20年ぶりのタイ旅行で20年前のタイ旅行を思い出すの巻


ぼぼ蔵君(夫)が、タイに駐在している友達に会いに行きたいと言うので

4泊5日でバンコクとパタヤに行ってきたん(´∀`=)


タイに行くのは約20年振りでな。


初めての海外旅行は大学生で、

タイだったな、

あの旅凄かったなって思い出した。


あの頃、周りの大学生の中に

バックパッカーが沢山いて、

中には一年間休学とかして旅している人もいて、

そんな人たちは大抵、沢木耕太郎の深夜特急の影響を多大に受けていたよな、、、そんな勝手な記憶が呼び起こされ、、、。


タイはバックパッカーにとっての入り口みたいな国で、私と友だちも例に漏れず、20年前の夏休みのある夜中1:00頃、バンコクに降り立った。


心配性の父親が単身赴任先から、うちのファックスのロールがなくなるまで、デング熱やら、狂犬病やらのタイでかかる可能性のある病気一覧を送ってきて、それを読んだ母親が、まるでこの世の終わりかのように、


「それでも行くのね!?」


と鬼気迫る形相で言ってきた。爆

こわ〜


ファックス用紙の最後の方には、大使館と病院情報がチラッと載っており、私はそのロールを折りたたんでリュックにとりあえず入れた。


初めての海外

ワクワクは止まらないはずなのに

このファックス用紙と

両親の不安感満載の言動で

私の気持ちも彼らと同じものになってしまった。


私と友だちは

2人とも初めての海外旅行にも関わらず、

ほぼ何の情報収集もせず

旅の情報誌も一冊も持っていなかった。

ちょうどmixiが出始めたかな、みたいな感じで、まだインターネットやSNSで調べるのが当たり前な雰囲気でもなかった。


本当に何も考えていなかったあの頃。

2人で、当時高田馬場のJR高架下にあった

今にも潰れそうな旅行会社(ある時通りかかったら本当になくなっていた)で、人の良さそうなおじさんから、

タイ行きの格安航空券を2枚買った。

それから、確かトラベラーズチェックを30000円分用意した。

それだけだった。


夜中1:00過ぎにバンコクの空港に着き、バックパッカーが集まると言われるバンコクのカオサン通りを目指すことに。

とりあえずカオサンに行けば何とかなる、というのが私たちが持っている唯一の情報だった。


友だちが、

「友達の石山君が確か〇〇番のバスに乗れば、

カオサン通りに着くって言ってた」

と言って、2,30分かけて2人でそのバスを探した。


日本の空港から乗るリムジンバスのような快適なバスでなく

窓が全部開け放たれた、クーラーも付いてないようなバスに1時間以上乗り、夜のバンコクの街を駆け抜けながらカオサン通りに向かった。


カオサン通りに着いたのは夜中2:30過ぎ。

宿も予約していなかった、、、。

ここでこれからどうやって宿を見つけたら良いんだ、、、?


カオサン通りの屋台で売っているイナゴ🦗を友だちが見つけて、無邪気に

「みどりちゃん、イナゴだよ〜、

いなごがあるよ〜」と言ってイナゴを買った。


初海外で初めて買ったものはイナゴとなった。


どうやって宿を見つけたら良いんだろう。

そう思っていたら、関西から来た男連れ3人組が私たちと同じようにカオサンに流れ着いて、道を歩いており、彼らが見つけた宿を教えてくれた。


宿にはまだ空き部屋があったので私たちもそこに泊まることにした。

というか、もうへとへとだったし、他に選択肢を考える余裕もなかった。


夜中3:00に空いている宿、、、。


値段は100バーツ、当時日本円で300円だった。


300円、、、。


通された部屋に行くと

部屋の鍵は南京錠で🔐外側からしか鍵が掛からなかった。

部屋のベッドは、学校の保健室にあるようなベッドが2台並んでおり、部屋の窓にはカーテンの代わりにタイの新聞紙が貼られていた。


(こんな宿があるんだ、、、。)


一瞬、自分の不安と連動して、

「それでも行くのね!?」と言った母の顔と父の送ってきたファックス用紙が頭をよぎった。


時計を見ると3:30になろうとしていた。


海外で携帯を使うのがまだまだ一般的でない時代である。


友だちのベッドの傍に置いたイナゴ🦗を眺めながら、


(とりあえずは無事に着いたよ、、、。)


と、心の中で親に報告して、猛烈な眠気に引きずり込まれていった。



写真は今回のバンコク旅行の屋台で見つけたチキン屋さん。

これが激うま〜。