エライ、と思う。 | 和光で働き続けることにした平社員がその後管理職になって、会社を辞め終活をしているぞ、のblog

和光で働き続けることにした平社員がその後管理職になって、会社を辞め終活をしているぞ、のblog

名も無き「一」平社員である黒い山猫のブログです。その後遅い出世をし管理職になったものの、人生を見つめ直すため会社を辞めて和光を離れたぞ、と。

ふとしたきっかけで、自分もよく知っている、とある街の放送局の、アナウンサーが運営しているらしきブログ(→という触れ込みというか噂)にたどりついた。


その人の記事そのものには、アナウンサーを感じさせる記事はそれ程無い。


その人が「お気に入りブログ」に設定しているブログが、やはりアナウンサーなのでは無いか?と推察してたどってみると、どうやら、それに該当する人がその放送局には居る。


で、そのうちの一人の記事にトラバってみることにした。


丁度見たタイミングが良かったのか悪かったのか、その人がとある仕事を請けていて、その際に「素直に」感じたことを「正直に」書いた結果が波紋を投げ掛けているらしい。


自分は、この人の気持ちに賛同できる部分もあるし、また感心もしたりする。


この人の場合は、自分と違って、ある程度、誰だか知られ得る立場にある。


にも関わらず、(ある一定の伏字にはなっているが、推察できる範囲程度の伏字)率直な疑問や問題点を表現できる、という”勇気”に感心する。どうしても、社会人になると、守りに入りがちになるにも関わらず、だ。もしかすると、この人には同じ仕事は二度と来ないかもしれない。でも、本人としては”表現”せざるを得ないぐらいの憤りがあったのだ、と思う。


アナウンサー、という立場が、広く公共性を保たせられる職業だ、とするなら、本人達がこうして素直な表現ができる、というのもありか、と思う。。。


ただ、強いて言えば、ネット、というメディアは、放送等などの広く皆が公共性を意識するものとは違い、ある意味”何でもアリ”なところである。見る人自身も責任を持って表現する人も居れば、無責任に表現する人も居る。そもそも何故”責任”を持たなくてはいけないか?という話にもなり兼ねない。またネットでは主に活字(→動画は除く)表現、ということもあって、書き手の気持ちや想いが正確に、かつ伝えたい人に伝えられ易いメディアか?と言えばそうでは無い。


だからなおの事、表現技法は注力しなくてはいけないし、(もし、怒りを感じるような事実があったとしても、誰が見ているかわからないのであるから)容易に想像できるような伏字は止めた方が良い、と思う。


あえて、その記事へのリンクはつけない。トラバ先からの一方通行にしてみました。


表現技法について生意気なことを書いたが、自分もこうやって書きながら、常に失敗と反省を繰り返している。。。