1998年、バブル経済がはじけてしまった日本。俺は北陸の中心地金沢にいた。
★◎鉄道金沢観光案内所 所長 脇 孝作の波瀾に満ちた人生が始まろうとしていた。
金沢のメインストリート『百万石通り』に面したビルの1階にある事務所は結構なごやかな雰囲気をかもしだしていた。
観光案内所というと、JRの駅などにある小さなカウンターを想像するかたが多いと思うが、ここでいう★◎鉄道観光案内所とは一般的にいうと営業所という性格のものでありますのでいちおう説明をしておきます.
この事務所にはコクド、プリンスホテル
という西武系の会社が同居していて何より本社から遠く離れているし、所長たちはみな一国一城の主気分で生き生きと頑張っていた。所員も3社3様小所帯ながらいい感じでやっておりました。だから俺の部下は2名だが酒の付き合いがいまいちだったけど隣の席のコクドの田中君とはよくお付き合いをしてもらった次第です.
コクドはアイスホッケーで有名な会社です。よく飲みに行っては『この店はコクドさんで』『ここの支払いはは★◎鉄道さんのほうで』 『いややっぱり親会社のほうで』という風に仲良く経費を分かち合ってきた友人でした。今から思うと西武系の特に営業マンは結構グループ会社間での結びつきが強く、情報交換とかいいながらお互いの経費にて食事をしたり飲みに行ったりが頻繁に行われていたように思う。
まあ言い訳ではないがこの様に飲みにいってもただ飲んだくれているわけではなくほとんどが仕事の話をしていました。自分のことを涙して語っていた田中君のことが思い浮かんできます.営業マンのみなさま。けっこう仕事柄ある程度こんな夜の付き合いということがあるものですよね。 頃は各社経費節減といわれ領収書で落とせる範囲も結構狭まってきている時期であったがそこは営業マン。ある程度の金額を使うときの口実は巧みに本社なり関係部署に説明し、申請をする。そしてセールス日報等でタイミング良く報告し、領収書に添付する書類には【~月~日~~受注。見積り金額~~万円】とサラッと記入し、「経費はかかったがこの接待がこれだけの受注を生んだ。」と報告するくらいは朝飯前なのだ。やり手になると売上は多ければ調整し少なければ捻出し金額を限りなく自分の予算に近づけて処理をし毎年コンスタントに売上を伸ばしていく。この時期の俺はまさにこのレベルであったようです.
