わくちゅぎゅ研究所として

温故知新

ぽこちゃんの

絵本セラピー 江戸しぐさ



2月15日(月)10:00~13:00

参加費 ¥2500 (Waku Chu Gyu ランチ付)

絵本セラピストぽこちゃんより


江戸しぐさとは…

毎日、気持ちよく

楽しく暮らすために、
相手を尊重し、

お互いに助け合う
「心がけ」や「行動」のこと


物事を常に前向きに

捉えて生きていた…

これを陽に生きると言います。

どんなふうにこの記事をアップしようかと思っていたら、
この歌がラジオから流れてきました。






なんかね、ごきげんな空気が周りに伝染して、

幸せが増えればいいなと思って、ぽこっつ君の絵本セラピー

ご予約、お問い合わせは




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明治維新の真実(2) 「19世紀のパリは、江戸を見習って造った」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=301733
(転載)

江戸末期に日本を訪れた西欧人たちは、江戸の市民生活を見て、

「この世のパラダイス」と手記に書き残したり、

母国の家族等に手紙で送っています。彼らが江戸社会をどう感じたのか、

訪れた日にち順に追体験的に見ていきましょう。

 もちろん、彼らは旅行の物見遊山で来たわけではありません。

欧州を起点とする白人による世界の植民地化前線の東回りと

西回りが巡り会う最終局面として、黄金の国・ジパングの植民地化が究極の目的でした。

もっとも、彼らも世界金融支配体制者たちに使われる駒に過ぎませんが。

ペリーの見た江戸は美しかった!!:計算されたペリー来訪
 彼らは航海上、日本に来る前に中国に立ち寄ります。

その中国を「ウジ虫を知らずに踏んでしまった気色の悪い気持ち」であると

書いています。居住区は汚いし、子どもたちは「ギブ・ミー・マネー」であり、

「売られている製品は全てコピー製品であり、吐き気をもよおし、

二度と来たくない」、とまで母国の母親に書いた随行員もいます。

そこからさらに極東の地である日本に行くわけですから、

あまり期待はしなかったと思われます。
 ところが日本に一歩踏み込んだ途端に大讃辞に変わります。

まず、船からみる国土が美しい。緑豊かな野山に、

綺麗に整備された段々畑や棚田がとけこんでいます。

これまでの世界のどこでも見たこともない自然と人工物がシンクロした絵画

そのものの立体風景です。

 下田あるいは横浜の寒村に着くと、

浮世絵で見た色鮮やかな着物を着た健康そうな子どもたちが、

「うちにおいでよ~」と手を引きます。

その農家に行って見ると、士農工商で一番貧しいはずの農家は、

四辺が綺麗に生け垣で仕切られ、

その中に小さないながらも見事な日本庭園と色鮮やかな鯉が泳ぐ池があります。

家に入れば、土間があり、床の間には綺麗な掛け軸がかけられています。
 当時の欧州では、彼らの階級は「農奴」であり、文字も書けず、

何世代も藁葺きの中で雑魚寝生活でした。

つまり、世界でもっとも裕福な農民が暮らす国、それが日本だったのです。


 個人宅にもお風呂があり、さらに出される食事にビックリです。

なんと陶磁器が使われています。他の国では、

このような食器は貴族以上でないと使っていません。

しかも海の幸、山の幸に溢れ、自然の風味を最高に活かした

世界最高の美味しい健康食です。

特に、欧米人さえ見たこともない醤油や味噌など

健康に素晴らしい発酵食品を使っています。
 帰り際には、農民であるはずの彼らが書いた掛け軸までプレゼントされます。

最下級の農民が芸術的な書道が出来ることに最後までビックリ仰天です。

せめてお礼にペンでもと渡そうとすると、頑なに受け取りません。


 そうなのです。これが日本の「おもてなし」であり、

日本各地のどこでも日常から旅人たちに振る舞われていた

日本人の慣習そのものだったのです。ちなみに私が小さい頃の四国伊予の実家では、

このおもてなしをお遍路さんたちに行っていました。

 彼らは、その後陸路で江戸に向かうのですが、

街道が綺麗に整備されていることにも驚きます。

キチンと歩ける道路が整備されているだけでも、

世界広しといえども当時は日本しかありません。

しかも街道沿いに旅人のための日陰を提供する松などの樹木が植えられています。

さらに一定間隔で宿場町が整備され、

飛脚や駕籠(かご)、さらに宿や飲食店なども利用できます。

街道がわざと曲がっているかと思えば、遠景に富士山、

近景にお城というふうに、ビューポイントを設けるなどの

情緒溢れる道造り、町造りを行っています。

 さらに江戸に着くと、まさに人類史上初の大公園都市です。
 中央に江戸城を中心とした大公園があります。

それを核心に300の武家屋敷の大公園があり、

さらにそのまわりには1500もの寺院等の中公園が配置されています。

市民の小さな家にも庭があります。

鳥瞰図的に見れば、まさに地球唯一の地上の楽園自然都市です。

町造りも合理的にしっかりしていて、大通りの門戸を占めると外部からの侵入は困難で、

治安上も安心できます。
 行き交う人々は、江戸仕草の体現者であり、

挨拶や話している様子も明るく、そこにいるだけで心温まります。

野の鳥さえも人の肩に留まってさえずっています。

一番気性の荒々しいと思われる船乗りが集まる船着き場に行ってみると、

聞こえてくる言葉は、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」ばかり。


 彼らは、日本人が自分たちのことを南「蛮」人という意味がよくわかったと

手記にも書いています。
 実は、現在のUCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)では、

国際関係論で、「19世紀のパリは、江戸を見習って造った」と教えているのです。


 まさに、ゴッホが日本の浮世絵から江戸を学び、

そこからヤパン・インプレッション(福沢諭吉が明治政府の

意を汲んで「印象派」と意訳。実際は、日本浮世絵派あるいは

「日本主義」)が生まれ、世界の市民が解放されて行ったのです。

そういう意味でも、日本は世界の「雛形」だったのです。

(拙注:これがいわゆる「ジャポニズム」というもの)

絵本