラーも、

話を聴くことで、時間と労力を使い、

蓄えた知識を用いてアドバイスをする訳ですから、そこに報酬が生じるのは当然と思います。

ただ、カウンセラーは、

どうして、カウンセラーになろうと思ったのか

どうして、人様のお話をお伺いしたいと思ったのか

その原点を思い出し、

このようなスタイルでカウンセリングをされている方々の存在も、忘れてはならないと思います。


その牧師さんに、

修道院を紹介してほしい旨を話し、

1日だけ過ごさせて頂きました。

前置きが長くなりましたが、

ここからが、

祈りのパワーと尊さを感じた理由です。



私としては、修道女の方達と寝食を共にさせて頂きたかったのですが、

正式に洗礼も受け、

修道女としての見習い期間を終えた人でないと入れないエリアには入れてもらえませんでした。

正式な修道女の方は、
左手薬指に指輪をしていらっしゃいます。

神様と結婚した

という印です。

神様と結婚し、俗世間での生活、
俗世間で味わう喜怒哀楽はすべて捨てることを意味します。

1年365日 朝は決まった時間に起き、

決まったパターンで毎日生活をします。
 
娯楽的なものも一切やらず、

日に5回だったかな?の祈りを欠かしません。

祈りも、個人的な心願成就では勿論なく、

世界中のあらゆる紛争地域、

災害が起きた地域の名前を全て挙げます。

それだけでも、かなりの時間がかかります。

そして、

その人達のために祈ります。

すごいことだと思いました。

それを、

世界中で、

祈り方は違えど、あらゆる宗教関係者達がやってくれているんです。  

その波動たるや絶対に、

影響しないはずないと、

なんとなく波動の存在がわかるようになった今、強く思います。

私達は、マスコミも含め、災害や事件が起きたばかりの時は騒ぎ立てますが、喉元過ぎれば何とやらで、すぐに忘れてしまいます。  

彼女達は、世間から忘れ去られてしまった後もなお、苦しんでいる人達に思いを寄せるんです。

その姿を見て、

自分のことばかり考えていた自分が、
情けなくなりました。

それと同時に、 

彼女達の生活も尊いけれど、

俗世間でのあらゆる喜怒哀楽を味わいながら天寿を全うすることも、

それはそれで大変で、

意味のあることだとも思えました。

1日が過ぎて、帰宅し、

後日牧師さんに、そのような素直な感想を述べると、

「まだまだ若いんだから。
もっとこちらの世界での、喜怒哀楽を存分に味わって来なさい。全て諦めるには早すぎる」

と言われました。

牧師さんは全てお見通しだったんですね

それから、

正に、喉元過ぎれば何とやらを

地でいきまして、

あれから16年経ちますが、

何とかやっております。


これからも、

復活と再生を繰り返すぞ

最後まで、
お読み下さり、
ありがとうございました