園庭整備の初めの大きなところの一つは、築山づくりでした。緑に覆われるようにと、植生シートも斜面にかけました。
はじめのうちは次々と草が生えてくるので順調にいっているようにみえましたが、整備開始数年後にあった出来事が考えるきっかけを与えてくれたので紹介します。
おにごっこをしていた子の一人が、築山からトンネルの上部分(写真)に駆け降りた時に、砂で足を滑らせ、尻もちをついたはずみで、その下の地面まで落ちるということがありました。足から地面に落ち両手をついたことで、幸いにもケガはありませんでしたが、肝を冷やす出来事でした。
どうしてそのようなことが起きてしまったのか?
・コンクリート上部の砂を掃っておいた方が良かった
・走るあそびは下(築山以外)でしてもらった方がいいよね
・棲み分けもできているのに、なぜ走るあそびを選ぶのか?
(当時の園庭)
今後の環境整備や関わり方を考える上でのヒントが欲しいと、木村さん(おおぞら教育研究所)に相談をさせてもらったのでした。頂いた返事は…
「築山に愛注いでる?」というものでした。
ハッ!…と、させられました。
整備開始から、築山には植生土嚢をつんだり、花壇をつくって花を植えたりしてきていたので、”手を加えてきている”ということが築山全体の状態が今どうなっているのか?築山のあるべき姿がそれでいいのか?というところに思いが至っていなかったことに気付かされました。
その時の築山の状態はというと…
確かに、これじゃあ手をかけている…とは言えない、まるで、はげ山…。
「これじゃあ走るよー。もっと築山に愛燦々と注いで!」と木村さんから助言を頂きました。
頂いた後、こんな当たり前のことに気付かず木村さんに助言を求めてしまったことが、とても恥ずかしい気持ちになりました。と同時に、築山に申し訳ないという気持ちも…。
一念発起して「築山愛燦々計画」という名のもとに、職員でアイディアを出し合い、こどもの休みが多い日に各クラスから職員を整備作業にあて進めていくことにしました。
まずは、花壇の作り直し。花壇の隙間をなくし、土が流れないように、また見映えがいいように直しました。
こんな感じ。
次にしたのが、今ある植生土嚢の撤去です。この時に使っていた土嚢は、土に還らないタイプのものだったために、袋がそのままむき出しで残っていて、こどもがそれに足をとられることもあったりしました。
その土嚢袋を全撤去し、今度は袋が土に還る”生分解性タイプ”の植生土嚢を築山の斜面に積み上げていきました。積み方も大事だと木村さんにアドバイスをもらい、YouTubeで調べたりし作業をしました。
こどもが走り降りていた斜面にも花壇をつくり、その周りの斜面が緑で覆われるように植生土嚢を積み上げ、何日もかけた作業は終了。あとは、水を撒きながら草が生えてくれるのを待ちました。その1~2か月後…
見事に生まれ変わってくれました!!
見比べたら、雲泥の差ですね…。
築山が様変わりしてからは、こども自ら”ここは入らない方がいいな”と考えて動いてくれているように感じられ、結果的に走りおりて落ちるハラハラからは解放されたのでした。走るという動作はなくなりはしないのですが(こどもは元気な時は走るものなので、その行為自体をなくしたいという意味ではありません)、築山の雰囲気が変わってくれたことで、自らの行動を考える、”雰囲気がもたらす行動判断思考”(という言い方が合っているのか?)の醸成があることを学ばせてもらいました。
思い返して考えてみると、築山は一度手をかけると毎年勝手に草が生えてくれるものだ…という勝手な思い込みがあったように思います。花に水をやらなくなれば枯れてしまうように、築山にも手をかけ続けていかなれば自分たちが望む姿になってくれないことを、ずしりと胸に刻み込むこととなりました(他の事にも同様に言えることですよね)。
築山さん、ごめんね。これからは毎年愛を燦々と注ぎ続けていくからね。
セノ










